analog

3月 30, 2009

人類の理性は帰結主義を受け入れるか

カテゴリー: economics, education, history, law, liberty, philosophy, politics, science, society — hidetox @ 10:35 pm

地獄への道は善意で敷き詰められているという記事では、「善意」が社会にもたらす悪影響を紹介しました。

そのような問題を解決するために必要なのは、人類の理性です。人類は、帰結主義的な思考によって政治的意志決定をしていかなければなりませんが、それを阻むのが感情・本能です。つまり、理性によって、それらを押さえ込まなければ、人類は感情・本能に従って道を誤ります。

帰結主義(きけつしゅぎ、英語 consequentialism)とは、行為を道徳的に判断する際に、その行為から生じる帰結(結果)を考慮に入れる立場を指す。功利主義は、帰結主義のひとつの立場である。

via: 帰結主義 – Wikipedia

帰結主義的に正しくても、感情的には受け入れがたいというのが「労働者保護の撤廃」だったりします。それにより失業率が低下し、国民の経済厚生が向上するはずなのに。

拒否パターン1:道徳・価値観・倫理的に、受け入れがたい。
拒否パターン2:違和感・恐怖から、受け入れがたい。

前者には、まだ尊重すべき論理があります。しかし、後者の理由による拒否もあるということに気付きました。これは、本当にくだらないことですが。

自転車に乗れない人に似ています。「スピードを出せば安定するんだよ」と言われても、スピードを出すのは怖いから、なかなか乗れるようにならない。本能はその言説・理論を「信じる」ことに抗うからです。それに打ち克つのは理性です。

「ある程度はスピードを出したほうが安全」というのは帰結主義的に正しい言説であるけれど、感情的(本能的)には受け入れがたいわけです。マトリックスのモーフィアスなら「速く動こうと思うな。速いと知れ (Don’t think you are, know you are)」と言うところ。

つまり、「本能的恐怖を克服しなければ自転車に乗れるようにはならない」のですが、それと「労働者を保護するよりも規制緩和によって失業率が低下する」という言説を信じられるかどうかというのは、同じ構図でしょう。

近視眼的な正義が、結果的には大きな社会的不正義を生んでいることに気づくべきだ。

via: 1段階論理の正義 – 池田信夫 blog

本能が司る感情的認知と理性は別物。本能的恐怖感を超えて、帰結主義的に正しい道を選ぶことが出来るかどうか。

この21世紀、我々人類の理性が試されている、といっても過言ではないでしょう。

部族社会で生きてきた日本は、いま否応なくそれを捨てることを迫られている。資本主義は人々の精神的な紐帯を断ち切り、格差を拡大する。ハイエクは、「資本の文明化作用」を肯定したマルクスと同じく、こうした変化を不可避で望ましいものとしたが、本当にそれは人間を幸せにするのだろうか。それ以外の道はないのだろうか。

via: ハイエクの政治思想 – 池田信夫 blog

3月 29, 2009

官僚支配

カテゴリー: Japan, bureaucracy, politics — hidetox @ 11:16 am

 官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。

 スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。

 政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。

 「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

via: 政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)

自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で「金集め」は「悪」である。日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。

via: 政治とカネの本当の話(2) (田中良紹の「国会探検」)

 かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。

 そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。

 政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。

via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)

「企業は利潤を求めるから企業献金は賄賂になる」と言った新聞記者がいた。日本はいつから社会主義国家になったのだろう。利潤追求を「悪」だという民主主義国家を私は知らない。それを言うなら私企業を全廃しなければならなくなる。新聞記者の所属する新聞社は利潤を追求しないのか。利潤を追求すると新聞の使命を果たせないのか。企業は社会的必要があるから生まれる。企業が追求する利益が社会と相容れないはずがない。それを「悪」だと言うのは「官僚の論理」である。官僚は本質的に「社会主義者」だから企業の利潤追求を苦々しく見ている。その思いをかつての社会党が代弁して自民党の足を引っ張った。それに新聞・テレビが追随し官僚組織にゴマをすった。55年体制の愚かさがいまだに続いている。

via: これじゃオバマは生まれない (田中良紹の「国会探検」)

危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。景気対策程度で力んでいる場合ではない。

via: 危機が求めるもの (田中良紹の「国会探検」)

