官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である。車の法定速度を守ったら渋滞が起きる。誰も守っていないのが普通である。警察は普通は見逃している。それで国民生活に支障はない。しかし時々警察は捕まえる。運転手は「運が悪かった」と思う。この時々警察の都合で捕まえるところに官僚の「裁量」が働く。官僚は法律違反を常に見逃しながら、都合で取り締まる。警察に歯向かう人間は取り締まられ、警察にゴマをする人間は見逃される可能性がある。
スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる。
政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る。政治が力を持てばいつでも「摘発」して見せ、メディアに「政治批判」をさせ、国民を「政治不信」に堕ち入るようにする。「政治不信」こそ官僚にとって最も都合が良い。これで政治家を官僚の奴隷にする事が出来る。その事に協力してきたのがかつての野党とメディアである。
「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。
via: 政治とカネの本当の話(1) (田中良紹の「国会探検」)
自民党の選挙はアメリカ型に近いのだが、日本で「金集め」は「悪」である。日本とアメリカ政治の何が一番違うかと言えば、政治と官僚の力関係である。アメリカは政治が官僚より優位に立ち、官僚をコントロールしている。日本では官僚が政治より優位にいて、政治が官僚にコントロールされる。官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。
via: 政治とカネの本当の話(2) (田中良紹の「国会探検」)
かつて税制上認められていた政治献金は企業の「交際費」である。与党の1年生議員は当選すると企業を回って歩き、後援会への入会と政治献金を求めた。まだ企業が総会屋に利益供与を行うことが認められていた時代には、総会屋を担当する総務部が政治家も担当した。企業にとって政治家は総会屋と変わらず、何かの時の保険で、積極的にはお金を出したくない存在だから、政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。
そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。
政治家が自分で金を作ることや、民間が政治家を育てることは司法によって摘発の対象となった。そして「濾過器」を通らないと「汚れたカネ」として摘発の対象になる。これが政治を官僚組織に従属させ、国民を支配する官僚のノウハウなのである。
via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)
本来、政治資金規正法の主旨は金額の「規制」ではなく、カネの「入り」と「出」を透明化することである。誰からいくら貰い、何に使ったかが分かれば、その政治家の働き振りが分かる。大して仕事をしない政治家は「入り」も「出」も少ない。政治活動を活発に行う政治家は金額が大きくなる。その使い道を見て有権者は政治家として有能かどうかを判断する。ところが三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。
via: 政治とカネの本当の話(3) (田中良紹の「国会探検」)
「企業は利潤を求めるから企業献金は賄賂になる」と言った新聞記者がいた。日本はいつから社会主義国家になったのだろう。利潤追求を「悪」だという民主主義国家を私は知らない。それを言うなら私企業を全廃しなければならなくなる。新聞記者の所属する新聞社は利潤を追求しないのか。利潤を追求すると新聞の使命を果たせないのか。企業は社会的必要があるから生まれる。企業が追求する利益が社会と相容れないはずがない。それを「悪」だと言うのは「官僚の論理」である。官僚は本質的に「社会主義者」だから企業の利潤追求を苦々しく見ている。その思いをかつての社会党が代弁して自民党の足を引っ張った。それに新聞・テレビが追随し官僚組織にゴマをすった。55年体制の愚かさがいまだに続いている。
via: これじゃオバマは生まれない (田中良紹の「国会探検」)
危機を脱するためにはこの構造に目を向ける必要がある。戦前の指導者は大恐慌に対抗して資本主義を排し統制経済体制を作った。それが戦後の高度経済成長をもたらした。しかし官僚統制型経済、製造業に特化して輸出で外貨を稼ぐ仕組み、官僚主導を担保するため政権交代をさせない仕組み、それらは既に限界に来ている。にもかかわらず構造だけは生き残って「百年に一度の危機」を招いた。今の日本に必要なのは次なる構造転換を構想出来る指導者である。景気対策程度で力んでいる場合ではない。
via: 危機が求めるもの (田中良紹の「国会探検」)
ぼくは以前から、納税者の視点で検察の捜査を監視すべきだと思っていて、いろいろなところで書いたり言ったりしてきました。
検察庁に限らず国の役所(霞が関)は、会社でいえば管理部門で、それ自体が何の生産も稼ぎもしない、いわゆるコストセンターです。
しかし、彼らには自らがコストセンターであるとの自覚がありません。
税金を投じた活動の効果がどれだけあがっているか、まったく検証されていないのです。
世の中、そんなお気楽な仕事をしているのは、霞が関しかありません。
via: 納税者の視点で検察の捜査を監視しないと (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)
誰も「仕事しないでもクビにならず、高給で、多額の退職金が出て、そのうえ多額の年金までもらえる」ような既得権を手放そうとはしませんから。
via: analog | この国は役人でつぶれそうです
「政府(官僚)」と「政治(政治家)」の区別がついてないのは最悪だ。官僚機構は自己保身で肥大化するし、民営化や規制緩和に抵抗する。これを止められるのは政治だけだ。我々が政治を応援しない限り、民営化や規制緩和は実現しない。小泉郵政民営化が圧倒的な民意の支持により達せられたことを思い出そう。
via: analog | 政府と政治の区別はついてる?
政治は、政府(官僚)の役割を縮小し、より小さな政府を実現するため、各種の規制を撤廃し、公共事業を削減し、より多くの政府機能を民営化すべきだ。その結果として個々人は財政規模縮小、減税の恩恵を受ける。
via: analog | 政治、政府、報道、民衆の構図
最後に、個人の自由とは逆の問題について取り上げる。個人の自由を政府が支援することについてである。これについて、政府の支援に対する反対意見は3つ上げられる。
第1に、政府が事を成すよりも個人が事を成した方が効率的な場合があるという主張である。これは、経済学者によって説明がなされているのでここでは取り上げない。
第2に、個人は政府よりも効率的に仕事を処理できないが、個人自らの精神教育の一環として、個人によって仕事が処理された方が望ましいという考え方である。これは、国民教育の問題とも関わってくるがここでは取り上げない。ただひとつ言っておくべきことは、個人がこのような仕事に従事することは、個人的なあるいは家族的な小さな世界から個人を抜け出させ、社会との結合を強く認識させる契機となる可能性が高い点である。社会との結合を認識しなければ、自由な社会というものは創造できないし、維持もできないのである。
第3番目の理由は、不必要に政府の権力を増大させるという指摘である。政府の機構が大きくなり、個人の活動が政府に支えられるという事態になった場合、法的に自由な社会が維持されていたとしても、それは名目上のことに過ぎない。
人類の進歩と自由を妨げるものを確定し、利益を多く確保しつつも大きな政府を作らないようにする。それは政治にとって最も難しい問題である。これを解決するには、人材を地方へ分散し自由に活動させ、中央は情報統制のみを行うという方法が良いだろう。政府が様々な点まで口を出すようになると、国家の活力は失われてしまうと考える。
via: J.S.ミル『自由論』