Archive for the ‘marketing’ Category

Showbiz: 映画ビジネス

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Saturday, August 16th, 2008

「映画ビジネスデータブック 2008 (キネ旬ムック)」がおもしろい。巻末データ集を見ると映画業界の閉塞感がよくわかる。総興行収入は一段落しているが下がってはいない。問題は鑑賞人口が30年来横ばいであること。見方を変えれば30年間で客単価を30%アップしたともいえるのだが。主要各社トップのインタビュー掲載などもあり面白い。 それにしても成熟病。インサイダーは自覚できないものだと思うが、イノベーションのジレンマに陥っているようだ。「マーケットに対して製作本数が多すぎる」という業界人の発言がある。まるで衰退産業のようだ。しかし映画産業が衰退期にあると結論を出すのは、まだ早いように思う。新市場を立ち上げることが可能かもしれない。ただ、その新市場がもはや「映画」という概念に収まるかどうかは分からないし、たびたび伝統、仕事のやり方を変えたくない保守的心理が変化の障害になるのも事実だから、いまの映画人が適応できるのか、空気を読まないアウトサイダーにより新しい「映画」産業が創出されるのかは分からない。 鷹の爪、GOLDEN EGGS、ほしのこえへ注目する人は、新しい映画ビジネスのビジョンを探したいのだろう。  また、デジタル・シネマによる、超インディペンデントな作品も今後は増えることだろう。デジタル機材が高精度、安価になることから、劇場から非劇場へと映画の場が広がっていくだろう。今後、映画の境界、垣根はどんどん曖昧になっていくのではないだろうか。 「映画ビジネスデータブック 2008」p.22 ポニョやスパイダーマンなどはレッドオーシャン。大資本の独壇場。それ以外のプレイヤーによる新市場型破壊、ローエンド型破壊は実現するか。産業全体としては、もはやハイエンド(大作)ではなく、ローエンド(インディ、単館、ネットなど)にイノベーションがあるはずだ(おそらくは)。ならば、そこを考えたい。 以下、門外漢なので思いつきに過ぎないが、映画業界人のヒントにでもなればよいと思って極端なアイデアを書いておく。 あるアイデア 基本となる考え方は「マネー・ボール」。ホームランを狙わず、ノーアウト1塁から3アウトを有効に使ってランナーをホームに還す野球のように。最初は企画をローコストにテストする。リスクコントロール。現状は掛け金の単価が大きすぎるのでは。小さくたくさん投資して、あたったら追加投資。 一定の条件を満たすクリエイターに無審査で「特報」制作費をばらまくというのはどうだろう。1件100万〜500万円くらいのコール・オプション。対価は優先的かつ排他的な投資交渉権。新しい作品の供給源を抑えることになる。良い作品の獲得競争という観点では情報の独占は有利。あるいは、パトロン役のプロデューサが若い監督に金を渡す、といった非公式な活動が以前からあるのかもしれないが、そういうことを組織的に、モンテカルロシミュレーションなどのファイナンス理論にもとづいて、きちんと計算されたリスクの中で実行すればどうだろうか。パイロット版は予告編(特報)としてネット上で配信し(※ネガドンという例がある)、人気投票により製作を決定するという具合。投資組合までいかなくても予測市場のメカニズムを導入して集合知に頼ってみるのも面白い(※参考:はてなアイデア)。それで100万→500万→3000万→1億5千万といった具合に段階的に投資し、段階的に市場に投入して反応を検証していけばいい。リスク管理とはそういうことだ。このやり方で作られる映画は、単なる企画書の段階で2億円集めて作ったものよりも確率的に良いものになる可能性が高いだろう。同じ2億の使い方として成功確率が高まるんでは無かろうか。(※この資金は個々の映画の製作委員会とは別の提供者を必要とする。新たな特報試作ファンドとか) 繰り返しになるが、ここで対象としているのはローエンド、そもそも大金がかからない映画。ネガドンは個人的なリスクテイクにより生み出されたが、そこをファイナンスで仕組み化する。1分以内の「特報」が年間100本つくられて、ネット上で反応を確かめられて、有望なものは追加投資されて実際に中身が作られる。そういう状態を作るのに数億円かけたとして、それが無い状態で投資される全案件の総額(数十億円)の期待リターンがどれくらい変わってくるか、という話。理論上はオプションの活用によりリスク低減できる可能性がある。実際にはオプションのコストと効果による。(※私は映画ビジネスの詳細なデータにアクセスできないので、オプションの有効性がどれくらいか推定できない) 別のアイデア 映画の値段(1,800円)はそのまま、尺を30分にしてみる。観客にとって、時間単価は高くなるが、それは割高感というネガティブ要素になるだろうか(※値下げしたほうがいいかもしれないがこのアイデアの本質ではない)。むしろ時間拘束が短い、という付加価値ではないか。また、制作コストのうち時間比例の部分は削減される(※それが3〜4分の1になる効果がどの程度かは知らないが)。時間拘束の短さによるカジュアルユーザ取り込みという新市場開拓(※ニンテンドーDSのカジュアルゲーム市場開拓のイメージ)。尺が短ければ2次利用もしやすくなるのではないか。成功した作品はシリーズ化により利益を重ねていく。 さらに別のアイデア バリューチェーンの高付加価値部分について専門下請け企業なって高収益を目指す道。資金調達と回収可能性、つまりマーケット規模の点で、日本市場と世界市場を比べるまでもない。ハリウッドに主導権を握らせて、日本の映画産業はハリウッドの下請けになる。キャスト、スタッフ、コンテンツなどの提供。PCメーカーよりも台湾の下請け企業のほうが儲かっているように、かならずしも最終製品のパッケージングを手掛ける企業が高収益になるわけではない。 以上のアイデアは組み合わせも考えられる。 私は門外漢だから業界事情に疎く、どのような試行錯誤がなされているのか知らない。ただ、こういうことをやっていれば、何かしら門外漢にも見える変化はあるだろうと思う。それが見えないので、あまりこういう試みは実行されていないのかなと思っている。 私はWebビジネスを専門にしているから、もし映画業界人の人がWebを活用した展開(予測市場など)に興味があればコンタクトしてください。協力できるかもしれません。連絡先はです。

