嫌儲批判(お金は汚くない、どころか、善意の触媒だ)

このエントリーを含むはてなブックマーク November 16th, 2008 | posted in economics, society |

小さな親切などにも価値の交換を、対価の支払いを可能にする仕組みとして、地域通貨などが使われて、機能している例もあるようだ。ボランティアや、ちょっとした親切に対して、対価を支払う。これが自然に行われるようになるべきだ。

analog | 思いやりはお金に換算できる!?

対価をもらえば市場が成立し、もらった対価をその人が消費すれば経済も回る。ほら、ここでも
「経済の一部になること」
が、活動を持続可能にするために重要だということがわかります。

そこに経済(あるいは市場)がある、とは、価値が交換されている、ということだ。そして、物々交換でない限り、そこに貨幣が存在する。つまり、片方がカネを支払い、片方はカネを受け取る。金儲け。

金儲けを良くないことだと思っている人が多い。

バカか。

あなた自身を想像すれば分かるように、人は納得しなければ金を支払わないだろう。消費者には購買行動の自由がある。何を買うか、あるいは、買わないかを、あなたは選ぶことができる。

だから、あなたが何かを買うということは、その商品・サービスに対して、その金額の価値を認めた、ということだ。いや、実際には支払った金額以上の価値を認めて「割安」だと思うこともあるだろう。逆に、あなたが「割高」だと感じたとしても、あなたには買わない選択肢があるのだから、結局あなたにとってその商品はその金額分の価値があるということなのだ。嫌なら買わなければいいのだから。

ようするに、金は価値の媒介に過ぎない。売り手と買い手の価値交換の媒介にすぎない。価値の尺度に過ぎない。金に良いも悪いもない。あなたは長さの尺度である定規について、良いとか悪いとか考えたことがあるか?

もっと前向きに金を考えよう。金がなければ物々交換だ。金があるから経済は効率的なんだ。効率的であるとは、例えば、欲しいときに欲しいものが手に入りやすいということだ。

そのうえで、無償のボランティアについて論じる。じつはボランティアも金を稼いだほうがいい、ということを説明する。

例えば、階段で重い荷物を持って貰ったときに、お礼を言っても、お金は支払わない。貰うほうも、受け取らない。それどころか、お金を見せられると「そんなつもりで手伝ったのではない」と憤慨することさえあるだろう。

よくよく考えれば、おかしな話だ。

ここに「お金」が介在することで、もっと小さな善意が行使される機会は増えるはずだ。

洗練された人は、500円玉を入れたポチ袋などを持ち歩き、何か善意をうけたときにお返しとして一筆いれて渡すという。素敵じゃないか。

お金は善意の促進剤になり得る。

無報酬の善意は、対等ではない。ある意味では「押しつけ」や「押し売り」に通じる。やったほうが満足感を得るかもしれないが、相手にしてみれば善意の押し売り。例えば無償の善意は受け取りたくない、自分のことは自分でやる、という人は、勝手な善意の押し売りは迷惑だし、気持ちの上で「対等」になるためには、報酬を支払いたい、と思うだろう。そこで、同じ事を仕返してやる、というのも難しい。だから、そこで金を払い、受け取ればいい。

一方的に押しつけられた善意に対して、「負う」感覚がある。これは、まさに押し売りだ。相手に金を支払わせないことで、あなたは「してやった」という快感を得る。一方で、相手には解消されない不快感を残す。あなたは金を受け取るかわりに、相手から快感を奪ったのだ。だったら、金を介して、きれいさっぱり「精算」したほうが潔いではないか。

金は価値の尺度だ。そして、人が感謝するのは、何か価値があることをしてもらったときだ。だから、感謝と同時に金を払うことに、何の問題があろうか?

しかし、これは理想論だ。現状では慣習から日本円などの通貨による取引には、それ自体に色がついている。「金儲け」という悪いイメージが。(本来は、このイメージを払拭すべきだから、初等教育における経済教育が必要だと考える)

そういう金の負のイメージを払拭する意味で「地域通貨」には意味がある。日本円と違って色がついていないために、払う人も、貰う人も、「金儲け」という感じを受けない(受けにくい)。

貨幣が価値の媒介である、という原則を、「金儲けは悪だ」という間違った思想が妨げている。これをふたたび基本にかえす。そのために、地域通貨という道具は有効である。しかし、より必要なのは、貨幣に対する正しい理解を広めることである。これは初等教育からの経済教育によってなされる。すでに日教組の教育に染まった大人はダメだ。子供から変えていかなければ。

備考:

地域通貨は中央銀行の発行する法定貨幣とは異なり、その発行機関が任意の「通貨政策」をとることができる。この自由度が「法定貨幣(日本円)に対する補完的通貨」としての地域通貨の可能性だ。

地域通貨 - Wikipedia

地域通貨の話題になるとマイナス利子がよく話題になるが、これはシルビオ・ゲゼルが提唱した「減価する貨幣」のことである(ちなみに、英語ではdemurrageという表現が一般的に使われる)。

これは通貨そのものの価値を時間とともに減らしてゆく(正確に言うと一定期間ごとに額面の一部に相当するスタンプを購入して貼らないと価値が維持できないようにする)ものであり、現在の通貨の機能のうち価値保存機能を奪うことで通貨の流通速度を高めたり、投資の際の貸出利率を大幅に引き下げたり(理論的にはマイナス利率での貸出も可能となる)することで経済活動を活性化させようというものである。

※地域通貨というと左派経済学思想ということになろうが、右派自由主義においても活用できる概念であると思う。そもそも自由主義には通貨発行の自由化という思想もあるわけだし、企業が発行するポイント(ビックカメラ等)や電子マネー(Edy等)は、すでに経済においてかなりの部分を占めてきている。

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  2. Nov 16, 2008: analog | マルクス経済学ではボランティアを語れない

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