analog

9月 21, 2009

新政権国務大臣の「ハネムーン」発言に失望

カテゴリー: Japan, politics — hidetox @ 7:20 pm

「ハネムーン」は新政権が求めるべきものではない。メディアから与えられるべきものだ。

日本の政権交代、米国の反応は… 記者報告 | 日テレNEWS24

アメリカでは歴史上、共和党と民主党という2大政党による政権交代が行われてきたため、新しい政権が発足してから軌道に乗るまでには時間がかかるということをよく理解している。政権発足から100日間は、アメリカでは「ハネムーン」と呼ばれ、新政権に対して批判を控え、ある程度、様子を見るという伝統がある。このため、アメリカは、最初は鳩山政権に対してもその出方を見るとみられる。ただし、一定期間を過ぎた後は、世界の中で日本がどういう役割を果たすのか、より具体的な方針を示すよう求めてくるとみられる。

新政権の国務大臣が自ら「ハネムーン」などと言う代わり、単に政権のプライオリティやスケジュールを具体的に示して欲しかった。

それを可能にする政権移行プロセスに失敗していることが、本質的な失敗だろう。総選挙からの16日間で何かできたはずなのに、閣僚人事を首班指名まで引き延ばしたことで、政治空白を作ってしまった。

何かするのに時間がかかるのは仕方ないんだから、どれだけ待てば何が出てくるか教えてほしい。それが明らかなら、逆にそこまで待つしかないのだ、市民としては。「見守ってくれ」なんて自信なそうに閣僚が言う必要はない。自信がないのはみんな知っている。

なんとも危なっかしい鳩山新政権の船出 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

鳩山新首相は、政権発足から100日はハネムーンとしてゆったりと見てほしいということのようだが、それを許すほど内外情勢は甘くはない。

記者会見では衝突も“イラ菅”「100日はハネムーン」(社会) — スポニチ Sponichi Annex ニュース

始動したばかりの鳩山政権で不十分さがあった場合も「最初の100日はハネムーン」「今年中がちょうど100日くらい」とも指摘。本人は短気で“イラ菅”と呼ばれるが「寛容な心で見てほしい」と訴えた。

YouTube – 鳩山内閣総理大臣記者会見-平成21年9月16日-

YouTube – 鳩山内閣閣僚記者会見「菅直人大臣」

5月 27, 2009

移民自由化の件

カテゴリー: Japan, economics, politics, society — hidetox @ 1:03 am

私もリバタリアニズムとグローバリズム(良い意味で)は切っても切り離せない関係だと思います。

私は人種差別のほとんどない日本こそ、自由な移民の国を掲げて人類史の発展に貢献できる可能性があると思っている。

そのためには、我々が日本人という「既得権」を手放し、移民規制という参入障壁を撤廃し、世界の人々に日本市場への参入権を解放することだ。そのとき日本経済は爆発的に成長するだろう。

そう、かつての米国のように。

via: 自由で豊かな移民の国 « analog

と書きました。

ただ、実現は難しい、とも思います。

一国リバタリアニズムの前にグローバルなリバタリアニズムを置こう。「国の選択」ができる世界を目指そう。市場はつながっている。リバタリアンは自国政府に対してだけでなく他国政府にも規制の解除と自由の返還を要求しよう。そして自分にとっての費用と価値を測り、利益が最大化される国で生活しよう。

via: 海外移住:一国リバタリアニズムとグローバルなリバタリアニズム | アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ

「貿易の自由化」と違って「移民の自由化」の場合は「福祉・社会保障」の問題がネックですよね。

かつての米国のような低福祉国にならなければ、「受け入れ損」になりかねないかなと。つまり福祉へのフリーライダー問題です。

これが解決しないかぎり、自国世論が「移民自由化」に反対だと思うのです。

橘玲氏の言うように「人頭税」にしちゃえば移民が増えれば増えるだけ自国民は嬉しいんでしょうけれども。

実現可能なロードマップとはいかなるものでしょう?