Public Relations: コミュニケーションのリスク

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Wednesday, July 30th, 2008

 インドでの自社の成功しているマーケティング活動の模様が取材され、自国ではなく日本で放送されたときに、日本のマーケット、日本の消費者に、どのような心理的影響を与えるのか? この点に関して、インドのユニリーバ現地法人の広報担当者は、あまり考えていなかったのではないか、と推察します。 via: NHKスペシャルの衝撃 〜企業広報が「覚悟」すべきディスコミュニケーション:NBonline(日経ビジネス オンライン) PRの専門家でありながらリスクマネジメントが甘かった。PRにおいて発信した情報や活動への批判を避けるのは大前提だ。そのうえに良好なイメージを形成し、有益な情報を提供するという機能がある。こういう「事故」があってはならないのだ。 via: analog | The Whiteband Project: Revisited 広報を含む概念がPR(public relations)だ。お客様、仕入先、株主、従業員、地域社会などすべてを含む「社会」と良い関係を築いていく活動。上記のNHK報道はユニリーバ社と日本の消費者との関係を傷つけただろう。  では、番組をつくったNHKは「フェアではなかった」のでしょうか?  私はそうは思いません。番組はインドの成長する市場をレポートするものであり、その結果が及ぼす取材先企業の日本のマーケットにおける好感度にまで配慮するのは、テレビ局の責任を超えていると思います。 via: NHKスペシャルの衝撃 〜企業広報が「覚悟」すべきディスコミュニケーション:NBonline(日経ビジネス オンライン)  そして、少々乱暴な言い方になるかもしれませんが、どんな会社であれ、突っ込まれれば答えに窮する、批判される隙は持っていないわけがない。  無謬、無傷、瑕疵のない組織や商売など存在しません。だとしたら、誤解されたときにそれにどう対処するのかが大切です。 via: NHKスペシャルの衝撃 〜企業広報が「覚悟」すべきディスコミュニケーション:NBonline(日経ビジネス オンライン)

