Archive for the ‘literacy’ Category

Emotion: 感ずること

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Sunday, June 8th, 2008

感心することを怠りなく学ぶ事。感心するにも大変複雑な才能を要する。感心することを知らない批評家は、しょっ中無けなしの財布をはたいている様なものだ。 (小林秀雄「断想」) 小説をつかまえるために、暗闇の中で目を見開き、沈黙の中で耳をすます。 via: analog | Writing School: 一億三千万人のための小説教室

Writing School: 一億三千万人のための小説教室

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Sunday, June 8th, 2008

『一億三千万人のための小説教室』 高橋 源一郎著 ■何を書くか 自分にしか書けない小説とは何か。それは、自分にしか見えない世界の見え方である。自分にしか見えない世界の見え方とは、自分の中に見つけるしかない。自分がよく知っていることを書くしかない。つまり、まずは自分の中に小説のモチーフを見つけること。これが小説を書く前の準備である。 小説は書くものじゃない。つかまえるものだ。 ■感性を養う いろいろな文章を読む。肯定的に読む。目を背けたくなるようなものほど、自分に足りないもの。これまで読んだことがないような文章を、どんどん読んでみる。言葉や、作家の感性に対する、感覚を鋭くする。自分にしか見えないものを見つけるためには、人が面白さを見出さないところに、面白さを見出せる、感性が必要だから。飛んでくるボールに対して、自然に体が動くようになるまで、ボールを追いかける。 小説をつかまえるために、暗闇の中で目を見開き、沈黙の中で耳をすます。 ■どう書くか 自分が好きな作家を、文章を見つける。それを真似る。何度も書き写す。最初は、独創的に書こうなどと、思ってはならない。ただ、真似ることだけを考える。そのうち、その作家が書いたかのような文章を、自然に書けるようになったら、それはたしかに、自分の文体になったといえる。そうならなければ、それはおそらく、そのときの自分が求めているものではなかったのだろう。また、真似る対象は一つとは限らない。そうしているうちに、自分の独創的な文体というものが、出来上がっている。 小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる。 ■最後に 自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて。 「小説を捕まえる瞬間」を数多く知り、自分が小説を捕まえる型を手に入れることが、プロの小説家になる道だと思った。

Writing: 書かなければ何も解らぬ

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Saturday, June 7th, 2008

解るために書くのである。 文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事との間に何んの区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。拙く書くとは即ち拙く考える事である。拙く書けてはじめて拙く考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。予め解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか。 (「文学と自分」小林秀雄)

i’m not who i was: 過去の自分

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Tuesday, June 3rd, 2008

analog | 西東京いこいの森公園の設計業者選定プロセス (lang:ja only) 何ヶ月もたっているので、まるで他人の文章だ。何を書いたか覚えていない。やはり自分から出てきた文章ではなく、切り貼りして解釈しただけのものはじぶんの血肉にならないということだろう。 客観的に読んで面白かったけど。当たり前か。自分で面白いと思ったことについて書いた文章なのだから、その内容を忘れていたとしても、やはり面白いと感じるとは、いかにもありえそうな話だ。 あるいは何年も日記を書いている人にとっては、何をいまさらといわんばかりの話かもしれないが。

