Archive for the ‘management’ Category
Saturday, July 26th, 2008
技術指向ベンチャー企業のロールモデル
ソニーの井深と盛田
ホンダの本田と藤沢
仙石浩明CTO の日記: 技術力が高い人こそ、ビジネスモデルの良し悪しにもっと敏感になるべき
逆に、優れた儲ける仕掛けを生み出すことができる有能な戦略家は、 一日24時間、儲ける仕掛けを考え出すことばかりに夢中で、 その仕掛けを下支えする高度な技術のことは軽視してしまいます。 技術なんて下請けをいじめればなんとでもなると考えてしまい、 決して技術者をパートナーとは考えません。 技術者を、売るものを作ってくれる便利な人と考えてくれればまだマシなほうで、 下手するとコストばかりかかる必要悪くらいの勢いで、 原価削減の手法をあれこれ考え始めたりします。 しかし技術を軽視したツケは、いろいろな形で払うことになるでしょう。 事業を下支えする技術が脆弱であれば事業の継続性が危ぶまれますし、 技術面で他社との差別化が行なえずに他社の参入を許してしまうかも知れません。
404 Blog Not Found:ギークレスIT企業の(奇|軌)跡 - 書評 - 謎の会社、世界を変える。
著者達をはじめとする同社スタッフの卓越したコミュニケーション能力があれば、今後もシステムを外注し続けられるかといえば、それは可能だろう。しかしそれでは競争相手にスピードで敵わない。同社がパワーポイントの資料を作っている間に、ギークが中にいる会社なら実際に動くシステムを作ってしまえるのだ。filmoも、ドワンゴなら一日、いや半日で動くプロトタイプを作っていたはずである。
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Saturday, July 19th, 2008
なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想
フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳)
大ヒットビジネス書の多くは「妄想」に支配されている。
下記の書は、ことごとく妄想だという。わりと同意。
エクセレント・カンパニー (Eijipress business classics)
ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
著者はスイスIMD(国債経営開発研究所)の教授である。彼が繰り返し目にしてきたのは「経営者や教授たちが単純な答えを求め、どこから見てもばかげているのに疑問ももたず、自分の頭で考えることもせずに、手軽な解決策をありがたがる姿」だったという。
つぎつぎと出版されるビジネス書には、その核心に共通の虚構があるのが見えてくる。すなわち、起業は偉大になることを自由に選択できる、わずかなステップで意図したとおりに偉大になれる、成功は外的要因に影響されることなくもっぱら自分の意のままに引き寄せることができる、ということだ。これでは大金持ちになる五つのステップとか、二週間で一〇キロ痩せる方法とか、みずからの内なるパワーに気づこうといったセルフヘルプの本と大差がない。しかも、仮にこれらのことを認めるなら、その逆のこともいえる。会社が偉大にならなかったら、経営者がどこかで舵とりをまちがえたことになるのだ。教えられたステップを無視したか、道を踏みはずしたにちがいない。みずからの意思と力だけで偉大になれるなら、なりそこねるのも自分の責任なのである。 pp.214-215
ビジョナリー・カンパニーはカルトのような社風を賞賛しているが、じつは、それ自体がカルトではないか。
安直な攻略法がほしくても、現実のマネジメントは私たちが思う以上に複雑で、心地よいストーリーがささやくよりもはるかに不確実なのである。智恵ある経営者は、ビジネスとは成功の確率を高める方法を見出すことだと認識している。成功が確かなものだとは決して思っていない。企業は適切な戦略を選択し、業務の効率化につとめ、なおかつ幸運に恵まれれば、少なくともしばらくはライバルに差をつけることができるだろう。だが、そうして手に入れたものも、やがては消えていく。現在の成功はつづく成功を保証してくれるわけではない。成功は新しい挑戦者を引き寄せ、そのなかには現在の成功者以上にリスクを厭わない者がいるからである。これでおわかりいただけただろう。ストーリーとして魅力があっても、成功の公式など存在しない。 pp.239-240
著者は「ビジネスについての私達の考え方が多くの妄想でかたちづくられているということ」を伝えたかったのだという。その詳細は本書を読んでいただこう。結びでは、それらの妄想を拭い去った者へのアドバイスとして、下記の点を上げている。
どんなによい戦略にもリスクがある。もし愚か者でも失敗しない確実な戦略を策定したと思う者がいたら、愚か者は本人かもしれない。
