analog

4月 19, 2009

政治資金規正法

カテゴリー: bureaucracy, law, liberty, politics, society — hidetox @ 9:41 pm

民主党が政治資金問題第三者委員会を立ち上げましたが、早速そのヒヤリングの中身を観ることができるようになっています。

内容は、細かい論点について、総務省の担当者と委員が議論しているものですが、委員からのつっこみに対して、担当者はタジタジになっているように見受けられました。特に、櫻井敬子委員の、「構成要件があいまいで、予測可能性に欠ける部分があるのではないか」との趣旨の指摘には、完全に答えに窮しているかのようでした。

これでは、結局のところ、政治資金規正法は、まともに解釈・運用するつもりで作成・改正されたのではないのかもしれないのではないか、つまりはザル法として、ただそこに在ればよいのであり、どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかったのではないか、との疑問を抱かれても仕方ないと言えるでしょう。

via: 民主党の政治資金問題第三者委員会について – 輪(わ) -Come and See the Blood in the Street.

「予測可能性」は本当に大事です。

一言付け加えると、守れないルールがあると、そもそも政治献金を受けること自体が恐ろしくなるはずです。しかし、そうならずに「どの政治家もまともに守る気など最初からサラサラなかった」ということは、官僚・検察に太いパイプを持つことによって身を守ることができる政治家の体質も示唆する。つまり政官癒着ということです。

政治資金規正法については賛否両論ありますが、私は「個人献金も企業献金も完全自由化したうえで、企業の会計基準のように記録のルールを決め、開示を義務づけること」が望ましいと考えます。

穏健な立場としては「当局の開示請求にもとづき」となるでしょう。しかし、私はインターネット上での公開を義務づけても良いと思う。(企業決算の官報のように)

いまは政治献金そのものが悪であるかのような価値観にもとづく法制度だと思います。それが健全な民主主義の発想とは思えない。

金を集めることは悪ではない。そのすべての流れが明らかならば。

以下の指摘はもっともだと思います。

政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

一般論としても、裁量の余地が少ない立法ほど優れているのではないでしょうか。当局の裁量の余地が入らない法規制を望みます。政治資金規正法は、その点でダメなザル法なのです。

なお一点付け加えておきます。

私はリバタリアンです。そもそも国家は最小であるべきだと考えています。そこに誘導すべき利益などない。大した規模の公共事業が存在しないし、利権を生むような規制もない。そういう自由な社会を理想と考えています。その前提では、企業献金によって「誘導されるべき利益」など無いのだから、企業献金を禁止する必要などないのです。

過渡的な問題としては難しい面がありますけれどね。私も現在の国家規模(財政規模)では、たしかに市場の公正さを損ねる恐れがあるとは思いますよ。

ただ、企業献金を禁止すべきだという人々には、要するに「大きな政府」が良いと考えている人も多いようですね。

その点では、考え方が根本的に違うのでしょう。

国家は人々を守るのではなく、国家こそ人々にとって最も有害な存在だと考えますから。

国家から利権を奪ったとき、政治家には利権が少なくなる。つまり政治家が汚い仕事だと思うべき理由も小さくなる。そこで人々が政治家に活動資金を寄付する。むしろ政治家に税金で資金を提供する必要はない。

ではなぜ企業が献金するのか、という人がいる。企業は利益が目的なのだから云々、という議論。それはまったく意味のない議論だ。ならば利益の1%を慈善事業に投じている企業の存在をどう考えるのか。もちろんブランディングなどの目的があるだろう。あれを禁じるべきで無いならば、利益の1%を政治家に寄付することを禁じる理由があるのだろうか?

