Archive for the ‘book’ Category
Monday, July 21st, 2008
「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)
この本は、著者が関西人であるという前提をふまえて読むべし。圧巻は最後にある「リーサチ・リテラシー」テスト問題。この【問3】「女性が長生きするのは当然」についての解説。ぜひ読んでいただきたい。
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Saturday, July 19th, 2008
なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想
フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳)
大ヒットビジネス書の多くは「妄想」に支配されている。
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Saturday, July 19th, 2008
インテル戦略転換
アンドリュー・S. グローブ (著), Andrew S. Grove (原著), 佐々木 かをり (翻訳)
これはインテルという会社の戦略についての書ではない。
産業の基礎的競争要因を変えてしまう「10Xの変化」により突きつけられる「戦略転換点」に立ち向かう経営者が何をすべきか説いた書だ。
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Monday, July 7th, 2008
あっさり前言撤回しよう。
ここに大きな違和感を感じるのだ。人が人を統べる方法において古代も現代もあるものか。古代ギリシアの政治や軍隊組織よりも、現代のわれわれはよりよく組織運営している、などと無邪気に信じるとすれば進歩主義の浅薄さも極まったものだ。
via: analog | Progressive Management: 経営の未来
ゲイリー・ハメル氏は、じつは「人が人を統べる」ことを否定しようとしている。経営学の教授でありながら。
だから、私の理解が誤っていたのであって、改めて読んでみると、なるほど興味深い主張に彩られているのだった。
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Sunday, July 6th, 2008
ダメな議論―論理思考で見抜く 飯田 泰之 (著)
■コールドリーディングという説得術
宗教家や占い師が何の準備もなしに初対面の人の性格や悩みを言い当て、過去から現在、そして未来を読むことを指します。(略)コミュニケーションの中で「性格や悩みを言い当てられたと思わせ」「相談者の過去・現在・未来を透視できるかのような印象を与える」技法、そしてその結果として他社を説得し誘導する技術をコールドリーディングと呼ぶようです。(p.28)
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Thursday, July 3rd, 2008
2週間で小説を書く! (幻冬舎新書) 清水 良典 (著)
清水氏は多くの作家志望者を指導した経験にもとづき、陥りがちな落とし穴を教えてくれる。
谷崎潤一郎の名作『細雪』が超豪華な配役と絢爛豪華な衣装で映画化されたとき、試写を見た谷崎夫人(『細雪』の主要人物、幸子のモデルである)の洩らした感想は、わたしたちの頃は畳のへりを踏まなかったですね、という一言だけだったという。
細部は怖い。
「文章の細部の怖さ」よりも、谷崎夫人の怖さが伝わってくる、、、というのは冗談だが、じつに「細部」は怖い。後述の『アフターダーク』(村上春樹)ではITエンジニアが登場する。私は元ITエンジニアとして、ほんのわずかな違和感でも見逃さなかっただろう。しかし、何も違和感が無かった。専門的なことを書いて「ボロ」が出ないのはプロの仕事だ。相当な取材の裏づけがあるのだろう。
小説というものはふだん書くのと同じ文章で書かれているのだが、架空の「目」から書くという、ふだんの言葉の使い方とはまったく異なる奇妙な語り方をしているわけである。その「目」の設定をとりあえず決めないことには、一行も書き出せないものなのだ。
なるほど、言われてみれば、たしかにそうだ。ふだんの文章の書き方ではない。
「目」といえば村上春樹の『アフターダーク』が面白い。次のように評する人がいる。
ここで大切なのは、視点が三人称全知であることではなく、カメラなのだというところにあるのだと思う。上で「カメラのような全知的な視点」と書きましたが、むしろここで強調されるのは「カメラ的な視点の限界」と言うべきものです。
via: 村上春樹『アフターダーク』