Never Be Perfect: やるべきことをやりきる

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Thursday, May 15th, 2008

「完璧な仕事」と「失敗が無い」ことはイコールではないですね。完璧な仕事をして、失敗することがある。「不可避な失敗」が存在する。いいかえると、私の考えでは「完璧な仕事」を「結果としての失敗のないこと」で定義するのは誤り。重視すべきは結果ではなく過程のほう。 実は過去のケースもホワイトバンドと大差無い甘い見通しでやってきていたが規模が小さかったから偶然うまくいっていただけの話で、ホワイトバンドでは規模を大きくしたために根本的な問題が顕在化した、とかそういう話だったりしたら嫌だな、と。いや、工学分野における失敗学の嚆矢とされる 橋はなぜ落ちたのか とゆう本に失敗のパターンとしてそういう例が挙げられてるんです。 via: raurublock on Hatena 「規模を拡大することで、潜在的な失敗要因の影響が閾値を超えて、失敗が実現してしまった」というパターンだとしたら、該当するかもしれませんね。 ただ、それが分かったとして、回避できない。 その本をまだ読んでいないので想像ですが(いま買いました)、この紹介文「橋はなぜ落ちたのか 設計の失敗学、ペトロスキー」を読む限り、「未知の失敗は回避不可能」だ、という主張なのかなと。私もそう思います。 失敗のない――過去の成功モデルは、設計が完全であることを証明しない。なぜなら、潜在的な失敗要因が、まだ経験されていない条件によって引き起こされるかもしれないからである。 そもそも「潜在的な失敗要因」すべてを網羅できない。また、「経験されていない条件」が多すぎる。マーケティングは社会科学であり、厳密な実験ができない。同一条件を再現することができない。再現性が無い。だから、未知の失敗が起こる可能性が残ってしまう。 架空の失敗例で説明を。 テレビCMを開始した直後に、そこに出てくる表現が不適切になってしまうような事故。CM中で地震の場面がコミカルに使われており、実際に大地震が起こる。こんなの予測不可能。「そういう事例があったなら、地震はネタにしなければいい」って? 映画「ジョーズ」にかけてサメが襲ってくるCMを作ったら、人が実際にサメに襲われて死亡した。これでも「事前に回避可能」でしょうか? そういう事故をネタにするからダメ? かわいい赤ちゃんが出てくるCMを流していたら、その親が殺人事件を起こした。これ想定可能? 論理的にいってマーケティングには「失敗をゼロにできない」という宿命がある。だから残念ながら「完璧な仕事」が「失敗ゼロ」を保証しない。 ここで、実践者としては一種の諦め、達観が必要でしょう。 やるべきことはすべてやる(=完璧な仕事をする)けれど、しかし結果が失敗に終わるかもしれない(=結果としての失敗)。ただ、それは仕事そのものの良し悪しに、なんら影響をあたえるものではない。結果の失敗があったとしても、「完璧な仕事」のやり方を改める必要はない。 このことを昔の人は「人事を尽くして天命を待つ」と言ったのです。 蛇足: 人間の「後知恵バイアス」はものすごく強力でやっかいだと自覚しない限り、さも「わかったふう」になって、自分はそんな失敗しないと思い込んで、失敗しちゃう。人間って浅はかなので。 詳しくは「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」参照。 この本はことあるごとに紹介することになると思う。というかサイドバーからリンクすべきだと思った。

Not Mentioned

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Thursday, May 15th, 2008

「他人の失敗から学ぶ」ときには自分の「後知恵バイアス」を意識しなければ有効な(自分に置き換えて学びとなる)議論にならない。その点に要注意ですが、ホワイトバンドの失敗からは有意義な学びが得られるはず。 ぶっちゃけ、どうやってればホワイトバンドの失敗って回避できたんですかね。後知恵ってことになりますけど、何がまずくてどう直せばよかったんかな。 raurublock on Hatena 今回のケースについては、「ホワイトバンドの購入が寄付になる、と購入者に誤解させてしまった点」が主要な失敗と思います。 よって、この失敗要因だけについていうならば、事前にそのような受け取られ方をするであろうことを想定し、適切な対策をすべきだったかと。 必要な能力:PRのプロとしての想像力 対策:適切な注意書きや、誤解を受け取られないようなコミュニケーション戦術 後知恵としては、こうなりますね。 もし本業ならば、十分なリソースを割くことで、回避できたミスだろう、と思うわけです。 と、同時に、実際には「本業ではなく好意でNPOを支援した事業」であって、おそらくスター社員は投入していないかもしれないし、予算も十分ではなかったかもしれないし、社長の時間も初期の立ち上げにしか使えなかったのかもしれない。(ミスはマーケティングのインプリメンテーションのフェーズで起こっています) ここからメタな失敗要因を学び取るとするなら、強引ですが、「本業に近い領域だからと言って、手抜きすると、手抜きしたなりの仕事になってしまう」という学びですね。当たり前ですが。安易に「手伝い」とか「好意」で仕事をすると、なまじプロだけに、失敗への風当たりが強くなる。自分では「手伝い」や「好意」なんだから甘く見て欲しいとしても、そう見てもらえない。結果として会社のブランドに傷がつく。 こういうメタ失敗はあるかなあと。私にも過去の事例で思い当たる節はあるなあ(苦笑 ただ、私はサニーサイドアップの社長さんの男気(※女性なのでPCではないワードかもしれませんがね)には尊敬するなあ。安易に「失敗」と言ってしまいたくない。 なお、失敗の主要因としてあげた「消費者に誤解させた」ことについては、ソフトバンクの「0円」も同様です。 説明不足により(自己に有利な、結果として詐欺的な)誤解を与えてしまった、という失敗パターンは存在するよう。対策は、大事なことを事前にきちんと説明する(レイクか)。