ぼくは以前から、納税者の視点で検察の捜査を監視すべきだと思っていて、いろいろなところで書いたり言ったりしてきました。
検察庁に限らず国の役所(霞が関)は、会社でいえば管理部門で、それ自体が何の生産も稼ぎもしない、いわゆるコストセンターです。

しかし、彼らには自らがコストセンターであるとの自覚がありません。
税金を投じた活動の効果がどれだけあがっているか、まったく検証されていないのです。
世の中、そんなお気楽な仕事をしているのは、霞が関しかありません。

via: 納税者の視点で検察の捜査を監視しないと (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)

誰も「仕事しないでもクビにならず、高給で、多額の退職金が出て、そのうえ多額の年金までもらえる」ような既得権を手放そうとはしませんから。

via: analog | この国は役人でつぶれそうです

「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。

via: analog | 政府と政治の区別はついてる?

政治は、政府(官僚)の役割を縮小し、より小さな政府を実現するため、各種の規制を撤廃し、公共事業を削減し、より多くの政府機能を民営化すべきだ。その結果として個々人は財政規模縮小、減税の恩恵を受ける。

via: analog | 政治、政府、報道、民衆の構図

最後に、個人の自由とは逆の問題について取り上げる。個人の自由を政府が支援することについてである。これについて、政府の支援に対する反対意見は3つ上げられる。

 第1に、政府が事を成すよりも個人が事を成した方が効率的な場合があるという主張である。これは、経済学者によって説明がなされているのでここでは取り上げない。

 第2に、個人は政府よりも効率的に仕事を処理できないが、個人自らの精神教育の一環として、個人によって仕事が処理された方が望ましいという考え方である。これは、国民教育の問題とも関わってくるがここでは取り上げない。ただひとつ言っておくべきことは、個人がこのような仕事に従事することは、個人的なあるいは家族的な小さな世界から個人を抜け出させ、社会との結合を強く認識させる契機となる可能性が高い点である。社会との結合を認識しなければ、自由な社会というものは創造できないし、維持もできないのである。

 第3番目の理由は、不必要に政府の権力を増大させるという指摘である。政府の機構が大きくなり、個人の活動が政府に支えられるという事態になった場合、法的に自由な社会が維持されていたとしても、それは名目上のことに過ぎない。

 人類の進歩と自由を妨げるものを確定し、利益を多く確保しつつも大きな政府を作らないようにする。それは政治にとって最も難しい問題である。これを解決するには、人材を地方へ分散し自由に活動させ、中央は情報統制のみを行うという方法が良いだろう。政府が様々な点まで口を出すようになると、国家の活力は失われてしまうと考える。

via: J.S.ミル『自由論』

3月 28, 2009

北朝鮮への旅

カテゴリー: Uncategorized — hidetox @ 10:42 pm

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3月 27, 2009

定額給付金への評価

カテゴリー: 定額給付金 — hidetox @ 12:25 am

 ご質問の趣旨は定額給付金の是非ではないと思いますが、はじめに定額給付金に関する評価について述べたいと思います。私は、定額給付金を、それほど悪い政策だとは思っていません。

定額給付金は、基本的には減税を、税率から見ると低所得者に対して手厚く行う政策です。給付金は差し引きの効果としてその多くが貯蓄に回るので、同額の公共事業などの財政支出に比して景気浮揚効果が小さいという批判がありますが、定額給付金の使い途は、貯蓄も含めて国民一人一人が決めるので、資源配分の無駄が起こりにくい点をもっと評価していいのではないかと思います。副作用が小さい政策の方がいいし、効果が足りないというなら、金額を増やせばいいのではないでしょうか。