5月 17, 2009

言論の自由がない霞ヶ関

カテゴリー: Japan, bureaucracy, liberty, politics — hidetox @ 1:02 am

高橋洋一著『さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白』には、官僚は無謬主義であること、上司・先輩のやったことを批判するなどもってのほかであることなど、官僚の体質が書いてありました。

そのような体質では、外に向かって役所の批判をするなどタブーでしょう。高橋氏は、それをやりました。

その高橋氏は「窃盗犯」となりました。報道によると、本人が罪を認めたそうで、即座に勤務先の東洋大から懲戒免職されました。それにより「社会的制裁を受けた」との理由で、起訴猶予処分となりました。

なにか不自然な気がします。陰謀論を語るのは慎重にしなければなりませんが、あまりにも「それっぽい」。そして、「それっぽすぎる」こと自体が不自然です。本当の陰謀なら、こんな「分かりやすい」筋書きにしないでしょう。

【起訴猶予と引き換えに口止め!?】高橋洋一元教授、起訴猶予に – ぽぽんぷぐにゃん

本人がいまだに出てこないのは、やはり口止めされてるんじゃないですかね。

東洋大の本人の弁解を待たずしての懲戒免職も疑問ですが、起訴猶予と引き換えに、懲戒免職と口止めを検察(官僚側)に約束させられているのではないでしょうかね。

マスコミは高橋本人への追跡取材をしてほしいものです。消される可能性さえ感じずにはいられません。

100%同意するわけではないですが、その可能性がゼロでもないと思います。

ただ、もし陰謀だとすると、こんなに分かりやすい筋書きもない。もし陰謀があるとすれば、もっと巧妙に、秘密裏に圧力をかけ、表舞台から葬り去る方法を選ぶでしょう。まさにいま私が抱いているような疑いを国民に持たせるのは不利だからです。

したがって、もし陰謀があるとしたら、むしろ、分かりやすく「公権力」の恐ろしさを見せつけている、つまり高橋氏を「見せしめ」に、「第二、第三の高橋氏」を封じる意図がある、と考えるほうが自然です。

繰り返しになりますが、陰謀かどうかは分かりません。軽はずみに陰謀を唱えるのは、官僚に対して不当に汚名を着せる行為であり、慎まなければならないと思います。あくまでも「陰謀があるかどうかは分からない」というスタンスで、ただ、あまりにも「それっぽい筋書き」に見えてしまう点を指摘しました。

高橋氏の著書を読んだり、関心があったりすれば、同様の疑念を持つようになる人は少なくないでしょう。それを「あくまで可能性の一つ」として提示しました。私は本論で「どちらかというと陰謀だろう」とも言ってませんので、誤解の無いようお願いします。

さて、本題に戻りましょう。次に気になるのは木村盛世氏です。『厚生労働省崩壊-「天然痘テロ」に日本が襲われる日』を書いた現役厚生官僚です。

新型インフルエンザ、水際封じ込めはナンセンス|ニュース|ロハス・メディカル:

 厚生労働省が言っているのは、検疫による水際での封じ込め、ワクチン、タミフルの3点セットですよね。でも、こんなの新型インフルエンザに対してはナンセンスです。

(略)

――なぜそんなものを前面に押し出しているんでしょう。

専門家がいないからでしょうね。WHOもフェーズ3から4に上げる時、封じ込めに努力せよなんて言ってません。それなのに封じ込めできると言っているのは、国民を欺く行為です。もし彼ら自身が本気で可能だと思っているのだとしたらあまりに宗教的だし、頭に何か新種のウイルス感染でも起こしているのでないかと心配になりますよ。

めちゃくちゃタブーの官僚批判をしてますね。すごい勇気です。(といっても、中傷表現は擁護しません。J・S・ミルは「少数派は努めて誠実に、穏健に、議論しなければならない」と言いました)

――本を出して、何か本省から言ってきましたか?

