analog

5月 17, 2009

言論の自由がない霞ヶ関

カテゴリー: Japan, bureaucracy, liberty, politics — hidetox @ 1:02 am

高橋洋一著『さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白』には、官僚は無謬主義であること、上司・先輩のやったことを批判するなどもってのほかであることなど、官僚の体質が書いてありました。

そのような体質では、外に向かって役所の批判をするなどタブーでしょう。高橋氏は、それをやりました。

その高橋氏は「窃盗犯」となりました。報道によると、本人が罪を認めたそうで、即座に勤務先の東洋大から懲戒免職されました。それにより「社会的制裁を受けた」との理由で、起訴猶予処分となりました。

なにか不自然な気がします。陰謀論を語るのは慎重にしなければなりませんが、あまりにも「それっぽい」。そして、「それっぽすぎる」こと自体が不自然です。本当の陰謀なら、こんな「分かりやすい」筋書きにしないでしょう。

【起訴猶予と引き換えに口止め!?】高橋洋一元教授、起訴猶予に – ぽぽんぷぐにゃん

本人がいまだに出てこないのは、やはり口止めされてるんじゃないですかね。

東洋大の本人の弁解を待たずしての懲戒免職も疑問ですが、起訴猶予と引き換えに、懲戒免職と口止めを検察(官僚側)に約束させられているのではないでしょうかね。

マスコミは高橋本人への追跡取材をしてほしいものです。消される可能性さえ感じずにはいられません。

100%同意するわけではないですが、その可能性がゼロでもないと思います。

ただ、もし陰謀だとすると、こんなに分かりやすい筋書きもない。もし陰謀があるとすれば、もっと巧妙に、秘密裏に圧力をかけ、表舞台から葬り去る方法を選ぶでしょう。まさにいま私が抱いているような疑いを国民に持たせるのは不利だからです。

したがって、もし陰謀があるとしたら、むしろ、分かりやすく「公権力」の恐ろしさを見せつけている、つまり高橋氏を「見せしめ」に、「第二、第三の高橋氏」を封じる意図がある、と考えるほうが自然です。

繰り返しになりますが、陰謀かどうかは分かりません。軽はずみに陰謀を唱えるのは、官僚に対して不当に汚名を着せる行為であり、慎まなければならないと思います。あくまでも「陰謀があるかどうかは分からない」というスタンスで、ただ、あまりにも「それっぽい筋書き」に見えてしまう点を指摘しました。

高橋氏の著書を読んだり、関心があったりすれば、同様の疑念を持つようになる人は少なくないでしょう。それを「あくまで可能性の一つ」として提示しました。私は本論で「どちらかというと陰謀だろう」とも言ってませんので、誤解の無いようお願いします。

さて、本題に戻りましょう。次に気になるのは木村盛世氏です。『厚生労働省崩壊-「天然痘テロ」に日本が襲われる日』を書いた現役厚生官僚です。

新型インフルエンザ、水際封じ込めはナンセンス|ニュース|ロハス・メディカル:

 厚生労働省が言っているのは、検疫による水際での封じ込め、ワクチン、タミフルの3点セットですよね。でも、こんなの新型インフルエンザに対してはナンセンスです。

(略)

――なぜそんなものを前面に押し出しているんでしょう。

専門家がいないからでしょうね。WHOもフェーズ3から4に上げる時、封じ込めに努力せよなんて言ってません。それなのに封じ込めできると言っているのは、国民を欺く行為です。もし彼ら自身が本気で可能だと思っているのだとしたらあまりに宗教的だし、頭に何か新種のウイルス感染でも起こしているのでないかと心配になりますよ。

めちゃくちゃタブーの官僚批判をしてますね。すごい勇気です。(といっても、中傷表現は擁護しません。J・S・ミルは「少数派は努めて誠実に、穏健に、議論しなければならない」と言いました)

――本を出して、何か本省から言ってきましたか?