The Halo Effect: なぜビジネス書は間違うのか

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Saturday, July 19th, 2008

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想 フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳) 大ヒットビジネス書の多くは「妄想」に支配されている。 下記の書は、ことごとく妄想だという。わりと同意。 エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics) ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則 ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則 著者はスイスIMD(国債経営開発研究所)の教授である。彼が繰り返し目にしてきたのは「経営者や教授たちが単純な答えを求め、どこから見てもばかげているのに疑問ももたず、自分の頭で考えることもせずに、手軽な解決策をありがたがる姿」だったという。 つぎつぎと出版されるビジネス書には、その核心に共通の虚構があるのが見えてくる。すなわち、起業は偉大になることを自由に選択できる、わずかなステップで意図したとおりに偉大になれる、成功は外的要因に影響されることなくもっぱら自分の意のままに引き寄せることができる、ということだ。これでは大金持ちになる五つのステップとか、二週間で一〇キロ痩せる方法とか、みずからの内なるパワーに気づこうといったセルフヘルプの本と大差がない。しかも、仮にこれらのことを認めるなら、その逆のこともいえる。会社が偉大にならなかったら、経営者がどこかで舵とりをまちがえたことになるのだ。教えられたステップを無視したか、道を踏みはずしたにちがいない。みずからの意思と力だけで偉大になれるなら、なりそこねるのも自分の責任なのである。 pp.214-215 ビジョナリー・カンパニーはカルトのような社風を賞賛しているが、じつは、それ自体がカルトではないか。 安直な攻略法がほしくても、現実のマネジメントは私たちが思う以上に複雑で、心地よいストーリーがささやくよりもはるかに不確実なのである。智恵ある経営者は、ビジネスとは成功の確率を高める方法を見出すことだと認識している。成功が確かなものだとは決して思っていない。企業は適切な戦略を選択し、業務の効率化につとめ、なおかつ幸運に恵まれれば、少なくともしばらくはライバルに差をつけることができるだろう。だが、そうして手に入れたものも、やがては消えていく。現在の成功はつづく成功を保証してくれるわけではない。成功は新しい挑戦者を引き寄せ、そのなかには現在の成功者以上にリスクを厭わない者がいるからである。これでおわかりいただけただろう。ストーリーとして魅力があっても、成功の公式など存在しない。 pp.239-240 著者は「ビジネスについての私達の考え方が多くの妄想でかたちづくられているということ」を伝えたかったのだという。その詳細は本書を読んでいただこう。結びでは、それらの妄想を拭い去った者へのアドバイスとして、下記の点を上げている。 どんなによい戦略にもリスクがある。もし愚か者でも失敗しない確実な戦略を策定したと思う者がいたら、愚か者は本人かもしれない。 実行にも不確実要素はつきものである。ある会社でうまくいあったことも、社員も何もかも違う別の会社では、結果も違ったものになるだろう。 ビジネスは私たちが考える以上に、そして成功した経営者が認める以上に、運に大きく左右される。 原因と結果の関係は明確ではない。失敗しても経営者の判断ミスのせいとはかぎらず、成功も経営者の手腕のおかげとはかぎらない。 だが、いったん賽を投げたなら、すぐれた経営者は社運をツキにゆだねることなく、粘り強さと熱意こそがすべてであるかのように行動する。 さて、これで成功は間違いないだろうか。もちろん、そんなことはない。しかし、以上のことを心がけていれば、成功の確率を高めることができるだろう。それこそが本当に目指すべき目標である。そしてもう、成功の公式にしたがっているのになぜ貨物を積んだ飛行機はやってこないのかと、南の島の浜辺で茫然と立ちつくすこともないだろう。 pp.265-266 なお、科学とそうでないもの、レポートとストーリーの違いについても説明している。 リチャード・ファインマンは、科学を「こうしたらどうなるかというかたちに変換できる疑問に答えるための手段」と定義した。科学は、美や真実、正義、分別、倫理とは関係のない、きわめて実際的な学問である。 pp.34 レポートとは、何よりも事実を伝えることであり、作意や解釈が紛れこんでいてはならない。(略)他方、ストーリーは人々が自分の生活や経験の意味を理解するための手段だ。よいストーリーの条件は、事実に忠実であることではない。それよりも、ものごとが納得いくように説明されていることが重要なのである。 ストーリーがいけないのではない。ストーリーだとわかって読むならかまわない。ところが油断ならないことに、科学の仮面を被ったストーリーが知らぬ間にはびこっている。いかにも科学です、という顔をしているが、そこには真の科学の厳密さも論理もない。エセ科学なのだ。ファインマンはもっと印象的な言葉を用いて、これをカーゴカルト・サイエンス(積み荷信仰の科学)と呼ぶ。 南太平洋に独特の信仰をもつ人々がいます。彼らは戦争中に飛行機がたくさんの物資を運んでくるのを見て、同じことがまた起こってほしいと願っているのです。滑走路のようなものをつくり、その両わきに松明を並べ、木の小屋を建てて男を一人置いている。男はアンテナのように竹の棒が突き出したヘッドホンそっくりの木片を両耳につけ---彼は管制官なのです---そうして、みんなで飛行機が到着するのを待っている。手抜かりはありません。見たところ準備は完璧です。けれども、効き目がない。飛行機はこないのです。私はこれをカーゴカルト・サイエンスと呼んでいます。手順も形式も表面上は科学ですが、肝心なものがない。飛行機が着陸しないからです。 pp.38-39 『なぜビジネス書は間違うのか』は劇薬だ。感情的な反発をするだろう。この言葉を覚えておいてほしい。 ひとたび自分の心の中で「Xは正しいんだなぁ」と納得したものを否定されるのは、誰にとっても不愉快な経験です。 analog | Argument: ダメな議論 誤解の無いように、ストーリーはレポートより価値が低いわけではない。 『ビジョナリーカンパニー』は、読者に勇気をくれる素晴らしい本だ。ストーリーとしては極上。ただ、科学やレポートや「ビジネスの物理法則」などと思って読まなければ良い。栄養剤や気付け薬のように、偉大な企業の成功物語を読むことで、前向きに働くエネルギーを得るのだ。それが害のない読み方だ。 ストーリーは「人が生きるために必要なもの」と言える。ストーリーのない人生というのが想像できない。というか無理矢理想像すれば、それは「将来への希望を何も持たない人生」だろうか。やっぱり想像したくもない。 ただ、どうしても言っておきたいのは、ストーリーはあくまでストーリーでしかなく、現実そのものではない、ということだ。 「一生懸命やれば報われる」と信じて生きることと、実際に「一生懸命やれば報われる」(それが絶対の法則である)かどうかは、別問題だということだ。感情と理性のバランスとでもいうのか。それを一緒にしたがる人が多いのだが。 「成功するまで止めなければ失敗はない」などと言う人がいる。ストーリーとしては素晴らしい。奮い立たせる。しかし、まったく事実ではない。成功するまで何年かかるかは確率による。生きているあいだに成功しなかった人も「確率的には成功」しているのだろうけれど、そのような考え方に何の意味があるのだろうかと思う。 世界が「こうあってほしい」という願いは尊い。しかし、「こうあってほしい」というバイアスで世界を見てはいけない。人間が(あるいは「あなたが」と読んでください)「こうあってほしい」と思うようには、世界は成り立っていない。子供がやるように、目を瞑って百数えたところで、いやな現実から逃げられるわけでもない。 現実の世界そのものを見つめること。それが妄想の支配から逃れる第一歩だと思う。 平和は祈るものでも、怒りの対象にするものでもない。 固い信念と行動で作り出して行く物だと自覚して欲しい。 naotakegymnasium::mt: 被爆三世としてひとこと言っておくか