定額給付金に関連して大いに警戒すべきは「給付金のような単なるバラマキよりも、もっと有効なお金の使い途があるはずだ」と言い募るような議論です。私は、たとえば2兆円の的確な使い途を政府が発案し実行することは、そう簡単ではないと思っています。言い換えると、政府を信用していません。G20で決まりそうな「GDPの2%以上の財政支出」についても、それ自体として不要不急、使い方が非効率で、官僚の利権となり、特定の業界の食い物にされるような支出がたくさん混じるのではないかと心配です。

via: [JMM]村上龍、金融経済の専門家たちに聞く Q.1002 回答:山崎 元

3月 26, 2009

地獄への道は善意で敷き詰められている

カテゴリー: politics, quote — hidetox @ 11:46 am

超重要

善意を持っている人、「いい人」でも、その考え方が「正しい」とは限らない。むしろ、間違っていることが少なくないのだ。「善意」によって、誰かをむしろ悪い方向に導いてしまう、ということはよくある。これが政治のように規模が大きく、重大な判断である場合、「善意の間違い」が多数派を占めたり、権力を持ったりすると、それが「地獄への道」になりうるわけだ。

「善意の間違い」が恐ろしいのは、表向きは「悪」に見えないこと、また善意の持ち主である本人は「悪」だと思っておらず、正しさを確信していることだ。だからこそ、それが多数派になったり、権力を持ちうる。

いかにも悪い人とか、悪意が見えているような悪事・間違いは、わかりやすい。悪であることには違いないが、悪であることが明白なので、支持されず、権力を持ちにくい。その意味で、この種の悪は「弱い」ものであり、「本質的な危険性」を持っていない。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉は、「わかりやすい悪」よりも「善意の間違い」のほうがはるかに恐ろしく、危険だということを実にうまく表現していると思う。

via: 地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions) – Zopeジャンキー日記

ハイエクが本書で繰り返し強調するのは、個人に理解しえない力が社会を動かしているということだ。「派遣村」を支援する人々が善意でやっていることは疑いないが、彼らの求めるように派遣労働を禁止したらどうなるかは別の問題だ。逆に主観的には「強欲資本主義」であっても、その強いインセンティブを適切なルールによって制御すれば、生産性が上がって労働者の待遇を改善する場合もある。それが「見えざる手」の意味である。

しかし、このように主観的な意図と違う客観的な結果が生じることは、啓蒙主義以来の合理主義の伝統においては、あってはならない。そのもっとも影響力の強い思想が、マルクスの「必然の国」と「自由の国」という歴史観だ。彼によれば、人々の意図とは違う資本主義の「必然」が人々を支配するのは、人的関係が物的関係として「錯視」されるブルジョア社会の病であり、「自由人のアソシエーション」によってこれを転倒すれば、人は自分の運命の支配者になり、人類の「前史」は終わる。

この理想は美しいが、社会を動かす法則が透明でコントロール可能だという誤った前提にもとづいている。昔から科学者や法律家にマルクス主義者が多いのは、偶然ではない。彼らの世界では、意図と結果は1対1に対応しているからである。しかし社会主義の失敗が証明したように、社会という複雑なシステムを計画的にコントロールすることは、不可能で有害なのだ。本書はそれを理解している人には退屈だが、民主党の議員は全員、本書を読んだほうがいいだろう(小沢代表は読んだはずだ)。

via: 隷属への道 – 池田信夫 blog

3月 19, 2009

ハイエクの「自生的秩序」

カテゴリー: economics, liberty, society — hidetox @ 9:52 am

市場から中央集権的なルールが現れる。それは経済学者が驚くことかもしれないが、マーケティング戦略の専門家なら当然だと言うだろう。スケールフリーネットワークの一極集中や、スイッチボードモデルのネットワーク外部性など、典型例だ。

Yahoo!やGoogleは、その最たるものだ。Google.govなんていうジョークがあるくらいで、一企業がWebのアーキテクチャを規定しているようなものだ。

ハイエクは、市場における自由を政治的な自由を確保するための絶対条件として考えましたが、政治における中央集権的な体制以前に、実際には市場において中央集権的なシステムが成立してしまったことになります。このことをハイエクはあまり考えていませんでした。

「小泉構造改革」は誤解の集積だった:日経ビジネスオンライン

それにしても、この記事はいろいろと考えるべきテーマを含んでいる。

3月 18, 2009

定額給付金批判と寄付経済

カテゴリー: bureaucracy, charity, economics, politics, society, 定額給付金 — hidetox @ 5:44 am