 本当にフランクに言ってくればいいんですが、何も正面切っては言ってきません。それをせずにイジメのようなことばかり。今回もアマゾンの書評に一般読者を装って悪口を書き込んでいる程度でしょう。彼らは一人ひとりは非常に臆病な羊。でも群れると狼になって意地悪をするんです。

 私は別に何も悪いことをしていないので、辞めろと言われる理由はないんだけれど、いつ辞めてもいい覚悟ではいますよ。一方で、もし責任ある仕事をしろと言われるならば、それも運命と思って懸命にやるつもりです。

――腹をくくっている分、上の人たちからすると一番始末に困りますね。

困るでしょうね。腹をくくってないと動いていかない、ビクビクしていたら動いていかないですよ。

彼女の主張の正しさ以前に、このように主張したこと自体に賛辞を送ります。ほかの官僚も反論があるなら公然と反論すればいい。すでに省内から公共の場に言論が移っている(出版によって)のだから、その反論は議論を深めるために有意義でしょう。議論において反論が無いと言うことは賛成と見なさざるを得ないわけですし。

よって、彼女の言論活動を応援したいと思いますが、今後の活動(官僚としても、それ以外も)が何らかの圧力で妨げられないかと心配です。べつに「えん罪を着せる」といった陰謀があるとは言いませんが、本人もインタビュー中で述べているように、すでに「飛ばされ」ているようです。これは今後ひどくかもしれません。

そうなった官僚にも、政治任用(ポリティカル・アポインティ)によって首相官邸の直属で大きな仕事をする機会があるようです。高橋洋一氏も竹中平蔵氏と旧知の仲であったことが安倍内閣での政治任用につながった、と本人が書いています。ただし、政権が短命ならそれで終わり、という不確実なポジションです。

木村氏の今後に注目します(彼女の論敵が現れるのか、主張が正しさはどの程度か、など)。

それだけでなく、公権力に対する監視の目を持ち続けたいと思います。国民の監視の目が増えれば、日本の「官僚支配」は弱まるはずです。もし無関心であった方は、これを機会に政治に関心を持っていただければと思います。

5月 3, 2009

政府という「独占企業」

カテゴリー: bureaucracy, economics, liberty, politics, society — hidetox @ 2:09 am

これらは、資本主義がそれなりにうまく機能しているかぎり、経済のルールで安全が担保される可能性がありますが(安全でない食物は売れないでしょうし、自動車の安全性は、機能面ではメーカーが、操縦面では不法行為による損害賠償システムが存在することにより担保され得ると考えます)、政治については、上記の例において資本主義が果たしているような潤滑油の機能を担うものがありません。

via: 政治家を信じよう(ただし条件と期限をつけて) – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

政府という存在の最大の問題は、そこに「代替(alternative)」のないことです。

市場は公平です。レストランがマズかったら、そこに二度と行かなければいい。

誰もあなたにマズいレストランに行くことを強制できません。

私たちには「選択の自由」があります。

しかし、政府の提供する商品やサービスは、別です。

社会保険や年金が非効率だからといって、強制加入ですから、あきらめるしかありません。

政府が提供する商品・サービスを「要らないから、払わない」ということはできません。

税金という形で強制的に「代価」を徴収されてしまうのです。

政府は人々に取引を強制します。

政府は独占的な存在です。

政府は人々から「選択の自由」を取り上げます。

「自由」とは「強制のないこと」である、とハイエクは定義しました。

政府は人々から「自由」を奪う存在なのです。

そんな政府を弱体化する方法は?

政治です。

政府と政治を分けて考えましょう。

政府と政治が癒着している(政官癒着)としたら、それは有権者のせいです。

有権者が「小さな政府」を望めば、政官の癒着をなくすことができる。

もちろん、有権者には「自ら立候補する」という手段もあります。

人ごとではない。

私たち、一人ひとりが、行動を変えるしかない。

政治参加意識を高め、発言し、投票する。

あるいは、立候補したり、政治献金する。

自分の希望を叶えてくれる政治家を選ぶ。

必要なら、育て、支援する。

そういう一人ひとりの行動が必要です。

一人ひとりの行動が変わらなければ、

政官癒着は無くならないし、

政府という「独占企業」は巨大なままです。

私たちは政治家を信じることが必要です。

そのためには、信じるべき政治家を見つけなければなりません。

いなければ、育てるか、自ら立候補するか。

4月 19, 2009

政治資金規正法

カテゴリー: bureaucracy, law, liberty, politics, society — hidetox @ 9:41 pm

民主党が政治資金問題第三者委員会を立ち上げましたが、早速そのヒヤリングの中身を観ることができるようになっています。

内容は、細かい論点について、総務省の担当者と委員が議論しているものですが、委員からのつっこみに対して、担当者はタジタジになっているように見受けられました。特に、櫻井敬子委員の、「構成要件があいまいで、予測可能性に欠ける部分があるのではないか」との趣旨の指摘には、完全に答えに窮しているかのようでした。