Manipulated: 統計(笑)

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Thursday, July 17th, 2008

「企業の調査結果」は、パブリッシュメントされたその時点で所謂「二次ソース」だ。 企業に有利なバイアスがかかってる可能性が高いし、 調査の質にもバラつきがある。 その「統計的な数字」に乗っかると企業の思う壺だから、 原則疑ったほうが良いぜ、ベイビー★ via: 調査会社出身の私が、WEB上の数字について一言★ - Out of Order. 統計を見るときは、まず発表者、調査対象、そこから「意図」を読み取ること。統計調査の結果発表は「情報操作」が目的で行われます。結論ありきで結果は操作されるのです。 via: analog | 「システムエンジニアの平均年収、594万円」の真っ赤なウソ

Propotional: 比例、反比例、相関係数

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Tuesday, July 1st, 2008

ビジネスマンのなかには「比例」「反比例」という言葉を安易に使う人がけっこういます。実際には「相関」「線形従属」の誤りだったりします。まあ「比例」と「線形従属」の混同は構いません。問題は「比例(ただし係数が負)」と「反比例(xの-1乗に比例)」の区別がついていない人。xを増やしていくと誤りに気付くことになるでしょう。 きちんと数学を勉強していないと「ロングテール」という言葉だけなんとなく知って「ベキ分布」と「反比例」の区別ができなくなってしまいそうです。 私自身は「比例」「反比例」などの言葉を使うときは、その根拠として数学モデルや、そのモデルのための仮説まで説明するのが良心的な態度だと思います。つまり、それだけの覚悟をしないで「比例」「反比例」といった数学用語を使わないようにしています。 私は「相関」という言葉ならよく使う。相関係数が正とか負とか言ってれば、数学的な「間違い」にはならない。ただ「相関」は通じない事もある。そこでも、やはり「比例」などとは言わずに「右上がり」「右下がり」と言う。関数形のおおまかな傾向だけ。それが安全。 教訓 比例と指数関数の区別がつかない人に金利計算をさせてはいけない。 反比例と指数関数の区別がつかない人にロングテールを語らせてはいけない。 See also: 比例 - Wikipedia