4月 16, 2009

「某氏の文体の特徴」とデビュー作

カテゴリー: book, critique, literature — hidetox @ 8:23 pm

某氏の文体の特徴 – 福耳コラム

最後のほうで一行だけ、太字で「嘘つき!」とか彼女が叫ぶ。

思わず、吹き出した。つい先日、彼のデビュー作を読んでいた。

すでにデビュー作に現れていることを確認した。人間は一人で生まれて死んでいくという世界観が。

最新、といっても数年前の長編では、最後に人と人が密接な結びつきを示す。あれは大きな変化というか、デビュー当時の作品からは想像できない。つまり、人はどこまでいっても他人だという個人主義の徹底からは。

歳を取っても人間は大して変わらないが、変わるところもある。

赤の他人の醜態を写メする悪意のない人々の恐ろしさ(追記)

カテゴリー: education, philosophy, society — hidetox @ 7:40 pm

赤の他人の醜態を写メする悪意のない人々の恐ろしさ』という記事では、わざわざ次のように書いたが、それでも残念ながら気を悪くした人がいるようだ。

俺自身はこの考えが絶対に正しい、正義だ、などとは考えていない。リブログした人の中にも、いろんな考えの人がいるだろう。ただ、無自覚に「筋の通らない無邪気な暴力行為」をしている人がいるかもしれないから、指摘したのだ。そもそも倫理や道徳など人それぞれであるべきだ、というのが私の価値観だから、あくまで消極的で限定的で、押しつけではなく、「あなたは自分で気付いていないかもしれませんが、こういうことをしていませんか?」と指摘したに過ぎない。だから、誰でもこれを読んで気を悪くしないで欲しい。

まあ、Tumblrで引用された一部分だけを見て反応した人も多いのだろう。そういうものだ。それを批判するつもりもない。ちゃんと原典を読んでくれない人も多いのだろう。

それで感情的な批判をしている人もいて、中身のない罵倒を聞く耳など持たないが、筋の通った反論は傾聴するので、ぜひ筋の通った反論を聴きたいと思う。

それとは別に、主張を誤解している人もいるようだし、ここで補足しておく。

提起した問題は簡単なことだ。「これを喧伝する人は、自分が彼の立場になったとしても堪えられるのか?」という問いだ。

1)この答えがYESなら、恥じることなく喧伝すればいいだろう。(だから、この1に該当する人が腹を立てているとしたら、その理由が分からない。あなたを批判していないのだ。原典を読まずに誤解したケースだろうか)

2)この答えがNOなのに喧伝する人は、筋が通っていない。個人的には「自分に都合のいいように正義を曲げる人」と思える。とはいえ、それも言論の自由であり、尊重するのだが。「お互いに分かり合えない価値観の違いは認め合うしかない」のだから。(わざわざこう書いたのだから、批判や反論はあっていいと思うが、感情的な罵倒をする人は何を考えているのだろうか、その心理状態が、じつに興味深い)

3)答えがNOだが、その引き受けるべき正義について無自覚な人もいるだろう。それを指摘したのが、例の記事では中心的なメッセージだった。これは「説得」だった。(「ただ、筋の通ってない人、つまり自分の無神経さ、鈍感さを自覚してない人は、これを読んで気付き、考えを改めてくれたはずだ」)

なお、「他人の醜態を撮影して喧伝する行為」を規制せよ、などとはまったく言っていない。言論の自由だ。私は、むしろ普通の人よりもプライバシーを尊重していないといえるだろう(リバタリアンだし)。だから、「他人の醜態を撮影して喧伝する行為」への批判はプライバシー権の観点ではない。

もちろんグーグル社に対して「ストリートビューでうちの庭の中が見えるのは困る」と抗議するのは自由だし、権利侵害がある場合には修正も必要だろう。しかしグーグルに修正を強制する権利はだれにもない。憲法に定める表現の自由は民主主義が成り立つための絶対条件であり、安易に例外を作ってはいけないのだ。他人の言論を制限しようとする「権利のインフレ」は表現を窒息させ、ウェブを不自由にするだけだ。

via: 「権利のインフレ」が表現を窒息させる

では、プライバシーとは関係ない議論としたら、どういう議論だったかというと、むしろ社会主義者が好むような道徳論、正義論に近い。「もし自分があの人の立場だったら」「立場の交換に堪えられるかどうか」という論法のだ。あくまで法規制などではなく、そういう個々人のモラルの範囲の議論をした。目的は批判ではなく説得だからだ。そういうことをする人を減らしたいと思ったのだ。キリストは「して欲しいことを他人にもしろ」と言ったし、孔子は「して欲しくないことは他人にもするな」と言った。そういうことだ。

