Tale of Galapagos: 「国民機」PC9801と「黒船」DOS/V
近頃はiPhoneが脅威だとか、黒船だとか、あるいは日本の携帯は「ガラパゴス」のように独自の進化を遂げていてすごいからiPhoneなど脅威ではないとか、いろんな議論があるようだな。 わしはべつに賛成も反対もせんよ。分からんから。何も分からん。分かったふりをしとらん、というか。 ただ、ちょっと昔話をしてやろう。べつにこれは「予測」でもなんでもないよ。ただの「昔話」だよ。 こんな話をすると、未来を示唆しているとか、予測しているとか思うやつも出てくるだろう。違うよ。過去から未来を予測できるというのは妄想だよ。過去の延長に未来は無いのよ。ときに不連続な変化をするからな。 ただ、過去から何かを学ぶことはできる。それが何かは人それぞれだが。。。 過去の歴史を「パターン」などと思って、それが繰り返すなどという妄想に取り付かれないこと。その裏にある力学、人間の思惑、行動など、様々なものを読み取れるかどうか。そういう視点で歴史を振り返ってみるべきだ。「後知恵」ではなく、「当事者のつもり」で歴史の中に身をおいてみる、というのかな。。。 さて、前置きが長くなったが、むかしPC-9800シリーズ(通称キューハチ)というNECのPCがあってな、「国民機」と言われるほど、日本でPCと言えばキューハチだったのよ。 一方、日本語を扱えないIBM PC(とその互換機)は苦戦しておった。米国市場の規模から価格性能比は良かったんだが、いかんせん日本語が扱えないPCなど買う人はおらんかったのよ。 「日本市場は特殊」だったんじゃな。キューハチの牙城は崩れんと、誰もが思っておったのよ。国内の競争相手をはるかに凌駕した、独占市場じゃった。永久にNECの天下だろうと、疑うものはいなかったのよ。 しかし、DOS/Vという技術が出てきた。これは「黒船」じゃった。これによってIBM PCでも日本語が使えるようになったのだ。何が起こったか。市場は一気に様変わりしたのよ。本当にあっという間だったな。あれほど絶対だと思っていたNECの天下は、あっという間に崩れ去った。 当時すでにほとんど世界標準仕様となっていたPC/AT互換機の設計や部品なども取り込み、世界標準への歩み寄りも見せたが、過去の機種との互換性のためにNEC独自の設計を捨てることはなかった。 1995年のWindows 95発売の頃から、日本に海外メーカーの安価なPC/AT互換機が本格進出をはじめた。また、NECとの競争に敗れすでに独自路線を捨てていた日本の電機メーカーも、PC/AT互換機を投入し始めた。 当時のWindowsはすでに漢字ROMなしでも十分実用に耐える日本語環境を持っていた。また、世界で広く使われていた定番ソフトや、PC-9800シリーズ向けの有力なソフトも次々Windowsに移植された。 このため、過去のソフトウェア資産の活用以外に、高価なPC-9800シリーズを選択する理由はなくなった。 そして、1997年にNECは独自設計路線を完全に捨て去り、PC/AT互換機「PC98-NXシリーズ」を発表した。現在では、NECはあまたあるPC/AT互換パソコンメーカーの一つに過ぎず、シェアも3~4割の「普通」のメーカーとなっている。 PC-9800シリーズとは - 意味・解説 : IT用語辞典 これが何年前の話だ? だいたい15年くらい前だ。そんなに大昔ではないな。15年位前は、ほとんどのPCがキューハチだったのよ。たった15年で、あれほど「特殊」と言われた日本市場は、世界市場の一部になった。(追記:すごい勢いで変化した95年~98年の4年間くらいで、実態として主要な変化はほぼ終わっていた気もする) まあ、ただの昔話だからね、いま自分が生きている現実の問題は、自分の頭で考えなさい。現実が過去と同じように動くとは限らんからな。誰にも分からんのよ、将来のことは。分かると言う者は、ただ無知なだけだ。パラダイム・シフトと呼ばれる、基本的ルールがまったく変わってしまう状況を経験したことのない若者や、忘れっぽい者に多いな。 そして、何か大きな動きのように思えることが「シグナル」か「ノイズ」か、最初から分かることは無いと思ったほうがいいな。さんざん騒がれたあげくに、大した変化は起こらなかった、ということもたくさんある。いまみんなが騒いでいるからといって、意味のある変化かどうかは定かではないのよ。 むかしIPv6という技術が話題になってな・・・ また、いちど話題になって、定着せずに消えて、その後で復活するものもあるよな。人工知能、データマイニング、ロボット・・・ ハイプ曲線という考え方もあるな。まあ、これは、なんというか、「人間は幼年期、青年期、壮年期、老年期がありますね」といってるのに近い。30で死んだら30歳は老年かと。つまり、ハイプ曲線は厳密な理論ではないし、定量化もされておらず、科学には程遠い。現時点を分析するツールとしては役に立たない。後知恵そのもの。ただ、まあ、一つの考え方として気付きを与えてくれもする。 だから、安易に答えを求めるのをやめなさい。誰も答えなど持っていない。これが答えだ。答えを持っていると思い込むのは妄想だ。自分の頭で考えなさい。考え続けることだ。答えとは、考えるのを止めたときに得られるものだ。答えを欲しがるのは、易きに流れることだ。弱い心だ。 先が見えない不安に負けず、最後まで不安を持ち続けること。最後まで安心しない人になること。最後まで考え続ける人であること。変化の激しい世界で生き残るにはパラノイド(超心配性)であることだ。 そのうえで、ひとたび方向を決めたら、迷い無く突き進むべきだとグローブ氏は説く。それで成功するかどうかは分からないけれども、組織を率いていくときにリーダーが迷っていては失敗する確率は上がるだろう。 と、ふにゃふにゃした議論になる。おそらく多くの読者は「どちらかはっきりしない主張」を嫌うものだ。はっきり断言してほしいのだ。「お手軽な解決策」を望んでいるのだ。でも、現実世界にそんなものはないんだ。 それをもっと詳しく書いた本を次に紹介する。 →The Halo Effect: なぜビジネス書は間違うのか