これでは、結局のところ、政治資金規正法は、まともに解釈・運用するつもりで作成・改正されたのではないのかもしれないのではないか、つまりはザル法として、ただそこに在ればよいのであり、どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかったのではないか、との疑問を抱かれても仕方ないと言えるでしょう。

via: 民主党の政治資金問題第三者委員会について – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

「予測可能性」は本当に大事です。

一言付け加えると、守れないルールがあると、そもそも政治献金を受けること自体が恐ろしくなるはずです。しかし、そうならずに「どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかった」ということは、官僚・検察に太いパイプを持つことによって身を守ることができる政治家の体質も示唆する。つまり政官癒着ということです。

政治資金規正法については賛否両論ありますが、私は「個人献金も企業献金も完全自由化したうえで、企業の会計基準のように記録のルールを決め、開示を義務づけること」が望ましいと考えます。

穏健な立場としては「当局の開示請求にもとづき」となるでしょう。しかし、私はインターネット上での公開を義務づけても良いと思う。(企業決算の官報のように)

いまは政治献金そのものが悪であるかのような価値観にもとづく法制度だと思います。それが健全な民主主義の発想とは思えない。

金を集めることは悪ではない。そのすべての流れが明らかならば。

以下の指摘はもっともだと思います。

政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

一般論としても、裁量の余地が少ない立法ほど優れているのではないでしょうか。当局の裁量の余地が入らない法規制を望みます。政治資金規正法は、その点でダメなザル法なのです。

なお一点付け加えておきます。

私はリバタリアンです。そもそも国家は最小であるべきだと考えています。そこに誘導すべき利益などない。大した規模の公共事業が存在しないし、利権を生むような規制もない。そういう自由な社会を理想と考えています。その前提では、企業献金によって「誘導されるべき利益」など無いのだから、企業献金を禁止する必要などないのです。

過渡的な問題としては難しい面がありますけれどね。私も現在の国家規模(財政規模)では、たしかに市場の公正さを損ねる恐れがあるとは思いますよ。

ただ、企業献金を禁止すべきだという人々には、要するに「大きな政府」が良いと考えている人も多いようですね。

その点では、考え方が根本的に違うのでしょう。

国家は人々を守るのではなく、国家こそ人々にとって最も有害な存在だと考えますから。

国家から利権を奪ったとき、政治家には利権が少なくなる。つまり政治家が汚い仕事だと思うべき理由も小さくなる。そこで人々が政治家に活動資金を寄付する。むしろ政治家に税金で資金を提供する必要はない。

ではなぜ企業が献金するのか、という人がいる。企業は利益が目的なのだから云々、という議論。それはまったく意味のない議論だ。ならば利益の1%を慈善事業に投じている企業の存在をどう考えるのか。もちろんブランディングなどの目的があるだろう。あれを禁じるべきで無いならば、利益の1%を政治家に寄付することを禁じる理由があるのだろうか?

3月 29, 2009

官僚支配

カテゴリー: Japan, bureaucracy, politics — hidetox @ 11:16 am

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

via: 政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で「金集め」は「悪」である。日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。

via: 政治とカネの本当の話(2) (田中良紹の「国会探検」)

 かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。

 そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。

 政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

「企業は利潤を求めるから企業献金は賄賂になる」と言った新聞記者がいた。日本はいつから社会主義国家になったのだろう。利潤追求を「悪」だという民主主義国家を私は知らない。それを言うなら私企業を全廃しなければならなくなる。新聞記者の所属する新聞社は利潤を追求しないのか。利潤を追求すると新聞の使命を果たせないのか。企業は社会的必要があるから生まれる。企業が追求する利益が社会と相容れないはずがない。それを「悪」だと言うのは「官僚の論理」である。官僚は本質的に「社会主義者」だから企業の利潤追求を苦々しく見ている。その思いをかつての社会党が代弁して自民党の足を引っ張った。それに新聞・テレビが追随し官僚組織にゴマをすった。55年体制の愚かさがいまだに続いている。

via: これじゃオバマは生まれない (田中良紹の「国会探検」)