以上、『赤の他人の醜態を写メする悪意のない人々の恐ろしさ』への補足とする。

4月 15, 2009

書評:自由のためのメカニズム

カテゴリー: book, critique, economics, law, liberty, society — hidetox @ 10:06 pm

以前紹介したデイヴィッド・フリードマン著『自由のためのメカニズム』は非常に読みにくい本だ。

難解というのではなく、文章として読みづらい。

原因が翻訳にあるのか、原文にあるのか、定かではないが・・・

リバタリアニズムのなかでも過激なアナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義論者)の主張を知りたいという向きには第1部〜第2部だけ読むことをお勧めする。第3部以降は、日本語としておかしな文が多すぎて、読むに耐えない。

ただ、興味があれば第3部や第4部にも読むに値する箇所はある。どちらかというと第2版で追加された第4部のほうが興味深いので、おすすめする。おもに「法と経済学」に関する論考だけは読んでおく価値があると思う。

4月 4, 2009

赤の他人の醜態を写メする悪意のない人々の恐ろしさ

カテゴリー: education, philosophy, society — hidetox @ 1:14 am

タンブラーを見ていたら、回ってきた記事がある。あえてリンクしない。この記事には写真も載っていた。

下半身丸出しで、シルバーシートに横たわってる、泥酔しているサラリーマンがいました。 靴や靴下、ジーパンなどを脱ぎ散らかし、股間をいじくっていました。 車内は一丸となって彼を取り囲い、写メールの嵐でした。

掲載されていた写真は、おそらく、これを書いた本人の撮影だろう。顔にボカシを入れていたが、そういう問題ではない。

その人の世間体を、人生を、破壊するに足る行為をしている自覚が無い(訂正:ことを)としたら、空恐ろしく感じる。

「絶対流出しないから」といって撮影したプライベート写真の流出で人生を破壊された人が俺の知るかぎり5人はこの世に存在する。実態はその何十倍か、何百倍か。。。

こういう写真撮る人間は、「自分がその立場だったら」と想像することができないんだろうか。

自分を安全圏において人を笑いものにする人は、自分がそういう立場になったときは誰からも守ってもらえないかもしれない、と割り切っているのだろうか。

人によって取る行動は違うかもしれない。車掌を呼ぶとか、露出部を隠してやるとか、起こしてやるとか、、、なんにしても、写真を撮るのは最低の行為だ。

俺のほうがおかしいのだろうか?

因果応報を自覚している人、自分がその立場になったときの覚悟ができて笑っている人なら、筋は通っている。それを否定はしない。ただ、俺が嫌悪感を頂くというだけに過ぎない。お互いに分かり合えない価値観の違いは認め合うしかない。

ただ、筋の通ってない人、つまり自分の無神経さ、鈍感さを自覚してない人は、これを読んで気付き、考えを改めてくれたはずだ。

俺自身はこの考えが絶対に正しい、正義だ、などとは考えていない。リブログした人の中にも、いろんな考えの人がいるだろう。ただ、無自覚に「筋の通らない無邪気な暴力行為」をしている人がいるかもしれないから、指摘したのだ。そもそも倫理や道徳など人それぞれであるべきだ、というのが私の価値観だから、あくまで消極的で限定的で、押しつけではなく、「あなたは自分で気付いていないかもしれませんが、こういうことをしていませんか?」と指摘したに過ぎない。だから、誰でもこれを読んで気を悪くしないで欲しい。

追記:
赤の他人の醜態を写メする悪意のない人々の恐ろしさ(追記)

Powered by WordPress