 本当にフランクに言ってくればいいんですが、何も正面切っては言ってきません。それをせずにイジメのようなことばかり。今回もアマゾンの書評に一般読者を装って悪口を書き込んでいる程度でしょう。彼らは一人ひとりは非常に臆病な羊。でも群れると狼になって意地悪をするんです。

 私は別に何も悪いことをしていないので、辞めろと言われる理由はないんだけれど、いつ辞めてもいい覚悟ではいますよ。一方で、もし責任ある仕事をしろと言われるならば、それも運命と思って懸命にやるつもりです。

――腹をくくっている分、上の人たちからすると一番始末に困りますね。

困るでしょうね。腹をくくってないと動いていかない、ビクビクしていたら動いていかないですよ。

彼女の主張の正しさ以前に、このように主張したこと自体に賛辞を送ります。ほかの官僚も反論があるなら公然と反論すればいい。すでに省内から公共の場に言論が移っている(出版によって)のだから、その反論は議論を深めるために有意義でしょう。議論において反論が無いと言うことは賛成と見なさざるを得ないわけですし。

よって、彼女の言論活動を応援したいと思いますが、今後の活動(官僚としても、それ以外も)が何らかの圧力で妨げられないかと心配です。べつに「えん罪を着せる」といった陰謀があるとは言いませんが、本人もインタビュー中で述べているように、すでに「飛ばされ」ているようです。これは今後ひどくかもしれません。

そうなった官僚にも、政治任用(ポリティカル・アポインティ)によって首相官邸の直属で大きな仕事をする機会があるようです。高橋洋一氏も竹中平蔵氏と旧知の仲であったことが安倍内閣での政治任用につながった、と本人が書いています。ただし、政権が短命ならそれで終わり、という不確実なポジションです。

木村氏の今後に注目します(彼女の論敵が現れるのか、主張が正しさはどの程度か、など)。

それだけでなく、公権力に対する監視の目を持ち続けたいと思います。国民の監視の目が増えれば、日本の「官僚支配」は弱まるはずです。もし無関心であった方は、これを機会に政治に関心を持っていただければと思います。

5月 12, 2009

政治に対してナイーブな日本国民

カテゴリー: Japan, politics, society — hidetox @ 12:59 am

小沢辞任に思うこと – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

「輪(わ)」の筆者(yehl431氏)に同意です。安全保障や社会保障へのスタンスは異なりますが、下記の文章には、とくに共感します。

結局、日本国民は政治に対してあまりにもナイーブなのです。

他にも、社会福祉国家を実現することを理想とする人がいた場合に、いきなりスウェーデンになることは困難でも、最低限のセーフティネットの拡充(それこそ給付額を1万円でも上げる等)の実現は十分あり得ます。

これらの例が、その理想と現実との落差を理由として、くだらないものだとは言えないと思います。理想は持ちつつも現実的な積み上げを為すことにより状況を少しでも改善するというスタンスは、経済活動でも、個人の生活の場面でも普通のものでしょう。

悪いところを少しずつでも直していって、より良いものを実現する。こんな当たり前のことを、政治について考えている人があまりにも少ないと思います。だから、政治家に対して清廉潔白であることを必要以上に求めるのであり、小泉純一郎のようなポピュリストが「自民党をぶっ壊す」と言うとあっさり信じてしまう。

政治に関心を持つ人が増えて欲しい。なぜなら、それは「他人事(ひとごと)」ではなく「自分事」なのですから。

人ごとではない。

私たち、一人ひとりが、行動を変えるしかない。

政治参加意識を高め、発言し、投票する。

あるいは、立候補したり、政治献金する。

自分の希望を叶えてくれる政治家を選ぶ。

必要なら、育て、支援する。

そういう一人ひとりの行動が必要です。

一人ひとりの行動が変わらなければ、

via: 政府という「独占企業」 « analog

5月 3, 2009

政府という「独占企業」

カテゴリー: bureaucracy, economics, liberty, politics, society — hidetox @ 2:09 am

これらは、資本主義がそれなりにうまく機能しているかぎり、経済のルールで安全が担保される可能性がありますが(安全でない食物は売れないでしょうし、自動車の安全性は、機能面ではメーカーが、操縦面では不法行為による損害賠償システムが存在することにより担保され得ると考えます)、政治については、上記の例において資本主義が果たしているような潤滑油の機能を担うものがありません。

via: 政治家を信じよう(ただし条件と期限をつけて) – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