実行にも不確実要素はつきものである。ある会社でうまくいあったことも、社員も何もかも違う別の会社では、結果も違ったものになるだろう。
ビジネスは私たちが考える以上に、そして成功した経営者が認める以上に、運に大きく左右される。
原因と結果の関係は明確ではない。失敗しても経営者の判断ミスのせいとはかぎらず、成功も経営者の手腕のおかげとはかぎらない。
だが、いったん賽を投げたなら、すぐれた経営者は社運をツキにゆだねることなく、粘り強さと熱意こそがすべてであるかのように行動する。
さて、これで成功は間違いないだろうか。もちろん、そんなことはない。しかし、以上のことを心がけていれば、成功の確率を高めることができるだろう。それこそが本当に目指すべき目標である。そしてもう、成功の公式にしたがっているのになぜ貨物を積んだ飛行機はやってこないのかと、南の島の浜辺で茫然と立ちつくすこともないだろう。 pp.265-266
なお、科学とそうでないもの、レポートとストーリーの違いについても説明している。
リチャード・ファインマンは、科学を「こうしたらどうなるかというかたちに変換できる疑問に答えるための手段」と定義した。科学は、美や真実、正義、分別、倫理とは関係のない、きわめて実際的な学問である。 pp.34
レポートとは、何よりも事実を伝えることであり、作意や解釈が紛れこんでいてはならない。(略)他方、ストーリーは人々が自分の生活や経験の意味を理解するための手段だ。よいストーリーの条件は、事実に忠実であることではない。それよりも、ものごとが納得いくように説明されていることが重要なのである。
ストーリーがいけないのではない。ストーリーだとわかって読むならかまわない。ところが油断ならないことに、科学の仮面を被ったストーリーが知らぬ間にはびこっている。いかにも科学です、という顔をしているが、そこには真の科学の厳密さも論理もない。エセ科学なのだ。ファインマンはもっと印象的な言葉を用いて、これをカーゴカルト・サイエンス(積み荷信仰の科学)と呼ぶ。
南太平洋に独特の信仰をもつ人々がいます。彼らは戦争中に飛行機がたくさんの物資を運んでくるのを見て、同じことがまた起こってほしいと願っているのです。滑走路のようなものをつくり、その両わきに松明を並べ、木の小屋を建てて男を一人置いている。男はアンテナのように竹の棒が突き出したヘッドホンそっくりの木片を両耳につけ---彼は管制官なのです---そうして、みんなで飛行機が到着するのを待っている。手抜かりはありません。見たところ準備は完璧です。けれども、効き目がない。飛行機はこないのです。私はこれをカーゴカルト・サイエンスと呼んでいます。手順も形式も表面上は科学ですが、肝心なものがない。飛行機が着陸しないからです。 pp.38-39
『なぜビジネス書は間違うのか』は劇薬だ。感情的な反発をするだろう。この言葉を覚えておいてほしい。
ひとたび自分の心の中で「Xは正しいんだなぁ」と納得したものを否定されるのは、誰にとっても不愉快な経験です。
analog | Argument: ダメな議論
誤解の無いように、ストーリーはレポートより価値が低いわけではない。
『ビジョナリーカンパニー』は、読者に勇気をくれる素晴らしい本だ。ストーリーとしては極上。ただ、科学やレポートや「ビジネスの物理法則」などと思って読まなければ良い。栄養剤や気付け薬のように、偉大な企業の成功物語を読むことで、前向きに働くエネルギーを得るのだ。それが害のない読み方だ。
ストーリーは「人が生きるために必要なもの」と言える。ストーリーのない人生というのが想像できない。というか無理矢理想像すれば、それは「将来への希望を何も持たない人生」だろうか。やっぱり想像したくもない。
ただ、どうしても言っておきたいのは、ストーリーはあくまでストーリーでしかなく、現実そのものではない、ということだ。
「一生懸命やれば報われる」と信じて生きることと、実際に「一生懸命やれば報われる」(それが絶対の法則である)かどうかは、別問題だということだ。感情と理性のバランスとでもいうのか。それを一緒にしたがる人が多いのだが。
「成功するまで止めなければ失敗はない」などと言う人がいる。ストーリーとしては素晴らしい。奮い立たせる。しかし、まったく事実ではない。成功するまで何年かかるかは確率による。生きているあいだに成功しなかった人も「確率的には成功」しているのだろうけれど、そのような考え方に何の意味があるのだろうかと思う。
世界が「こうあってほしい」という願いは尊い。しかし、「こうあってほしい」というバイアスで世界を見てはいけない。人間が(あるいは「あなたが」と読んでください)「こうあってほしい」と思うようには、世界は成り立っていない。子供がやるように、目を瞑って百数えたところで、いやな現実から逃げられるわけでもない。
現実の世界そのものを見つめること。それが妄想の支配から逃れる第一歩だと思う。