今回の定額給付金では、国民のほぼすべてが思わぬ余剰金を手にすることになる。その単価は1万円以上。しかも、給付自体に異を唱える国民が一定数存在する。何のために税金を納めたのか。莫大な経費をかけて徴税し、莫大な経費をかけてばらまく意味はあるのかと。
シリーズ 変なニッポン 3 ゴリ押し定額給付金、 使い道も政府の言いなりですか?:日経ビジネスオンライン

定額給付金は「バラマキ」ではない。「取りすぎた税金を還す」ことだ。定額給付金という手法自体は、別に悪くない。もちろん、国債を発行してやるようなことではないが。

税金ではなく寄付を納め、公益に与する“寄付政治”の揺籃が、今まさに起こりつつある日本。霞が関で予算を奪い合っている人たちは、何を思うのだろうか。

小さな政府、最小国家、無政府資本主義という政府解体の過程は、政府の仕事を民間が奪っていく過程でもある。

ミルトン・フリードマンは寄付に肯定的だったが、ウォルター・ブロックは寄付に否定的だ。いまの私は、どちらかというと否定的だ。

政府もNPOもない世界。税金によっても寄付によっても「公的サービス」は提供されない。あらゆるものが私企業によって提供される。本当に可能だろうか? もっと考えていく必要がある。

【定額給付金基金】-みんなの寄付で世界を変えよう-|寄付文化を創造する「チャリティ・プラットフォーム」

3月 16, 2009

自由で豊かな移民の国

カテゴリー: Japan, economics, politics — hidetox @ 6:18 am

 さて、ある種夢のない現実的な意見を述べるだけでは面白くないので、日本の内需拡大に寄与すると考える「特効薬」の処方を、劇薬かも知れませんが幾つか考えてみましょう。

 主な処方は「法人税の廃止」です。法人税の税収分(2006年度で約14兆9千億円です)の落ち込みは、所得税、消費税、相続税の引き上げでカバーします。税収の落ち込み分のカバーを遅らせると、その間実質的な減税になるので、需要の追加効果もあります。

 法人税の撤廃は、それ自体が減税であることに加えて、人々(企業)のインセンティブを変える効果があるので、「最強の景気対策」といっていいのではないでしょうか。

 第二の処方は、移民の受け入れです。どのくらいの数の外国人をどのように受け入れるかは難しい問題ですが、経済成長を目的とすると(今回のお題です)、生産(供給)、需要両面で、人口、特に労働人口の適度な増加が必要です。実施要領は難しいけれども、長期的な需要の増加のためには必要な措置だと思います。

 政府の経済活動を肥大化させずに、自由な経済取引を尊重しながら、経済成長を促進し、且つ経済的弱者に対して優しい社会を作ることは、簡単だとは申しませんが、十分可能であり、そのための道筋はほぼ見えています。

[JMM]村上龍、金融経済の専門家たちに聞く Q.1001 回答:山崎 元

福祉国家とは、何なのか? 福祉国家とは、差別国家の別名です。国内の福祉を訴える左翼が、同時に、国家の垣根を越えた平等を訴える。これは矛盾に気付いていないのか、もしくは欺瞞なのか。

もはや、あなたは矛盾に気付いてしまった。だから、本質に迫る思考を、もう一歩進めましょう。

「人間は生まれながらに平等」だから「富める者が貧しい者を救うべき」という左翼の論理は、根本的に矛盾している。だから、左翼は次のいずれかを認めるべきです。

* 「人命の価値は生まれながらに平等ではなく、生まれた国によって差別される」→世界人類平等の理念を捨て、ナショナリストになる
* 「自由な移民の国では、富める者が貧しい者を救う必要など無い」→経済的平等の理念を捨て、自由市場の信奉者になる

前者はナショナリズム福祉国家(全体主義、ポピュリズム)となり、後者はリバタリアン無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)となります。

左翼諸君、私は人類みな平等、世界は一つと考える点で君らの同朋である

 最貧国に莫大な援助を行い、対外債務が返済不能になれば免除する

 先進国のリベラリストたち・・

 とっても善意、とっても立派・・

 でも、過去数十年続けられてきた最貧国への経済援助は、ほとんど何の効果もなかった。

 リバタリアンの経済学者は、最貧国の貧困は、国家によって引き起こされたのだから、

 国家がそれを解決することは不可能だと考える。

 貧困を解消する可能性は、市場にしかないが、先進国の援助がその市場を徹底的に破壊

 してしまったからだ。

 善意の援助は、最貧国の市場を破壊し、人々を「乞食」に貶めている。

 ケニアのエコノミスト、ジェームズ・シクワチは、

 「お願いだから、もう以上、援助しないでください」

 「私たちに必要なのは援助ではなく、健全な市場経済なのです。

  私たちを、自分の足で立たせてください」

 ・・では、単に援助を中止すればいいのか?