「目」の描写が独特で引き込まれる。一方、会話の部分では会話に没頭する。客観的な視点の部分と、会話の部分が交互にあらわれ、構成にリズムが生まれている。適度な緊張感を保って最後まで読むことができる。
■描写
小説を書くのに最も大切な書く力とは、具体的な人物や行動や風景を、目の前にあるかのように再現する力、すなわち<描写>の力である。
「孤独の極致」を言葉にしてしまうのは最悪だし、「気持ち」を直接説明する表現はたいてい小説には必要ない。こういう文章を書くことなく、人物の孤独な気持ちが読み取れるように場面や言動を書くのが小説である。
なるほど。これは知らないと陥り易そうだ。気持ちを「記述」してしまいそうだ。自分では「より正確に読者に伝えたい」と思って。つまり、それが「描写」だと誤解して。
小説には非日常的な事態や出来事が起こる。しかしそのためにはその手前の「日常」がしっかりと描けていなければならない。
言われて気づく。たしかに、いきなり「事件」から始まる小説は、感情移入する前に話が先に進んでいってしまう。読者を置き去りにする感じ。
■小説の魅力
ものの見方と考え方、それを書く文章の語り口が独自であること。つまり、文体が個性的であることだ。それが小説の魅力の第一だと私は思う。
同感だ。世界観×文体。
■完成
「完成」とは、幻想である。
完成させる、のではなく、終わらせると考えるほうが実際的である。
たしかにそうだ。これは小説に限らない。ほとんどの創造的な仕事について言えることだろう。私の体験では、ビジネス上の資料。ちなみに、「リリース(release)」という言葉には「手放す」という意味がある。
クリエーターであると同時に批評家であること。それはどんな作家にも、音楽家にも、とにかく何かを表現しようという人間には不可欠な要素だ。
自分の創作物を、客観的に批評する能力。これが最も難しく、プロとアマを分けるのだろう。
See also: Writing School: 一億三千万人のための小説教室
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Monday, June 16th, 2008
吉田茂―尊皇の政治家 (岩波新書 新赤版 (971))
敗戦から新憲法制定まで、その後の日本を決定づける期間に、GHQ、アメリカと「戦った」尊皇・保守の政治家。
彼が日本の国体を維持するために、どれほどの労力を払ったか。たしかに完璧な憲法ではない。国体は、かなり破壊された。日米安保条約も完璧ではない。しかし、相手あってのことだ。戦勝国アメリカの意向あってのことだ。敗戦国であり占領下にある国の「自主制定憲法」としては、最善を尽くしたものだといってよいと思う。なによりも天皇制を維持した点は最大の成果だ。(昭和天皇の人柄がダグラス・マッカーサーを感動させ、彼を天皇制維持論者へ変えさせたことも大きな要因だが)
安保の交渉においては、おそらく心労からか、最後まで戦いきることは出来なかったようだ。講和・安保両条約調印会議へ当初は欠席する意向だったとか。さらには、天皇認証形式の全権委任状について、その様式までもアメリカの了解を得ようとするありさま。独立回復への気概は失われている。しかし、一人の人間が背負い込める責任をはるかに超えていた。彼を責める事は出来ない。独立回復への道筋がついた時点で、彼の中の何かが切れてしまったのだろう。
その後、吉田は政権を失う。吉田にとって最大の誤算というか、政治家としての弱点は、政党政治に順応できなかったことだろう。成果と失脚。ともにワンマンならではのものだった。
彼をワンマンたらしめた理由は生い立ちにあるだろう。本書はそこに踏み込んでいるが、吉田茂という複雑な人物は、なかなか容易に理解できない。
彼は完璧ではなかった。苦悩し、疲れ、間違えた。だからこそ魅力がある。親近感がある。同じ人間なのだと感じる。その、同じ人間が、どのような深い苦悩と戦ったのか。私はもっと知りたい。
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戦後60年、様々な史実が明らかになってきた。日本国憲法とは、法律学の素人がでっちあげた、日本人をふたたび欧米の脅威としないための、つまり換骨奪胎するための、米国から押し付けられた法律だったということは、もはや常識になりつつある。
日米安保条約は、憲法九条から生まれた必然だ。米国は間違いを犯したともいえる。日本が再び脅威とならないように「平和憲法」を押し付けた。その直後、共産主義の脅威から日本をアジアにおける反共闘争の拠点と位置づけ、米軍の重要な拠点とした。日本の戦後における混乱に乗じた「共産革命」を恐れ、あるいは北朝鮮やソ連の脅威から「自衛」をするために再軍備を迫った。ならば最初から「平和憲法」を押し付けたのは間違いだった。とはいえ、ドイツが第一次世界大戦から、わずかな期間で再び世界大戦の口火を切ったことを考えると、当時の感情として、日本に再軍備を許すのは無理だったのだろう。それが合理的判断ではなかったとしても。
