Archive for the ‘culture’ Category
Thursday, August 14th, 2008
『火垂るの墓』(ほたるのはか)とは野坂昭如の小説。
via: 火垂るの墓 - Wikipedia
『オールナイトフジ』(フジテレビ)にゲスト出演していた際レギュラー出演していたとんねるずの石橋貴明を殴打したがなんと石橋から「かゆくもないっす。」と嘲笑されたという恥ずかしいエピソードを持っている。
via: 野坂昭如 - Wikipedia
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Sunday, July 27th, 2008
メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書) 菅谷 明子 (著)
「ニュース番組は、結局は作っている側の主観がニュースとして報道されるだけです。だから僕はニュースは見ません」 pp.102
女子生徒が力強くこう言った言葉が印象に残る。
「どんな時でも、メディアを懐疑的に見ることが大事だと思います。自分がその出来事を直接見たり経験しない限り、メディアの情報は全てが二次的なものだから」 pp.107
メディア・リテラシー教育により、メディアを批判的に見る目を持つようになる。
「メディア・リテラシーの多くが、メディア学の知識が不十分な国語教師によって教えられているため、メディアの幅広い要素が無視されて、メディアが良いか悪いかといった単純な図式で捉えられているのではないか。広告ひとつとってもマイナス面にばかり注目し、メディアとしての芸術性を無視し、消費文化に否定的な教師の価値観を押しつける可能性もあるかもしれない」 pp.111-112
また、先生には絶対に言わないことを条件にインタビューに答えてくれたオンタリオ州のある生徒は、「先生は、自分の考えがベストだと思っています。私は必ずしも彼の考え方には同意しませんし、押しつけがましいと思うこともあります。でも、成績のことを考えると、その先生が喜ぶようなことを授業で言ったり、試験でもそう回答したりしてしまうのです」。この生徒が言っているのは、カナダでもよく知られた教師で、日ごろから子供の主体性を大切にした教授法が大切だと訴えている人物である。 pp.112
メディア・リテラシー教育そのものについて、教師による偏向がどこにあるかを見抜く。メディア・リテラシーが育った生徒は、そのような目を持つだろう。ならば上記の例は最高の反面教師だ。
そもそもメディア・リテラシーを教えることは可能なのだろうか。生徒をメディア・リテラシーの入り口まで連れて行くことはできる。その先へは本人が歩みだすしかない。メディア・リテラシー教育そのものへの懐疑を身につけることが「卒業試験」だ。
メディア教育を理解していて、しかも制作者の立場でもあるアッシュトンは、メディアを考えていく上で示唆に富む話をいしてくれた。
「生徒達は、メディア教育から、一般のテレビ番組を批判的に見ることを学んでも、メディアを批判した番組は、なぜか鵜呑みにしてしまいがち。批判番組も批判的に見る必要がある」 pp.59
似たような話。疑似科学、宗教、政治的イデオロギーに騙されやすい人がいる。権威を否定する言説に騙されて、その発言者を信じてしまう。結局、何らかの権威に頼って思考することしかできない。時の権威にほいほい移り気で乗り換える権威礼賛者。
進歩的文化人 - Wikipedia
保守勢力からは旧ソ連・中国・北朝鮮など社会主義国に対して礼賛的でありそれらの国々の垂れ流すプロパガンダを一方的に報道したのではないかという批判や、かつては右翼的な発言を繰り返してきながら、それへの反省もなしに時流に乗っている人々が少なからずいるといった批判がある。
analog | Argument: ダメな議論
analog | Research Literacy: 「社会調査」のウソ
「考える」とは、他人の頭が考えた結果を鵜呑みにして、それを自分の考えのごとく垂れ流すことではないよ。
自分の頭で考えること。
それは、自分以外の他人の意見ではなく、自分一人で世界と向き合い、考えることだよ。
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Wednesday, June 4th, 2008
人生経験が演技に深みを与える、などといった物言いは、もはや過去のものかもしれない。観客は役者に人間性まで求めていない、そういう時代だろうか。
今では映画をつくっているのは観客です。今の映画はなかにはなにもありません。かつてはキートンとかチャップリンといったスターたちが、自分の肉体をつかって演技したり演出したりしていました。でも今は、スターであればあるほどなにもしないのです。(・・・)カットとカットを頭でつないで、「彼はこれこれのことを考えている」と考えるのは観客なのです。(・・・)仕事をするのは観客なの方なのです。観客は金を払って、しかも仕事をしているのです。(『ゴダール映画史1』ジャン・リュック・ゴダール より)