危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。景気対策程度で力んでいる場合ではない。

via: 危機が求めるもの (田中良紹の「国会探検」)

ぼくは以前から、納税者の視点で検察の捜査を監視すべきだと思っていて、いろいろなところで書いたり言ったりしてきました。
検察庁に限らず国の役所(霞が関)は、会社でいえば管理部門で、それ自体が何の生産も稼ぎもしない、いわゆるコストセンターです。

しかし、彼らには自らがコストセンターであるとの自覚がありません。
税金を投じた活動の効果がどれだけあがっているか、まったく検証されていないのです。
世の中、そんなお気楽な仕事をしているのは、霞が関しかありません。

via: 納税者の視点で検察の捜査を監視しないと (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)

誰も「仕事しないでもクビにならず、高給で、多額の退職金が出て、そのうえ多額の年金までもらえる」ような既得権を手放そうとはしませんから。

via: analog | この国は役人でつぶれそうです

「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。

via: analog | 政府と政治の区別はついてる?

政治は、政府(官僚)の役割を縮小し、より小さな政府を実現するため、各種の規制を撤廃し、公共事業を削減し、より多くの政府機能を民営化すべきだ。その結果として個々人は財政規模縮小、減税の恩恵を受ける。

via: analog | 政治、政府、報道、民衆の構図

最後に、個人の自由とは逆の問題について取り上げる。個人の自由を政府が支援することについてである。これについて、政府の支援に対する反対意見は3つ上げられる。

 第1に、政府が事を成すよりも個人が事を成した方が効率的な場合があるという主張である。これは、経済学者によって説明がなされているのでここでは取り上げない。

 第2に、個人は政府よりも効率的に仕事を処理できないが、個人自らの精神教育の一環として、個人によって仕事が処理された方が望ましいという考え方である。これは、国民教育の問題とも関わってくるがここでは取り上げない。ただひとつ言っておくべきことは、個人がこのような仕事に従事することは、個人的なあるいは家族的な小さな世界から個人を抜け出させ、社会との結合を強く認識させる契機となる可能性が高い点である。社会との結合を認識しなければ、自由な社会というものは創造できないし、維持もできないのである。

 第3番目の理由は、不必要に政府の権力を増大させるという指摘である。政府の機構が大きくなり、個人の活動が政府に支えられるという事態になった場合、法的に自由な社会が維持されていたとしても、それは名目上のことに過ぎない。

 人類の進歩と自由を妨げるものを確定し、利益を多く確保しつつも大きな政府を作らないようにする。それは政治にとって最も難しい問題である。これを解決するには、人材を地方へ分散し自由に活動させ、中央は情報統制のみを行うという方法が良いだろう。政府が様々な点まで口を出すようになると、国家の活力は失われてしまうと考える。

via: J.S.ミル『自由論』

3月 18, 2009

定額給付金批判と寄付経済

カテゴリー: bureaucracy, charity, economics, politics, society, 定額給付金 — hidetox @ 5:44 am

今回の定額給付金では、国民のほぼすべてが思わぬ余剰金を手にすることになる。その単価は1万円以上。しかも、給付自体に異を唱える国民が一定数存在する。何のために税金を納めたのか。莫大な経費をかけて徴税し、莫大な経費をかけてばらまく意味はあるのかと。
シリーズ 変なニッポン 3 ゴリ押し定額給付金、 使い道も政府の言いなりですか?:日経ビジネスオンライン

