民主党が政治資金問題第三者委員会を立ち上げましたが、早速そのヒヤリングの中身を観ることができるようになっています。
内容は、細かい論点について、総務省の担当者と委員が議論しているものですが、委員からのつっこみに対して、担当者はタジタジになっているように見受けられました。特に、櫻井敬子委員の、「構成要件があいまいで、予測可能性に欠ける部分があるのではないか」との趣旨の指摘には、完全に答えに窮しているかのようでした。
これでは、結局のところ、政治資金規正法は、まともに解釈・運用するつもりで作成・改正されたのではないのかもしれないのではないか、つまりはザル法として、ただそこに在ればよいのであり、どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかったのではないか、との疑問を抱かれても仕方ないと言えるでしょう。
via: 民主党の政治資金問題第三者委員会について – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.
「予測可能性」は本当に大事です。
一言付け加えると、守れないルールがあると、そもそも政治献金を受けること自体が恐ろしくなるはずです。しかし、そうならずに「どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかった」ということは、官僚・検察に太いパイプを持つことによって身を守ることができる政治家の体質も示唆する。つまり政官癒着ということです。
政治資金規正法については賛否両論ありますが、私は「個人献金も企業献金も完全自由化したうえで、企業の会計基準のように記録のルールを決め、開示を義務づけること」が望ましいと考えます。
穏健な立場としては「当局の開示請求にもとづき」となるでしょう。しかし、私はインターネット上での公開を義務づけても良いと思う。(企業決算の官報のように)
いまは政治献金そのものが悪であるかのような価値観にもとづく法制度だと思います。それが健全な民主主義の発想とは思えない。
金を集めることは悪ではない。そのすべての流れが明らかならば。
以下の指摘はもっともだと思います。
政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)
官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。
スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。
政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。
「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。
一般論としても、裁量の余地が少ない立法ほど優れているのではないでしょうか。当局の裁量の余地が入らない法規制を望みます。政治資金規正法は、その点でダメなザル法なのです。
なお一点付け加えておきます。
私はリバタリアンです。そもそも国家は最小であるべきだと考えています。そこに誘導すべき利益などない。大した規模の公共事業が存在しないし、利権を生むような規制もない。そういう自由な社会を理想と考えています。その前提では、企業献金によって「誘導されるべき利益」など無いのだから、企業献金を禁止する必要などないのです。
過渡的な問題としては難しい面がありますけれどね。私も現在の国家規模(財政規模)では、たしかに市場の公正さを損ねる恐れがあるとは思いますよ。
ただ、企業献金を禁止すべきだという人々には、要するに「大きな政府」が良いと考えている人も多いようですね。
その点では、考え方が根本的に違うのでしょう。
国家は人々を守るのではなく、国家こそ人々にとって最も有害な存在だと考えますから。
国家から利権を奪ったとき、政治家には利権が少なくなる。つまり政治家が汚い仕事だと思うべき理由も小さくなる。そこで人々が政治家に活動資金を寄付する。むしろ政治家に税金で資金を提供する必要はない。
ではなぜ企業が献金するのか、という人がいる。企業は利益が目的なのだから云々、という議論。それはまったく意味のない議論だ。ならば利益の1%を慈善事業に投じている企業の存在をどう考えるのか。もちろんブランディングなどの目的があるだろう。あれを禁じるべきで無いならば、利益の1%を政治家に寄付することを禁じる理由があるのだろうか?