子供に勉強しろというならば
「学生のうちに、もっと勉強しておけば良かった」という大人は多い。それは、真剣に事(仕事)に向き合うからこそ出てくる言葉だ。理想の実現に実力の不足を感じたときに「もっと勉強しておけば良かった」という心情が生まれるのだ。
漫然と生きている人は、学問の必要性や有効性を感じることもない。なぜなら、現在の実力で手の届かないような高い目標を持たなければ、自分の実力に不足を感じることもないからだ。つまり、「もっと勉強しておけば良かった」とは思わないことになる。
「もっと勉強しておけば良かった」と感じる大人から、学生へ「学生の内にたくさん勉強しておけ」と助言したい。
しかし、そもそも学生の本分は勉強することだ。大人が「もっと勉強しておけば良かった」と思うのは学生の時に勉強していなかったということであり、いまの学生に対して「たくさん勉強しておけ」と言うのは学生が勉強していないことを仮定している。
おかしいじゃないか。大学生が勉強しないのが当たり前の世の中なんて。
私は大学生が学ぶ意欲を持っているような世の中が理想的だと思う。
どうすれば大学生は勉強するんだろうか?
それには、無目的な受験をやめさせてはどうだろうか。学ぶ目的がないのに大学に入るのをやめさせることだ。いまの問題は勉強する気のない人間が大学に入っていることだ。大学が学習意欲を与えられないことではない。大学にそんな責任は無い。学ぶ意欲のないものは去ればよく、そもそも入るべきではない。
「大学生に勉強させる」と考えるのではない。「勉強したい人間だけが大学生になればいい」と考えるのだ。
初等教育は「教育」でいいだろう。与えるものだ。しかし高等教育とはおかしな言葉だ。それは「教育」ではなく「学習」であるべきだ。自発的に学ぶべきだ。大学は学ぶ意志のない学生にあわせてレベルを下げるべきではない。そうせざるを得ないほど、学生のレベルが下がっているとしたら、それは大学の責任ではない。高校以前の学校や、親たちの責任だ。
本人に学ぶ意志がないのに、子供に受験させる大人達が悪い。そういう一人一人の大人達が、全体として日本の大学生、大学のレベルを下げている。集団心理からいって、大学生がみんな向学心に燃えていれば、それは相互に触発しあい、さらに大学生のレベルを底上げする圧力になる。現状は逆だから、レベルを押し下げる圧力となってしまっている。その責任は学ぶ意志のない子供を大学に送る大人達、一人一人にある。
まずは、学問の意義・目的を、子供に教えてはどうだろう。それは、なによりも、自らが学問によって豊かな人生を生きることだ。学問がいかに自分の人生に役立っているかを、身を以て示すことだ。それなくして、子供に学を志せと言うのは無責任じゃないか。説得力が無いじゃないか。
あなたの人生にとって、学問とは何ですか?
あなたが現に学問を求めて本を読み耽る姿を見れば、学問が人生に役立つと子供に実感させることはできるのではないですか?
学問の目的は立身出世だと啓蒙したのは福沢諭吉だ。それには大いに賛成する。しかし、学問の目的はほかにもある。良い学校(って何だ?)に入り、良い企業(って何だ?)に入り、それで幸せな人生(って何だ?)を歩む、という現実にならなかったとしても、学問の価値は下がらない。学問は「自分で考える力」になる。嘘や詐欺や悪意にまみれた世の中を、自分の力で強く生きていく力になる。
あなたが学問を捨てず、いつも学び続けて、それを人生の糧とするならば、子供に勉強しろなどという必要は無いのではないだろうか?
子供の素朴な、しかし本質的な質問に対して、あなたは哲学や科学や経済の知見を用いて、平易な言葉で説明することができますか?
子供に対して、あらゆる疑問に答えてくれる知恵の存在を、実際に見せてやればいい。子供の好奇心に答え続ければいい。学問への興味が生まれるのは時間の問題だろう。
子供に勉強しろという前に、黙ってあなたが勉強すればいい。


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