この「平和憲法」と「安保条約」について、日本は、そろそろ舵を切るべきではないだろうか。
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Sunday, June 8th, 2008
『とてつもない日本』 麻生太郎 著
吉田茂の孫は確信を持って我々に語りかける。顔を上げろ。日本人であることを誇りに思おうじゃないか。我々の未来は明るいんだと---。
平成十七年、日本のODA(政府開発援助)により完成したインドの地下鉄を、外務大臣として視察した麻生氏は、地下鉄公団の総裁から次のように感謝されたことを述懐する。
我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。労働に関する自分達の価値観が根底から覆された。日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる---。
私はこの話にいたく感銘を受けた。
地下鉄建設に携わった日本人技術者達の仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのである。彼らはなにも、よそ行きのやり方をやって見せたわけではない。いつものように、日本で普通に行っているスタイルで仕事をしたに過ぎない。しかしそれが、インドの人々には「価値観が覆るほどの衝撃」だったのだ。
このように日本人の潜在力、日本の外交、国際貢献を語る一方で、少子高齢化悲観論を一刀両断する。高齢化を脅威ではなく機会として、より魅力ある国家を作ればよいではないか、と。
年を重ねることは、決して悪いことではない。二十年前の自分、三十年前の自分と、今の自分を比べてみたらいい。どうだろうか。成長している自分を実感するはずだ。私は、老化は退化ではなく、どこまでも進化だと思っている。
「高齢化」を暗黒の未来のように考えることは、実は自分の未来を暗いと考えるのと同じことだ。そんなバカげた考えは、即刻捨てた方がよい、と申し上げたいのである。
いち早く少子高齢化を迎える成熟国家は、文字通り、世界有数もっとも成熟した「かしこい国家」になり得る。世界中の国々が、あのときはどうした、こういうときはどうすればいい、と教えを請いに来る。まるで世界の「長老」のように。そんな可能性を秘めている。
人間は、年をとるほど、賢くなるのだ。
ますます賢く 武者小路実篤
僕も八十九歳になり、少し老人になったらしい。
人間もいくらか老人になったらしい。人間としては少し老人になりすぎたらしい。いくらか賢くもなったかも知れないが、老人になったのも事実らしい。しかし本当の人間としてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事はわからない。
引用:analog | Look Forward: ますます賢く
「活力ある高齢化社会」というビジョンは徹底して明るい。
海外の豊かな高齢者に「老後はどこに住もうか。アジアにジャパンという国がある。そこは平均寿命が世界で一番長いらしい。環境もいいところだ。医療制度もしっかりしている。そして、なんといっても治安がいい。深夜、女性が一人で街を歩けるらしい。しかも、街はきれいで、外国人にも親切らしい。そんな国に住もうじゃないか」といわれるような社会---。われわれ日本人が気付いていないだけで、それができる素地は十分あるはずなのである。
むしろ「明るすぎる」と思うかもしれない。いいではないか。私は政治家には夢を語ってほしい。目先の問題で暗い顔をした政治家など見たくない。それは役人の仕事であって政治家の仕事ではない。
世間の目なんか気にすることはない。いい年してあんなことしてと言われないかとか、これさえやっていれば近所の人から良く言われるんじゃないかといったことばかり考えていたのでは、憂鬱になるだけで楽しく遊べない。
年甲斐もなく・・・・・・とか、いい年こいて・・・・・・などといわれても気にせず、学生時代に乗りたくても買えなかったオートバイを六十歳になってから買って乗り回す。若い人じゃ買えないようなモトグッチとか、ウアンビーンなんていう高級なイタリア製のオートバイを購入して、逃げた女房は忘れて、合コンかなんかで知り合った女性を後ろに乗せて、ダンディにツーリングを楽しむ・・・・・・、そんなことができれば、高齢化社会はバラ色ではないか。
つまり、「悠々自適」なんて言えるカネのある老人には、しこたまカネを使っていただけばよい。元気のある老人には大いに働いてもらって、活力ある高齢化社会を作っていけばいい。そして、何度も言うけれども、本当に恵まれない人たちは、国が責任を持って支えていく。
こういう悠々自適な老人が増えて、楽しく遊んで、たくさんカネをつかってくれれば、世の中は明るくなるはずだ。日本の未来はバラ色だ。
あまり目の前のことに一喜一憂して落ち込んだりくさったりせずに、一緒に「元気な日本」を作って行こうじゃありませんか。