 リバタリアンの解決策は、

  すべての先進国は移民規制を撤廃せよ

  そうすれば、世界の貧困を劇的に改善する、と。

 アフリカの貧しい人々は、ヨーロッパへ大挙して押し寄せ、

 中南米の貧しい人々は、アメリカへ押し寄せ、

 中国の貧しい人々は、日本へ押し寄せ・・

 彼らの所得は飛躍的に増えるはず。

 先進国の国民は、たまたま豊かな国に生まれたというだけで、

 とてつもない既得権を享受し、

 この既得権を守るために、厳しい移民規制を敷いている。

 しかしながら、現在の国家において、国民の既得権を奪うような政策を実行できる政府はない。

ウォルター・ブロック「不道徳教育」・・超訳・橘玲 – システムエンジニアの晴耕雨読 – 楽天ブログ(Blog)

私は人種差別のほとんどない日本こそ、自由な移民の国を掲げて人類史の発展に貢献できる可能性があると思っている。

そのためには、我々が日本人という「既得権」を手放し、移民規制という参入障壁を撤廃し、世界の人々に日本市場への参入権を解放することだ。そのとき日本経済は爆発的に成長するだろう。

そう、かつての米国のように。

※関連リンク

* リバタリアニズムと右翼・保守・左翼・リベラルとの違い
* 左翼諸君、私は人類みな平等、世界は一つと考える点で君らの同朋である
* 自由のためのメカニズム
* 価値観を包摂するメタな価値観
* 自由で豊かな移民の国
* あなたも自由主義者だ
* お互いに不干渉/消極的自由論
* 政治、政府、報道、民衆の構図
* 政府と政治の区別はついてる?
* リバタリアニズムを知るためのリンク集(mojix.org)

景気対策と称して政府の財政支出に「たかる」民衆が増えるほど官僚は喜ぶのだ

カテゴリー: bureaucracy, economics, politics, society — hidetox @ 5:58 am

短期的な政策としては、景気対策として再び公共事業などの財政支出による「景気対策」に期待する向きもあるようですが、資源配分の効率性を改善し、同時に政治家や官僚との癒着などの問題が少ない公共事業の実行が期待できるようには思えません。国民自身にお金の使い途を委ねる減税や給付金を「バラマキである」と封じて置いて、他方で景気対策に期待させて財政支出を拡大する方向に持って行こうとする動きがあるようですが、望ましい方向であるようには思えません。公共事業への支出拡大による内需振興には反対します。
[JMM]村上龍、金融経済の専門家たちに聞く Q.1001 回答:山崎 元

定額給付金は、役人にとっては嬉しくない仕組み。なぜなら、そこに利権がないから。逆に言えば、定額給付金はクリーンで、汚職とは無縁の仕組みなのです。
定額給付金は福祉の効率化〜ベーシック・インカムに通じる

官僚が「ソフトウェア属国状態」という劣等意識を煽る。その解決策として「日の丸検索エンジン」という「国策プロジェクト(情報大航海プロジェクト)」を打ち出してみせる。欧米コンプレックスを持つ人々が、それに飛びつく。官僚が仕組むマッチポンプなのです。元財務官僚・高橋洋一氏も言うように「情報操作は官僚のお手の物」です。
IT業界の悲願「日本発」

しかも、この不況で、人々は自立・自助(self-help)の精神を失い、政府に対してカネクレの大合唱。。。官僚は笑いが止まらないでしょう。大きな政府は、官僚の仕事を安泰にします。
少なくとも向こう数年間は、役人が「この世の春」を謳歌するでしょう。数年で終わらなければ、、、日本はデフォルトするかもしれない。
この国は役人でつぶれそうです