The Whiteband Project: Revisited

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Sunday, May 11th, 2008

活動主体のNPOよりも、その大規模な展開に協力したPR会社サニーサイドアップについて、思うところがある。叱責と同情。PRの専門家でありながら、もっともやってはならない「情報発信や活動へ対しての批判」を呼び起こしてしまった点。および本業ではない赤字の社会貢献事業における過失だった点。 ホワイトバンドプロジェクト(THE WHITEBAND PROJECT)は、日本においては特定非営利活動法人ほっとけない 世界のまずしさが主催するキャンペーン。 ホワイトバンドプロジェクト - Wikipedia # 政策提案とその支持収集が本来の目的だが、そのことがテレビコマーシャルやその他の宣伝活動内で十分に説明されているといえず、貧困の様子を前面に出して感情論的になっている(それが貧困救済募金と誤解させる要因にもなっている)。 # ホワイトバンドの価格が他国の同活動の約3倍(Tシャツも同様)で、価格構成が不自然。また、「意思を表明するのは、日本で販売されている"ホワイトバンド"ではなく、身近にある白い布や白いひもでもよい」とされていることに対しての説明が、当初より行われなかったこと。 # 『バンドの売上使途を曖昧にし錯誤するよう誘導している』との指摘。 PRの専門家でありながらリスクマネジメントが甘かった。PRにおいて発信した情報や活動への批判を避けるのは大前提だ。そのうえに良好なイメージを形成し、有益な情報を提供するという機能がある。こういう「事故」があってはならないのだ。 マスメディアを通じた情報発信という切れ味鋭い刃物には利便性と危険性の両方がある。使い方を誤ったら怪我をする。PRという仕事のまさに根幹部分だ。マスコミュニケーションの設計。マスにどう受け止められるか。これを考えるのがPR会社だ。そこで失敗するなんて、PRの専門家としてどうなんだ。 事前のリスク想定が甘かった。厳しいようだが、それを専門とし、マスコミ上を活動の場とする専門家だから、あえて言いたい。 さらには、この一件により、類似の活動(売上を募金ではなく政治資金にする)への風当たりが少しきつくなった気がする。「またホワイトバンドみたいなのが出てきた」という見られ方をする。まあ、これを「責任」などといって追及するのは筋違いなので、あくまで個人的に「残念」なだけだが。 日本におけるホワイトバンド 日本では、「特定非営利活動法人ほっとけない 世界のまずしさ」が中心となって、NGOのメンバーによって組織された『「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」実行委員会』が中心となり、運動のシンボルであると委員会が定義づけたゴムのリストバンドの販売などを行なっている。 販売・PRに関して、ノウハウをまったく持たず、資金も持たなかったNGOに対し、「株式会社サニーサイドアップ」が、善意より協力している。 元々は、中田英寿らスポーツ選手、乙武洋匡などのマネージメントをしている「株式会社サニーサイドアップ」の次原悦子社長が、ネットで偶然イギリスのクリッキング・フィルム(ウェブサイト上のPR動画)を見て日本の活動への協力を思いつき、自社の資金を投入して、ホワイトバンドを中華人民共和国の工場で生産する道筋をつけ、20年かけて培ってきたノウハウや、人脈を活かして、PR戦略をプランニングしたそうである。自社に所属するスポーツ選手や文化人にも参加を呼びかけ、スポーツ選手らはノーギャラで活動をPRしたが、ホワイトバンドの売り上げのうち、製造原価や流通経費などの必要経費を除いた分はすべて、NGOの政治活動資金となったため、サニーサイドアップは多額の赤字を出したという(GQ JAPAN 2005年10月号のインタビューより)。 とてもいいことをしたのにな。 中小企業にとって「私財を投じる」なんて簡単なことではない。なかなかできることではないよ。尊敬する。 だからこそ、批判されるような「やり方」をしてしまったことについて、残念でならない。 「結果」の失敗でどうこう言っているのではない。やろうと思えば回避できたであろうその道の「プロ」だったからこそ、「過程」の失敗、つまり「やるべきことをやらなかった」ことが残念なのだ。過失、といっていいだろう。 もちろん、本業でない赤字の社会貢献活動に投じられるリソースには限りがある。社長はじめ優秀なスタッフが様々なリスクと打ち手を検討する時間というリソース。これを十分に確保できたかというと難しかっただろう。 だが、それにしても、なんとも、もったいないことをしたな、と思うのだ。 本来ならば「とても良いことをした」と賞賛されるべき活動だからだ。 さらには、それに続く営利企業も出てくるはずだったからだ。正義感から採算度外視での非営利活動に取り組む企業。そのなかで優れた企業は採算ベースに乗せることもできただろう。そういった風潮、文化、経済の流れを作ることができたかもしれない、偉大な取り組みだったのだ。 その「実現しなかったもう一つの歴史」に思いを馳せるとき、実現してしまったほうの歴史について、その過程における過失も含めて、なんともやるせない気持ちになるのだ。