定額給付金は「バラマキ」ではない。「取りすぎた税金を還す」ことだ。定額給付金という手法自体は、別に悪くない。もちろん、国債を発行してやるようなことではないが。

税金ではなく寄付を納め、公益に与する“寄付政治”の揺籃が、今まさに起こりつつある日本。霞が関で予算を奪い合っている人たちは、何を思うのだろうか。

小さな政府、最小国家、無政府資本主義という政府解体の過程は、政府の仕事を民間が奪っていく過程でもある。

ミルトン・フリードマンは寄付に肯定的だったが、ウォルター・ブロックは寄付に否定的だ。いまの私は、どちらかというと否定的だ。

政府もNPOもない世界。税金によっても寄付によっても「公的サービス」は提供されない。あらゆるものが私企業によって提供される。本当に可能だろうか? もっと考えていく必要がある。

【定額給付金基金】-みんなの寄付で世界を変えよう-|寄付文化を創造する「チャリティ・プラットフォーム」

3月 16, 2009

景気対策と称して政府の財政支出に「たかる」民衆が増えるほど官僚は喜ぶのだ

カテゴリー: bureaucracy, economics, politics, society — hidetox @ 5:58 am

短期的な政策としては、景気対策として再び公共事業などの財政支出による「景気対策」に期待する向きもあるようですが、資源配分の効率性を改善し、同時に政治家や官僚との癒着などの問題が少ない公共事業の実行が期待できるようには思えません。国民自身にお金の使い途を委ねる減税や給付金を「バラマキである」と封じて置いて、他方で景気対策に期待させて財政支出を拡大する方向に持って行こうとする動きがあるようですが、望ましい方向であるようには思えません。公共事業への支出拡大による内需振興には反対します。
[JMM]村上龍、金融経済の専門家たちに聞く Q.1001 回答:山崎 元

定額給付金は、役人にとっては嬉しくない仕組み。なぜなら、そこに利権がないから。逆に言えば、定額給付金はクリーンで、汚職とは無縁の仕組みなのです。
定額給付金は福祉の効率化〜ベーシック・インカムに通じる

官僚が「ソフトウェア属国状態」という劣等意識を煽る。その解決策として「日の丸検索エンジン」という「国策プロジェクト(情報大航海プロジェクト)」を打ち出してみせる。欧米コンプレックスを持つ人々が、それに飛びつく。官僚が仕組むマッチポンプなのです。元財務官僚・高橋洋一氏も言うように「情報操作は官僚のお手の物」です。
IT業界の悲願「日本発」

しかも、この不況で、人々は自立・自助(self-help)の精神を失い、政府に対してカネクレの大合唱。。。官僚は笑いが止まらないでしょう。大きな政府は、官僚の仕事を安泰にします。
少なくとも向こう数年間は、役人が「この世の春」を謳歌するでしょう。数年で終わらなければ、、、日本はデフォルトするかもしれない。
この国は役人でつぶれそうです

* この国は役人でつぶれそうです
* 政治、政府、報道、民衆の構図

3月 15, 2009

定額給付金は福祉の効率化〜ベーシック・インカムに通じる

カテゴリー: Japan, bureaucracy, economics, politics, 定額給付金 — hidetox @ 2:38 am

定額給付金は有効だと考えています(今回の政治的失敗はともかく)。

あらゆる社会保障・貧困対策(生活保障、年金、雇用保険)を定額給付金(あるいは負の人頭税と言ってもいいでしょう)というベーシック・インカムに一元化すれば、行政が効率的になります。つまり、定額給付金を毎年の財政に組み込む、仕組み化することで。

厚労省(年金・社保庁・ハローワーク)を廃止すれば10万人の厚労省職員を9割削減できるでしょう。天下り先も含めると、10万人以上ということです。その給料・福利厚生・退職金、天下り先への助成金などを削減できれば、年間1兆円くらいの行政コストが浮くのでは?