引用元
ハリウッドセレブと彼らをとりまくゴシップなどの生態を見ていると、現代とは人間である前に役者であることが可能な時代なのだろう。
いや、彼らは役者である前にスターなのかもしれない。セレブなのかもしれない。むしろ芸人なのかもしれない。ゴシップ誌において彼らの演技について何も言及はされない。ただ彼らがセレブである、それだけが関心の対象になる。成功した役者はセレブと呼ばれるのではあるが、ゴシップの文脈においてセレブが役者であるかどうかは関係ない。
いずれにしても、みずからの人生そのものを切り売りするという生業は、あるいは舞台の上だけの演劇よりも深い精神性を持つことも可能かもしれない。そう思わずにはいられない。現に文学やファイン・アートは作家の人生と切り離すことが難しいではないか。
そういったハリウッドセレブというものが少ない、あるいはいないだけだろう。「セレブ」という様式でみずからの人生を表現手段とするような芸人、あるいは人生の役者といったものは、下手な文学やファイン・アートを超えた精神性を我々に見せ付けることになるだろう、と予感する。
たとえば、こういう言葉からなにか豊かな想像ができないだろうか。
「パリス・ヒルトンという文学」
「シャロン・ストーンという文学」
あるいは計算された喜劇だとすると・・・
いつの世でも天才たちは恵まれない。それに比べて小手先の世渡りだけで、うまくやっている偽者どもがもてはやさる、ああ情けないがそれが人生、それが浮世さ。だけど…。
私は違う。そうはならない。なりはしない。己を騙し、揉み手を摺るなど惨めなだけ。たとえ私は飢えて死んでも心は売らぬ。だから私はこの人生の大根役者。
人に嘲られ指を指されても憐れみ乞うなぞ断じてしないさ。泥にまみれても、輝き渡る天才の意気地をお目にかけましょう。
そうだ!私は誰にも負けない!負けはしない。生きてゆくのだって大根役者!それもけっこうだ。
引用元
人生は歩き回る影法師。哀れな役者だ
: Life's but a walking shadow, a poor player,
引用元
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Tuesday, May 27th, 2008
いま倫理について語るとき「高潔な」といったことばがついてまわる。
この時点でダメだろう。
倫理を「高潔な一部の人」の問題にしている時点でダメだ。
だれもがもっているべきものなのに。
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Monday, May 19th, 2008
There are two types of engineers:
A) Engineers who make technologies for other engineers.
B) Engineers who use technologies which other made.
エンジニアには2種類いる。
技術を作って別のエンジニアに使わせるエンジニアと、
人が作った技術を使うエンジニア。
「勉強」が得意な、「利口」なエンジニアには、新しいものが生み出せないタイプもいる。
理解力がありすぎると、ダメなものも「覚えて、使いこなせてしまう」から、「本来どうあるべきか」が分からないんだろう。
エンジニアには、技術の狭い領域では優秀なんだけど、一般人の思考回路と離れてしまい、「つかいやすいインタフェイス」の設計力が低い人もけっこういる。
とはいえ、これは仕方ない。そういうもんだ。数学者に美術の才能を求めるようなもんだ。
追記:これはよいたとえではなかった。数学者には審美眼が必要だともいわれる。
これが典型的なJava屋の実体ではないだろうか。与えられた仕様を覚えるだけで、JSPやStrutsやJSFに何の疑問も持たない。疑問を持たないから、本来どのような仕様がいいのかなんて考えるわけがない*2。同じことはJSPやJSF以外でも言える。EntityBeanやXMLファイルにも疑問を持たないし、アクセッサやFileReaderでも同様。どんな仕様がいいのかを自分で考えることはしないから、「アクセッサ定義が面倒で見にくい」という意見に対し、「IDEで自動生成すればいい」とか「大規模開発で必要」とか的外れな反論しかできない。なぜIDEで自動生成しなければならないのか、本当に大規模開発で必要なのか、そういうことを自分の頭で考えていない。このことは最近のコメントではっきりした。自分の頭で考えてなかった連中は、『冗長な記述が大規模開発でどう役立つか』と聞かれてもはっきりと答えられず、話をそらそうとしている。
典型的な Java屋 は JSP を使うことに何の疑問も持っていない - kwatchの日記
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