Otaku Gardian

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Saturday, May 10th, 2008

あらゆるオタク領域に自警団は存在する。「テリトリー(領域)」を守る心理からだろう。それは「外」からの圧力へ抵抗するだけでなく、ときに「内」への啓蒙・注意・警告となることさえある。 KAT-TUN初心者必読!! 一番印象に残ったのは、多くの心無いファンによって、彼らが悩まされているとゆうこと。この本を読めばKAT-TUNファンとしてどうあるべきか、どのような行動をとるべきか解かると思います。みなさん、ぜひ読んでマナーのよいファンとして、KAT-TUNの成長を見守っていきましょう。 Amazon.co.jp: KAT‐TUN 仁くん&亀梨くん (RECO BOOKS): 金子 健: 本 これは攻撃性のない「啓蒙」レベル。(念のため補足。「ジャニオタ(ジャニーズ・オタク)」というオタクがいる。KAT-TUNはジャニーズ所属のアイドル集団。ジャニーズとは男子アイドル専門の芸能事務所) こういう啓蒙・注意・警告として現れる「オタクの自警行動」は、例えばインターネット普及以前にも存在した。まだ日本の「インターネット」自体がムラ社会だった当時。いかに注意・警告レベルの自警行動を例示しよう。 「ネチケット」と称してやれ「件名を(ry」「添付は(ry」「質問するときは環境を(ry」といった遠慮の無い指摘をするエチケットの無い連中がいた。 そのせいで、とても空気が悪かった。新しく「インターネットをはじめよう」と思う人がまず出てこないような状態。当時はメーリングリストやネットニュースというコミュニティがインターネットそのものだった。「インターネット」自体がムラ社会で、いまよりも濃く「ネットの空気」というものがあったのだ。 だが、そういうので居心地が良い人種というのもいて、彼らは彼らの仲間内の「空気を壊したくない」(つまりテリトリー防衛本能)という心理からそういう自警行動に走ったのだろう。そういう心理メカニズムは分からないでもない。いまとなっては腹も立たないな。その当時たしかに「インターネット」は彼らのものだったからだ。入植者より先住民に権利があるのは道理だ。 ようするにオタクはそういう自警行動に走ることがあるから 自分が何かを「守ろう」として、誰かを「攻撃しよう」としているな、と気づいたら、ちょっと立ち止まって考えよう 自分がオタクに攻撃されても、こういう心理メカニズムなんだと理解して、自分が悪いとは思わなくていい、傷つかなくていい という心がけをおすすめしたい。 この、じめっとしたコミュニティ(ムラ社会)の空気、(中の人間の)居心地の良さについては、こちらの記事にも書いた。→analog | Sophisticated Hatena