平和は祈るものでも、怒りの対象にするものでもない。
固い信念と行動で作り出して行く物だと自覚して欲しい。
naotakegymnasium::mt: 被爆三世としてひとこと言っておくか
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Saturday, July 19th, 2008
インテル戦略転換
アンドリュー・S. グローブ (著), Andrew S. Grove (原著), 佐々木 かをり (翻訳)
これはインテルという会社の戦略についての書ではない。
産業の基礎的競争要因を変えてしまう「10Xの変化」により突きつけられる「戦略転換点」に立ち向かう経営者が何をすべきか説いた書だ。
決して「解」を教えてくれるわけではない。ポイントは原題"Only the Paranoid Survive"が示している。「異常なまでの心配性だけが生き残る」。
どうすれば生き残れるか。それを突き詰めた行動原理はこうなるだろうというものだ。
その意味で「インテルという会社についての書」でもなければ「戦略についての書」でもないのだ。
「戦略的行動」についての書なのだ。
クリステンセン「イノベーションへの解 収益ある成長に向けて」とあわせて読むと、共通点の多さに気づく。
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Monday, July 7th, 2008
あっさり前言撤回しよう。
ここに大きな違和感を感じるのだ。人が人を統べる方法において古代も現代もあるものか。古代ギリシアの政治や軍隊組織よりも、現代のわれわれはよりよく組織運営している、などと無邪気に信じるとすれば進歩主義の浅薄さも極まったものだ。
via: analog | Progressive Management: 経営の未来
ゲイリー・ハメル氏は、じつは「人が人を統べる」ことを否定しようとしている。経営学の教授でありながら。
だから、私の理解が誤っていたのであって、改めて読んでみると、なるほど興味深い主張に彩られているのだった。
そのうえで、あらためて彼の提出した課題の先に、何があるのか考えてみる。
ここからは、彼ではなく、私の考えを述べるが。
「従業員」という概念の破壊。
これだ。
「経営管理イノベーション」とは「経営管理」そのものを不要にする圧力と、しかしそれなしに事業活動がまともに運営されないという逆方向の圧力の、せめぎあうところを見いだそうという視点。この前者の圧力を持ち出すことで、後者との均衡点を探ることができるようになった。
そして、サラリーマン、フリーエージェント(個人事業主)を経て起業した人間として、言わせてもらおう。
※注:「雇われ」「雇われず」「雇う」という3者を経験したという意味
「従業員の雇われ意識」を撲滅したければ、名実共に「雇う」「雇われる」という関係をやめること。つまり「雇用」という仕組みから離れることだ。
ある程度の確信を持って言えることなのだが、いまの日本で「企業」という形態でそれを実現することは大きな困難を伴う。個人事業主の集合で、LLPといった形態により運営するならば、可能だろう。
もし改めて会社を作る機会があるならば、そういう形態を試してみたいと思う。
そうでなければ、障壁が多すぎて、有効な試みは難しい。労働法が足かせになる。
私の考えを少し詳しく整理しておく。「経営管理を不要にする」ための方向性を、少なくとも2通りは見つけた。
1.会社と構成員(≠従業員)を対等な関係に
→これを日本の法律は阻む。「従業員」に有利な法規制。
2.会社を解体し、個々の構成員(≠従業員)の集合体(≒組合)にまで簡素化する
→これは個人事業主が集まってLLPという形態をとることで可能ではないか。
現時点では、以上のように考えた。
もちろん、一般論として、日本人相手には難しいだろう。「雇いません。個人事業主としてLLPに入ってください」では。「寄らば大樹の陰」な心理の人には向かない。しかし、すでにフリーエージェントは少なくないのも事実。多くの会社で可能かというと、無理だが、ごく一部、このモデルでうまくいく会社が生まれるかもしれない、とは思う。
■参考文献
フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか
経営の未来
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Wednesday, June 25th, 2008
状況の理解は客観的に。統計や論理思考が役に立つ。
十分に注意しなければ「人は見たいものを見る」という認知バイアスに騙されるであろう。
意志の決定は主観的に。哲学や価値観が役に立つ。
十分に注意しなければ「論理的には正しいが、意味はない」という決定をしかねない。
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