政府という存在の最大の問題は、そこに「代替(alternative)」のないことです。

市場は公平です。レストランがマズかったら、そこに二度と行かなければいい。

誰もあなたにマズいレストランに行くことを強制できません。

私たちには「選択の自由」があります。

しかし、政府の提供する商品やサービスは、別です。

社会保険や年金が非効率だからといって、強制加入ですから、あきらめるしかありません。

政府が提供する商品・サービスを「要らないから、払わない」ということはできません。

税金という形で強制的に「代価」を徴収されてしまうのです。

政府は人々に取引を強制します。

政府は独占的な存在です。

政府は人々から「選択の自由」を取り上げます。

「自由」とは「強制のないこと」である、とハイエクは定義しました。

政府は人々から「自由」を奪う存在なのです。

そんな政府を弱体化する方法は?

政治です。

政府と政治を分けて考えましょう。

政府と政治が癒着している(政官癒着)としたら、それは有権者のせいです。

有権者が「小さな政府」を望めば、政官の癒着をなくすことができる。

もちろん、有権者には「自ら立候補する」という手段もあります。

人ごとではない。

私たち、一人ひとりが、行動を変えるしかない。

政治参加意識を高め、発言し、投票する。

あるいは、立候補したり、政治献金する。

自分の希望を叶えてくれる政治家を選ぶ。

必要なら、育て、支援する。

そういう一人ひとりの行動が必要です。

一人ひとりの行動が変わらなければ、

政官癒着は無くならないし、

政府という「独占企業」は巨大なままです。

私たちは政治家を信じることが必要です。

そのためには、信じるべき政治家を見つけなければなりません。

いなければ、育てるか、自ら立候補するか。

4月 19, 2009

政治資金規正法

カテゴリー: bureaucracy, law, liberty, politics, society — hidetox @ 9:41 pm

民主党が政治資金問題第三者委員会を立ち上げましたが、早速そのヒヤリングの中身を観ることができるようになっています。

内容は、細かい論点について、総務省の担当者と委員が議論しているものですが、委員からのつっこみに対して、担当者はタジタジになっているように見受けられました。特に、櫻井敬子委員の、「構成要件があいまいで、予測可能性に欠ける部分があるのではないか」との趣旨の指摘には、完全に答えに窮しているかのようでした。

これでは、結局のところ、政治資金規正法は、まともに解釈・運用するつもりで作成・改正されたのではないのかもしれないのではないか、つまりはザル法として、ただそこに在ればよいのであり、どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかったのではないか、との疑問を抱かれても仕方ないと言えるでしょう。

via: 民主党の政治資金問題第三者委員会について – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

「予測可能性」は本当に大事です。

一言付け加えると、守れないルールがあると、そもそも政治献金を受けること自体が恐ろしくなるはずです。しかし、そうならずに「どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかった」ということは、官僚・検察に太いパイプを持つことによって身を守ることができる政治家の体質も示唆する。つまり政官癒着ということです。

政治資金規正法については賛否両論ありますが、私は「個人献金も企業献金も完全自由化したうえで、企業の会計基準のように記録のルールを決め、開示を義務づけること」が望ましいと考えます。

穏健な立場としては「当局の開示請求にもとづき」となるでしょう。しかし、私はインターネット上での公開を義務づけても良いと思う。(企業決算の官報のように)

いまは政治献金そのものが悪であるかのような価値観にもとづく法制度だと思います。それが健全な民主主義の発想とは思えない。

金を集めることは悪ではない。そのすべての流れが明らかならば。

以下の指摘はもっともだと思います。

政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

一般論としても、裁量の余地が少ない立法ほど優れているのではないでしょうか。当局の裁量の余地が入らない法規制を望みます。政治資金規正法は、その点でダメなザル法なのです。

なお一点付け加えておきます。

私はリバタリアンです。そもそも国家は最小であるべきだと考えています。そこに誘導すべき利益などない。大した規模の公共事業が存在しないし、利権を生むような規制もない。そういう自由な社会を理想と考えています。その前提では、企業献金によって「誘導されるべき利益」など無いのだから、企業献金を禁止する必要などないのです。