Misunderstood

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Saturday, May 10th, 2008

派遣情報サイト「[en]派遣のお仕事情報」に掲載された職種の求人情報について、募集時の平均時給の分析を行っている。 派遣システムエンジニアの平均時給、2315円 - @IT 募集広告の時給額と実際の契約額は一致しないからねえ(笑 絶対額を見る意味はないわな。時系列でトレンド(傾向)を見るのにはいいかもしれないけどね。 関連記事 analog | 「システムエンジニアの平均年収、594万円」の真っ赤なウソ 景気動向指数 - Wikipedia

Media Literacy

̃Gg[܂ނ͂ĂȃubN}[N Friday, May 2nd, 2008

ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 「コンビニ受診」という言葉を知って、あれこれ考え込んでしまいました。  私は、この「コンビニ受診」という言葉を今まで知りませんでした。なんとなく下品なネーミングではあるな、とは思うものの、それはある部分では事実を示す言葉でもあるのかもしれません。私は、病院に行くのを躊躇してしまいがちなタイプですから、へえ、そんな人もいるんだなあ、でも、そういう人はいるだろうな、という感想を持ちましたが、しかし、それが社会問題として、キャッチーなネーミングとともに社会面で語られる感じには少し違和感を持ちました。 (略)  「コンビニ受診」が示すような人は、どんな社会でもどうしようもなくいると思うんですよね。それを「コンビニ受診」と名付けることで、そういう人を社会から完全に排除しようという方向に物事が動くような気がします。そうなると、どういうことが起こるか。それ、コンビニ受診じゃないの?という相互監視と、コンビニ受診という価値観の肯定の両極しかない状態になるような気がするんですね。本当の解決は、その間にあるような気が、私はしています。 「キャッチーなネーミング」を問題視しても仕方ないのでは? 著者は「某外資系広告代理店のクリエイティブディレクター」とある。ブログで自分の意見を述べられていることからも、プロ意識や職業倫理のしっかりした方なんだろう。好感が持てる。 ただ、自制・自戒の意識が過剰なのではないだろうか、と老婆心ながら感じてしまった。 マスコミではない人間から見れば、そんな心配しなくていいと思う。 「たかがマスコミ」だ。 むしろ「言葉狩り」みたいな自主規制をするほうが公器(メディア)としてイマイチ。 問題がマスコミにあるのは確かだけれど、正すべきは「なんでも二項対立で煽る」という「伝え方」にある。決して「複雑な物事を分かりやすく伝える努力」のあらわれである「キャッチーなネーミング」のほうではない。 むしろ、「キャッチーなネーミング」を封じるということは、ジャーナリズムの咀嚼力・伝達力を封じることになってしまい、よほど問題だ。 問題は、なんでもかんでも二項対立に持ち込むマスゴミ体質の問題。 高い倫理意識を持ったマスコミ業界人には引き続き頑張ってもらいたい。 「キャッチーなネーミング」の腕をどんどん発揮してもらいたい。