* この国は役人でつぶれそうです
* 政治、政府、報道、民衆の構図

公民教育を中身のあるものに

カテゴリー: education, liberty, politics, society — hidetox @ 4:41 am

経済学が提供する基本的な考え方を、すべての人々が学習すべきであると私は固く信じている。一般教育の目的の一つは、世の中のことを人々に教えて、彼らによりよい市民になってもらうことである。
『マンキュー経済学』先生への序文

経済学の十大原理
第1原理: 人々はトレードオフ(相反する関係)に直面している。
『マンキュー経済学』

この本のなかで、駒村氏が行った調査で興味深い結果が紹介されている。それは、「大きな政府か、小さな政府か」という質問と「格差拡大か、縮小か」という質問への日本人の回答だ。「大きな政府で、格差縮小」に賛成の人が約20%、「小さな政府で、格差小あるいは格差維持」に賛成の人が約12%、「中規模政府」を望む人が約20%という結果になっている。駒村氏が文句をつけているのは、「小さな政府で格差縮小」を望んでいる約20%の人に対してである。こういう希望は、ないものねだりで、選挙の際のかく乱要因となるというのである。本当にそのとおりだ。私たちは、フリーランチはないことを前提に、社会の制度を設計し、選択する必要がある。
愚かな「ないものねだり」をやめよう

「人間は生まれながらに平等」だから「富める者が貧しい者を救うべき」という左翼の論理は、根本的に矛盾している。だから、左翼は次のいずれかを認めるべきです。

「人命の価値は生まれながらに平等ではなく、生まれた国によって差別される」→世界人類平等の理念を捨て、ナショナリストになる
「自由な移民の国では、富める者が貧しい者を救う必要など無い」→経済的平等の理念を捨て、自由市場の信奉者になる
前者はナショナリズム福祉国家(全体主義、ポピュリズム)となり、後者はリバタリアン無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)となります。
左翼諸君、私は人類みな平等、世界は一つと考える点で君らの同朋である

人は交換可能消費財が充足するほど交換不可能財が増える。貧しい国の人々は臓器を売っている。「人生お金じゃない」と言えるのは飢えてない人間だ。
経済的豊かさという衛生要因

人々は日本国に過剰な期待を抱き、過大な負担を要求する。だから年金の議論は常に見苦しい。誰もが「どうやって国にたかるか」という損得勘定に血道をあげているからだ。
年金の議論は常に見苦しい

教育は重要である。よりよい市民が増えなければ、民主制は衆愚政治に陥るのだ。

彼は攘夷の気分が蔓延していた当時に攘夷を否定し、また、「政治は国民の上で成り立っており、愚かな人の上には厳しい政府ができ、優れた人の上には良い政府ができる。法律も国民の行いによって変わるもので、単に学ぶ事を知らず無知であるのに強訴や一揆などを行ったり、自分に都合の良い事ばかりを言う事は恥知らずではないか。法律で守られた生活を送っていながら、それに感謝をせず自分の欲望を満たすために法律を破る事は辻褄の合わない事だ。」(意訳)等と、大政奉還から約4年半後の世相を考えれば、かなり先進的な内容だったといえる
民主制・自由主義・個人主義 −−−福沢諭吉著『学問のすゝめ』に関するWikipediaの記述

「ほんのしばらくの安全を手に入れるために、本質的で不可欠な自由を放棄してしまう人々は、自由も安全も持つ資格がない」
自由か隷属か −−−ベンジャミン・フランクリンの言葉として、フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエクが『隷属への道』で紹介した言葉

民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが —ウィンストン・チャーチル
衆愚政治 – Wikipedia

民主制への理解もなしに、「国が悪い」「政治家が悪い」などと言うべきではない。人類の歴史に対する尊敬の念に欠けている。批判するなら代案を出したまえ。

マンキュー氏の言うとおり、義務教育の目的を「世の中のことを人々に教えて、彼らによりよい市民になってもらうこと」に置くならば、公民教育こそ最も重要だ。読み書きそろばんの次に重視すべきであろう。

社会全員の教育水準を上げることが社会全体の福祉に繋がるはずだ、という言説に私も同意する。だから、教育をすべて自己責任で、自己費用で行うべきとは思わない。ただ、その目的(国民皆学)を達するための手段として、強制・義務教育は唯一の解なのだろうか?
保守的教育観

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