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1月 19, 2009

広告批評の欺瞞: おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか?

カテゴリー: critique, marketing — hidetox @ 12:52 am

先日mixiで見かけた広告から話を始める。

「同棲してたら追い出されました(ノjДj)ノ 犬なんですが…」というテキストリンク(広告)。Q&Aサイトっぽさを演出。

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その本質は「Q&Aサイトっぽさ」を出したいのではなく「広告っぽさ」を消したいのと、「犬なんですが」というありえない語り手の設定にユーモアを交ぜたことで、キャッチの力を高めようという工夫だろう。

と、まあ、いわゆる「広告批評」と称す戯れ言としては、こういうウンチクをたらたら述べてればいい。

とはいえ、こういう「うまい広告」が商業的に有効かどうかは別問題だ。「よい広告」とは「売れる広告」であって「下手な広告」でも構わない。

※私がmixiで見かけるたびにイラっとしている「社内エンジニア年収700万残業無し」というインテリジェンスのバナーは、おそらく効果があるから長期にわたって続けているのだろう。だとしたら、この明らかに「下手」な広告は、しかし「良い広告」であることになるのだ。(あるいは効果検証せずに広告費の無駄遣いを自覚していないだけかもしれないが)

※私はUNIQLOCKが好きでスクリーンセーバーをダウンロードした。おそらく、のべ1時間は見たのではないか。UNIQLOCKに言及した文章も1時間分は読んだはずだ。しかし、UNIQLOCKに触れて以来(2年間ほど)、一度もUNIQLOの商品を買っていない。こういう人は少なくないはずだ。だからUNIQLOの人がダウンロード数などを「成果」と呼んでいるのに違和感がある。

うまいこと言った広告、うまいと思わせる広告と、売れる広告は違う。

広告評論の欺瞞、それを私は次のように告発する:おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか?

たいていの批評者は買ってない、と断言できる。

広告を「作り手」として語ることに意味がないとは言わない。作る方法の議論は有意義だ。しかし、広告の本質的な批評とは「消費者」「生活者」の観点でなされるものだろう。そして、「消費者として語る」とは「自腹で購入する」ことに他ならない。脳内で「消費者行動」を想像するのは、(作り手として)仕事でやってることだろう。それじゃダメなのだよ。「うまい広告と、売れる広告は違う」と言ったろう?

買わずに広告を批評するというのは、結局、広告を「作品」として評価しているに過ぎない。しかも、同業者の視点で。なんという内向きの思考だろうか、広く社会に向けて「広告」することを仕事にしているくせに。

アンケート調査通りに商品を作って売れなかった事例は腐るほどあるだろう。同じように「よい広告のように見える」からといって、実際に「よい広告(=売れる広告)」であるかどうかは別問題なのだ。

『ヤバい経済学』(Freakonomics)のレヴィット氏が「フォーカス・グループ・インタビューを嫌いな5つの理由」を述べている:

One Reason to Like Focus Groups – Freakonomics Blog – NYTimes.com

I’m not a big fan of focus groups (when it comes to businesses figuring out what customers want) for a number of reasons.

Fourth, in general I am more interested in what people do than what they say.

誰もが「これはよい広告だ」と評価して賞を与える広告賞は、その大賞が爆発的な売上につながったものでなければ意味がないだろう。さもなくば、「いったい何の観点で【よい広告】を決めてるのだ」という疑問が沸く。

もし「広告批評」的な広告賞の価値(権威)を維持したければ、商業的価値以外の要素としての「広告の価値」をきちんと理論立てて構築すべきだろう(それはアート批評に近いものになるのだろうと思う)。

ただし、アートっぽいハイソなムードを演出してディレッタントなクライアントからカネを巻き上げるための権威付けに過ぎないことが明らかになれば、バカらしくなった人々から離れていくだろう。

「広告批評」という雑誌がこの春休刊する。

これにあわせて「広告批評」という行為そのものが衰退するとしても、それは自然なことだろう。

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※追記:誤解している人がいるようだが、いつ購買したかは問題にしてない。「将来の売上に繋がる広告もある」という「反論」があったが、そもそも購買のタイミングを問題にしていない。正確に言えば「顧客のLTV向上につながったかどうか」ということを問題にしているのだ。「ブランド構築」だのゴタクを述べる人もいるが、それも結局は将来の購買に結びついていれば「売れる広告」だし、そうでなければ「どれほど良いイメージを持たれても1円の価値もない」のだから、「売れる広告かどうか」というひとことで片付けることができる。「自分では買わないけど、その広告を見てクチコミを広めてくれる人もいる」という「反論」もあるが、それも一緒だ。誰が買うかは関係ないだろう。間接的な効果も含めるのは当たり前だ。あれこれご託を並べて「売る力があるかどうか」というシビアな議論を避けることを告発しているのだ、本稿は。

2件のコメント »

  1. 全く同感です。諸手を挙げて同意します。
    「広告批評」は批評しやすいようにしか広告を批評しなかったのではないか。それが広告を駄目にしたのではないかと思います。

    コメント by 福耳 — 1月 19, 2009 @ 2:21 am

  2. 付加価値の付け方を誤ると自分を甘えさせることになる、という気がします。自戒も込めて。

    コメント by hidetox — 1月 19, 2009 @ 1:38 pm

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