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Sunday, June 8th, 2008
『考えるヒント』 小林 秀雄著
福沢諭吉
太平の世は、考える必要を奪う。過渡期ではない時代などない。平時にあって有事を忘れるべからず。明治の激動に生きた思想家は要求する。考えろ、と。
過渡期とは言葉ではない。(略)自らが、めいめいの工夫によって処すべき困難な実相である。処すべき実相を答案の容易ある問題にすり代えてはならぬ。過渡期は外に在る論議の対象ではない。「一身にしてニ生を経る」君自身の内的な経験そのものである。これが福沢の説いた「私立」の本義であり、彼の啓蒙が目指したものだ。これは難しい事であった。今日ではもう易しい事になったと誰に言えよう。過渡期でない歴史はない。
「士道」は「私立」の外を犯したが、「民主主義」は「私立」の内を腐らせる。福沢は、このことに気附いていた日本最初の思想家である。
言葉
言葉は、考える道具である。ただ、言葉が大手を振って偉そうな顔をし過ぎている。言葉は方便に過ぎない。ある言葉から想起されるものは、人によって微妙に異なる。言葉による意思疎通の限界がここにある。言葉が万能であるかのような時代、意思疎通や共感とは言葉だけでないことを忘れずにいたい。阿吽の呼吸で通じ合う老夫婦に学びたい。
姿は似せがたく、意は似せ易し。言葉は、先ず似せ易い意があって、生まれたのではない。誰が悲しみを先ず理解してから泣くだろう。先ず動作としての言葉が現れたのである。動作は各人に固有なものであり、似せ難い絶対的な姿を持っている。生活するとは、人々がこの似せ難い動作を、知らず識らずのうちに、限りなく繰り返す事だ。似せ難い動作を、自ら似せ、人とも互いに似せ合おうとする努力を、知らず識らずのうちに幾度となく繰り返す事だ。その結果、そこから似せ易い意が派生するに至った。これは極めて考え易い道理だ。実際、子供はそういう経験から言葉を得ている。言葉に習熟して了った大人が、この事実に迂闊になるだけだ。
ネヴァ河
作家は、作中人物を、心の中で生きてみるものだ。作中人物に命を与えるものは、観察力ではない。愛情あるいは情緒と呼んでいい精神の力である。これは、現代の小説家たちには、非常に困難な道になってしまっているが、この作者が乗越えているのは、その困難なのである。
自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて。
引用:analog | Writing School: 一億三千万人のための小説教室
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Sunday, June 8th, 2008
『一億三千万人のための小説教室』 高橋 源一郎著
■何を書くか
自分にしか書けない小説とは何か。それは、自分にしか見えない世界の見え方である。自分にしか見えない世界の見え方とは、自分の中に見つけるしかない。自分がよく知っていることを書くしかない。つまり、まずは自分の中に小説のモチーフを見つけること。これが小説を書く前の準備である。
小説は書くものじゃない。つかまえるものだ。
■感性を養う
いろいろな文章を読む。肯定的に読む。目を背けたくなるようなものほど、自分に足りないもの。これまで読んだことがないような文章を、どんどん読んでみる。言葉や、作家の感性に対する、感覚を鋭くする。自分にしか見えないものを見つけるためには、人が面白さを見出さないところに、面白さを見出せる、感性が必要だから。飛んでくるボールに対して、自然に体が動くようになるまで、ボールを追いかける。
小説をつかまえるために、暗闇の中で目を見開き、沈黙の中で耳をすます。
■どう書くか
自分が好きな作家を、文章を見つける。それを真似る。何度も書き写す。最初は、独創的に書こうなどと、思ってはならない。ただ、真似ることだけを考える。そのうち、その作家が書いたかのような文章を、自然に書けるようになったら、それはたしかに、自分の文体になったといえる。そうならなければ、それはおそらく、そのときの自分が求めているものではなかったのだろう。また、真似る対象は一つとは限らない。そうしているうちに、自分の独創的な文体というものが、出来上がっている。
小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる。
■最後に
自分のことを書きなさい。ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて。
「小説を捕まえる瞬間」を数多く知り、自分が小説を捕まえる型を手に入れることが、プロの小説家になる道だと思った。
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