過渡的な問題としては難しい面がありますけれどね。私も現在の国家規模(財政規模)では、たしかに市場の公正さを損ねる恐れがあるとは思いますよ。

ただ、企業献金を禁止すべきだという人々には、要するに「大きな政府」が良いと考えている人も多いようですね。

その点では、考え方が根本的に違うのでしょう。

国家は人々を守るのではなく、国家こそ人々にとって最も有害な存在だと考えますから。

国家から利権を奪ったとき、政治家には利権が少なくなる。つまり政治家が汚い仕事だと思うべき理由も小さくなる。そこで人々が政治家に活動資金を寄付する。むしろ政治家に税金で資金を提供する必要はない。

ではなぜ企業が献金するのか、という人がいる。企業は利益が目的なのだから云々、という議論。それはまったく意味のない議論だ。ならば利益の1%を慈善事業に投じている企業の存在をどう考えるのか。もちろんブランディングなどの目的があるだろう。あれを禁じるべきで無いならば、利益の1%を政治家に寄付することを禁じる理由があるのだろうか?

3月 30, 2009

人類の理性は帰結主義を受け入れるか

カテゴリー: economics, education, history, law, liberty, philosophy, politics, science, society — hidetox @ 10:35 pm

地獄への道は善意で敷き詰められているという記事では、「善意」が社会にもたらす悪影響を紹介しました。

そのような問題を解決するために必要なのは、人類の理性です。人類は、帰結主義的な思考によって政治的意志決定をしていかなければなりませんが、それを阻むのが感情・本能です。つまり、理性によって、それらを押さえ込まなければ、人類は感情・本能に従って道を誤ります。

帰結主義(きけつしゅぎ、英語 consequentialism)とは、行為を道徳的に判断する際に、その行為から生じる帰結(結果)を考慮に入れる立場を指す。功利主義は、帰結主義のひとつの立場である。

via: 帰結主義 – Wikipedia

帰結主義的に正しくても、感情的には受け入れがたいというのが「労働者保護の撤廃」だったりします。それにより失業率が低下し、国民の経済厚生が向上するはずなのに。

拒否パターン1:道徳・価値観・倫理的に、受け入れがたい。
拒否パターン2:違和感・恐怖から、受け入れがたい。

前者には、まだ尊重すべき論理があります。しかし、後者の理由による拒否もあるということに気付きました。これは、本当にくだらないことですが。

自転車に乗れない人に似ています。「スピードを出せば安定するんだよ」と言われても、スピードを出すのは怖いから、なかなか乗れるようにならない。本能はその言説・理論を「信じる」ことに抗うからです。それに打ち克つのは理性です。

「ある程度はスピードを出したほうが安全」というのは帰結主義的に正しい言説であるけれど、感情的(本能的)には受け入れがたいわけです。マトリックスのモーフィアスなら「速く動こうと思うな。速いと知れ (Don’t think you are, know you are)」と言うところ。

つまり、「本能的恐怖を克服しなければ自転車に乗れるようにはならない」のですが、それと「労働者を保護するよりも規制緩和によって失業率が低下する」という言説を信じられるかどうかというのは、同じ構図でしょう。

近視眼的な正義が、結果的には大きな社会的不正義を生んでいることに気づくべきだ。

via: 1段階論理の正義 – 池田信夫 blog

本能が司る感情的認知と理性は別物。本能的恐怖感を超えて、帰結主義的に正しい道を選ぶことが出来るかどうか。

この21世紀、我々人類の理性が試されている、といっても過言ではないでしょう。

部族社会で生きてきた日本は、いま否応なくそれを捨てることを迫られている。資本主義は人々の精神的な紐帯を断ち切り、格差を拡大する。ハイエクは、「資本の文明化作用」を肯定したマルクスと同じく、こうした変化を不可避で望ましいものとしたが、本当にそれは人間を幸せにするのだろうか。それ以外の道はないのだろうか。

via: ハイエクの政治思想 – 池田信夫 blog

3月 29, 2009

官僚支配

カテゴリー: Japan, bureaucracy, politics — hidetox @ 11:16 am

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

via: 政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で「金集め」は「悪」である。日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。

via: 政治とカネの本当の話(2) (田中良紹の「国会探検」)

 かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。

 そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。

 政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

「企業は利潤を求めるから企業献金は賄賂になる」と言った新聞記者がいた。日本はいつから社会主義国家になったのだろう。利潤追求を「悪」だという民主主義国家を私は知らない。それを言うなら私企業を全廃しなければならなくなる。新聞記者の所属する新聞社は利潤を追求しないのか。利潤を追求すると新聞の使命を果たせないのか。企業は社会的必要があるから生まれる。企業が追求する利益が社会と相容れないはずがない。それを「悪」だと言うのは「官僚の論理」である。官僚は本質的に「社会主義者」だから企業の利潤追求を苦々しく見ている。その思いをかつての社会党が代弁して自民党の足を引っ張った。それに新聞・テレビが追随し官僚組織にゴマをすった。55年体制の愚かさがいまだに続いている。

via: これじゃオバマは生まれない (田中良紹の「国会探検」)

危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。景気対策程度で力んでいる場合ではない。

via: 危機が求めるもの (田中良紹の「国会探検」)

ぼくは以前から、納税者の視点で検察の捜査を監視すべきだと思っていて、いろいろなところで書いたり言ったりしてきました。
検察庁に限らず国の役所(霞が関)は、会社でいえば管理部門で、それ自体が何の生産も稼ぎもしない、いわゆるコストセンターです。

しかし、彼らには自らがコストセンターであるとの自覚がありません。
税金を投じた活動の効果がどれだけあがっているか、まったく検証されていないのです。
世の中、そんなお気楽な仕事をしているのは、霞が関しかありません。

via: 納税者の視点で検察の捜査を監視しないと (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)

誰も「仕事しないでもクビにならず、高給で、多額の退職金が出て、そのうえ多額の年金までもらえる」ような既得権を手放そうとはしませんから。

via: analog | この国は役人でつぶれそうです

「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。

via: analog | 政府と政治の区別はついてる?

政治は、政府(官僚)の役割を縮小し、より小さな政府を実現するため、各種の規制を撤廃し、公共事業を削減し、より多くの政府機能を民営化すべきだ。その結果として個々人は財政規模縮小、減税の恩恵を受ける。

via: analog | 政治、政府、報道、民衆の構図

最後に、個人の自由とは逆の問題について取り上げる。個人の自由を政府が支援することについてである。これについて、政府の支援に対する反対意見は3つ上げられる。

 第1に、政府が事を成すよりも個人が事を成した方が効率的な場合があるという主張である。これは、経済学者によって説明がなされているのでここでは取り上げない。

 第2に、個人は政府よりも効率的に仕事を処理できないが、個人自らの精神教育の一環として、個人によって仕事が処理された方が望ましいという考え方である。これは、国民教育の問題とも関わってくるがここでは取り上げない。ただひとつ言っておくべきことは、個人がこのような仕事に従事することは、個人的なあるいは家族的な小さな世界から個人を抜け出させ、社会との結合を強く認識させる契機となる可能性が高い点である。社会との結合を認識しなければ、自由な社会というものは創造できないし、維持もできないのである。

 第3番目の理由は、不必要に政府の権力を増大させるという指摘である。政府の機構が大きくなり、個人の活動が政府に支えられるという事態になった場合、法的に自由な社会が維持されていたとしても、それは名目上のことに過ぎない。

 人類の進歩と自由を妨げるものを確定し、利益を多く確保しつつも大きな政府を作らないようにする。それは政治にとって最も難しい問題である。これを解決するには、人材を地方へ分散し自由に活動させ、中央は情報統制のみを行うという方法が良いだろう。政府が様々な点まで口を出すようになると、国家の活力は失われてしまうと考える。

via: J.S.ミル『自由論』

3月 26, 2009

地獄への道は善意で敷き詰められている

カテゴリー: politics, quote — hidetox @ 11:46 am

超重要

善意を持っている人、「いい人」でも、その考え方が「正しい」とは限らない。むしろ、間違っていることが少なくないのだ。「善意」によって、誰かをむしろ悪い方向に導いてしまう、ということはよくある。これが政治のように規模が大きく、重大な判断である場合、「善意の間違い」が多数派を占めたり、権力を持ったりすると、それが「地獄への道」になりうるわけだ。