※行政コストは、税金を「使うためのお金」であって、公共事業のような「実際に誰かに渡るお金」と違って役人のポケットに入る点で無駄です。また、「役人を雇う」ことを「公共事業」と称すのは最悪です。→この国は役人でつぶれそうです

一般会計だけで25兆円の社会保障費は定額給付金の財源になる。つまり25兆円の財源は、増税なしに捻出できる。毎年20万円を国民に配ることができる。

また、個人の可処分所得は、さらに増える。実質的な税金である社保料(年金・保険)の天引きが、無くなります。

無職・無収入の人間には、年間20万円のベーシックインカムが。さらに、働く人にとっては、社保料分の可処分所得が増える。

この議論に直接関係ないが、社保料を半分折半しているのは企業です。それがなくなる。つまり雇用コストが下がる。労働需要が増える。失業率が減る。企業の利益が増えれば、法人税の増収につながる(税率そのまま、税収が増えるといったとき「増税」とは呼ばない)。

財政のプライマリー・バランス健全化と同時に、効率的な社会保障を実現でき、そこに増税は必要ないのです。

したがって、定額給付金の額と回数を増やし、結果としてベーシック・インカムにつなげていく、といった政治を期待したい。

一つ言えるのは、その方向だった小泉氏、安倍氏はすでに表舞台から消えており、真逆の方向を向いている与謝野氏が経済政策を一手に握っており、さらには次期首相の有力候補である点について、日本経済の将来は明るくない。構造改革を推進できるリーダーの登場を待つ。

EDIT 2009.03.16: 定額給付金は、役人にとっては嬉しくない仕組み。なぜなら、そこに利権がないから。逆に言えば、定額給付金はクリーンで、汚職とは無縁の仕組みなのです。

ベーシック・インカムとは、社会の構成員、全員に、個人単位で、暮らすに足る一定の収入(=ベーシック・インカム)を、定期的に現金で配るシステムを指す(正確には、配られる収入のことを指すのだろうが)。これを受け取る個人は、働いていても、いなくても、関係ない。いわゆる「ミーンズ・テスト」(生活保護受給する際などの収入、資産の審査)は一切不要で、個人が、無条件で現金を受け取る。働いて、収入を得ている場合、ベーシック・インカムの他に収入を得て、収入には、多分課税される(消費税、資産税、キャピタルゲイン税などを財源とすることも考えられるが)。
 従って、生活保護を受けられずに餓死したり、受けられたとしても、「どうして、お前は働けないのだ」とさんざん言われて、惨めな思いをするようなことはない。ベーシック・インカム分の収入は、権利として、堂々と受け取ればいい。もちろん、使い道は自由だ。
 そして、基本的な考え方として、各種の社会保障・社会福祉は、できるだけベーシック・インカムに集約し、それ以上に必要な人が利用する、保険、年金、各種のサービスなどは、民間に任せる(それでも何が残るかは、各種の議論がありそうだが、福祉的制度・行政の大半は無くせるだろうし、私が、ベーシック・インカムを支持する大きな理由もそこにある)。

「ベーシック・インカム」を支持します – 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」

実は、私もベーシック・インカムには賛成だ。

その理由は、ただ一つ。

それはベーシック・インカムが、受給者、すなわちこの場合は全ての人々に、選択権を与えることと同様だからだ。

もう少しひねくれた言い方をすれば、ベーシック・インカムとは、「何が生活に必要なのか」を、支給者ではなく受給者に考えさせる仕組みとも言える。例えば同じ5万円を、そのまま渡すのと、それで食料を買って渡すのとでは、資本主義社会では意味合いが異なるのだ。

404 Blog Not Found:ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由

この国は役人でつぶれそうです

カテゴリー: Japan, bureaucracy, economics, politics — hidetox @ 2:16 am

私はケインズ的公共事業は有効ではないと考えています。従って、不要なダムを造るような公共事業には反対。

さらに無駄なのが公務員。公務員削減が必要だと考えます。なぜなら、ダム工事などは一回限りのプロジェクトですが、公務員は1件40年数億円の無駄遣いであり、それが数十万人も無駄に存在するとしたら、これはダム1個どころの無駄ではないからです。

そして、大多数の人が、公務員は仕事をろくにしないで、高給で、解雇されるリスクもない、既得権を持つ、日本最大・最悪の利益団体だ、と考えているでしょう。

実証的議論をしたいところですが、そもそもB/Sすら後悔されておらず、情報公開の責任を果たしていない政府。もし情報があれば、公務員の「生産性」の低さを根拠に構造改革を進めることができるのですが。役人はそれを知っているから、断固として情報を出さないでしょうね。

