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5月 13, 2009

リバタリアンな婚姻制度

カテゴリー: law, liberty, society — hidetox @ 12:35 am

法とは自然に存在するものではない。人々が国家の権力(暴力)を制限し、自由を守るためのもの。人々がお互いに生きやすい社会を作るためのもの。したがって、我々はつねに「よりよい法」を「選ぶことができる」のだ。

あらゆるものを「当たり前」と受け入れず、ちゃんと考えてみよう。「当たり前」を疑い始めたとき、哲学が始まる。

リバタリアンな法哲学者森村進氏の婚姻制度に関する議論を紹介しよう。

・・・現代の大部分の国家は一夫一婦制だけを法的な婚姻の形態として認めている。それは同性間の婚姻も、一妻多夫も、一夫多妻も、群婚も、法的には認めようとしない。これは多様なライフスタイルに対して明確に偏頗な態度を取っており、リバタリアン的な中立性とは相容れない。この不平等を是正するためには、一部の国々で部分的に実現しているように、これらの少数派の婚姻の形態も法的に認めるという対策も考えられる。しかしそもそも婚姻という制度を法律に定めなければならない理由は明らかではない。実際には多くの法制度は色々な点で既婚者を独身者よりも優遇しているが、この優遇も法の下の中立性と衝突するから、もっと根本的に、婚姻という制度を法的には廃止すべきである。

婚姻という法的制度がないところでは、離婚もない。あるのは、共同の世帯を持つこととそれを解消することである。その共同生活者の権利義務関係は契約で定めることもできる。現在の婚姻制度では配偶者間の法的関係は強制法規によって大部分定められている。人は特定の相手とその関係にはいるかはいらないかの選択肢しかない。これに対して今述べた制度では、契約自由の原則から、共同生活者の法的関係は当事者が自由に決められる。

自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

補足:

「契約自由の原則から、共同生活者の法的関係は当事者が自由に決められる」
自由を手にした上で、なお「ふつうの結婚契約」を結びたい人もいるだろう。心配には及ばない。すぐに「ふつうの結婚契約」という契約書のひな形が出てくる。いま企業が使っているNDA(秘密保持契約書)だって、ほとんどひな形のまま使っているのだ。

当事者間で自由な契約内容を決められる、というのが契約自由の原則だ。だから、いまの日本国内法が定める婚姻契約を再現する契約書を作れば、何の問題もない。また、そのような契約書はニーズが多いだろうから、すぐに1通数百円程度のひな形として販売されるだろう。

そのうえで、個別のニーズのために契約内容を変更する自由が得られる。たとえば婚前契約で財産権を定める、といった事例は今でもある。遺産相続でもめるのも、よくある話だ。離婚に伴う係争も多い。婚姻にまつわるトラブルは多いと言わざるを得ない。

そもそも普通の善良な人々にとって契約とは「トラブルを事前に防止するためのもの」なのだ。契約当事者間でお互いのニーズを擦り合わせて合意しておくのは当然じゃないか。

ところが、契約内容に制限を課す強制法規は、人々から契約の自由を奪っているのだ。

契約自由の原則を奪う強制法規は、婚姻にまつわるトラブルを増やしているかもしれない。

婚姻契約が政府による強制法規であるべき正当な理由など無いのだ。

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