「善意の間違い」が恐ろしいのは、表向きは「悪」に見えないこと、また善意の持ち主である本人は「悪」だと思っておらず、正しさを確信していることだ。だからこそ、それが多数派になったり、権力を持ちうる。

いかにも悪い人とか、悪意が見えているような悪事・間違いは、わかりやすい。悪であることには違いないが、悪であることが明白なので、支持されず、権力を持ちにくい。その意味で、この種の悪は「弱い」ものであり、「本質的な危険性」を持っていない。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉は、「わかりやすい悪」よりも「善意の間違い」のほうがはるかに恐ろしく、危険だということを実にうまく表現していると思う。

via: 地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions) – Zopeジャンキー日記

ハイエクが本書で繰り返し強調するのは、個人に理解しえない力が社会を動かしているということだ。「派遣村」を支援する人々が善意でやっていることは疑いないが、彼らの求めるように派遣労働を禁止したらどうなるかは別の問題だ。逆に主観的には「強欲資本主義」であっても、その強いインセンティブを適切なルールによって制御すれば、生産性が上がって労働者の待遇を改善する場合もある。それが「見えざる手」の意味である。

しかし、このように主観的な意図と違う客観的な結果が生じることは、啓蒙主義以来の合理主義の伝統においては、あってはならない。そのもっとも影響力の強い思想が、マルクスの「必然の国」と「自由の国」という歴史観だ。彼によれば、人々の意図とは違う資本主義の「必然」が人々を支配するのは、人的関係が物的関係として「錯視」されるブルジョア社会の病であり、「自由人のアソシエーション」によってこれを転倒すれば、人は自分の運命の支配者になり、人類の「前史」は終わる。

この理想は美しいが、社会を動かす法則が透明でコントロール可能だという誤った前提にもとづいている。昔から科学者や法律家にマルクス主義者が多いのは、偶然ではない。彼らの世界では、意図と結果は1対1に対応しているからである。しかし社会主義の失敗が証明したように、社会という複雑なシステムを計画的にコントロールすることは、不可能で有害なのだ。本書はそれを理解している人には退屈だが、民主党の議員は全員、本書を読んだほうがいいだろう(小沢代表は読んだはずだ)。

via: 隷属への道 – 池田信夫 blog

3月 18, 2009

定額給付金批判と寄付経済

カテゴリー: bureaucracy, charity, economics, politics, society, 定額給付金 — hidetox @ 5:44 am

今回の定額給付金では、国民のほぼすべてが思わぬ余剰金を手にすることになる。その単価は1万円以上。しかも、給付自体に異を唱える国民が一定数存在する。何のために税金を納めたのか。莫大な経費をかけて徴税し、莫大な経費をかけてばらまく意味はあるのかと。
シリーズ 変なニッポン 3 ゴリ押し定額給付金、 使い道も政府の言いなりですか?:日経ビジネスオンライン

定額給付金は「バラマキ」ではない。「取りすぎた税金を還す」ことだ。定額給付金という手法自体は、別に悪くない。もちろん、国債を発行してやるようなことではないが。

税金ではなく寄付を納め、公益に与する“寄付政治”の揺籃が、今まさに起こりつつある日本。霞が関で予算を奪い合っている人たちは、何を思うのだろうか。

小さな政府、最小国家、無政府資本主義という政府解体の過程は、政府の仕事を民間が奪っていく過程でもある。

ミルトン・フリードマンは寄付に肯定的だったが、ウォルター・ブロックは寄付に否定的だ。いまの私は、どちらかというと否定的だ。

政府もNPOもない世界。税金によっても寄付によっても「公的サービス」は提供されない。あらゆるものが私企業によって提供される。本当に可能だろうか? もっと考えていく必要がある。

【定額給付金基金】-みんなの寄付で世界を変えよう-|寄付文化を創造する「チャリティ・プラットフォーム」

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