誰も「仕事しないでもクビにならず、高給で、多額の退職金が出て、そのうえ多額の年金までもらえる」ような既得権を手放そうとはしませんから。

それを改革できる強い政治家といえば、小泉さんは意味不明に辞めてしまったし、安倍さんも力尽きたし、渡辺喜美さんもしばらく表舞台からは消えたし(復帰するかもしれませんが)。。。

しかも、この不況で、人々は自立・自助(self-help)の精神を失い、政府に対してカネクレの大合唱。。。官僚は笑いが止まらないでしょう。大きな政府は、官僚の仕事を安泰にします。

少なくとも向こう数年間は、役人が「この世の春」を謳歌するでしょう。数年で終わらなければ、、、日本はデフォルトするかもしれない。

なにせ、財務省と仲良しの与謝野さんが旧大蔵省を復活させてしまった(財務・金融・経済財政・内閣府特命の兼務という形で)。彼は次期首相の最有力候補でしょう。政治が、政治家から、官僚(狭義の政府)の手に取り戻されてしまいそうです。

2001年の中央省庁再編により大蔵省は分割され、財務省や金融庁(内閣府の外局)にその業務は引き継がれている。財務省は依然予算配分等に影響力は残すものの、予算編成権は建前上経済財政諮問会議に移され、又、金融行政は内閣府金融庁の管轄となった。中央省庁再編は、政治の主導権を官から政へ移すため、強過ぎる大蔵省の力を削ぐ目的もあったとの見方も可能であろう。
大蔵省 – Wikipedia

「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。
政府と政治の区別はついてる?

財政危機にある米カリフォルニア州は6日、公務員23万8000人を対象に、無給の一時帰休制度を始めた。支出削減を目的にしており、陸運局や保健局など一部役所が休みとなった。来年6月まで課す予定だ。
 シュワルツェネッガー州知事は昨年12月、「解雇を避けるため」と説明して制度の実施を発表。職員組合は反発したが、州最高裁がこのほど、知事案を承認した。毎月第1、3金曜日に対象となる職員が休暇を取る。知事は14億ドル(約1300億円)の節約につながると説明している。
 同州では税収不足が深刻化。420億ドル(約3兆9000億円)の歳入不足が見込まれている。
米国:カリフォルニア州が公務員24万人一時帰休

 府の一般会計当初予算案は、1999年度に169億円の収支不足に陥って以降赤字が続き、01年度からは借金返済のための減債基金から430億円~1145億円繰り入れてきたが赤字は解消できず、08年度も50億円の歳入不足だった。
 橋下知事は、08年度の予算編成で、職員給与を都道府県最低水準まで引き下げたほか、私学助成や市町村補助金を削減、減債基金の繰り入れも中止し、1100億円の収支改善を達成。
 こうした取り組みと経費節減などで、年度末に財源として回せる数百億円の余剰金を財源とし、行政改革推進債などと合わせると、税収減を見込んでも黒字転換が可能になった。
 08年度に185億円発行した赤字債の退職手当債も、09年度は発行しない方向で調整を進めている。
大阪府11年ぶり黒字へ…橋下改革成果

厚労省(年金・社保庁・ハローワーク)を廃止すれば10万人の厚労省職員を9割削減できるでしょう。天下り先も含めると、10万人以上ということです。その給料・福利厚生・退職金、天下り先への助成金などを削減できれば、年間1兆円くらいの行政コストが浮くのでは?
定額給付金は福祉の効率化〜ベーシック・インカムに通じる

* 景気対策と称して政府の財政支出に「たかる」民衆が増えるほど官僚は喜ぶのだ
* 政治、政府、報道、民衆の構図

必読書

1月 11, 2009

政府と政治の区別はついてる?

カテゴリー: Japan, bureaucracy, economics, politics, society — hidetox @ 7:05 pm

「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。 (続きを読む…)

1月 5, 2009

政治、政府、報道、民衆の構図

カテゴリー: Japan, bureaucracy, cuote, economics, literacy, 定額給付金 — hidetox @ 12:52 am

自由主義的経済政策とメディア・リテラシーについての話。そもそも「政治」と「政府(官僚)」を分けて考えないといけないのだが、ほとんどの人は一緒くたにしている。ほくそ笑むのはマスコミと官僚。 (続きを読む…)

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