GHQに対する丁々発止
伝説は事実であるかどうか定かではない。ただ、これが事実であったら、日本人として誇らしい。
将棋禁止の危機
第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より呼び出しがかかった。これは武道などを含めた封建的思想の強い競技や娯楽の排除を狙ったものだが、連盟は知識豊富で勝負勘に優れた関西本部長代理の升田幸三を派遣する。その席でGHQは「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」と難癖をつけてきた。それに対して升田は「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」「男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」と反論。この発言により将棋は禁止されることを回避することができた。
写真撮影のあと、2人の会見が始まった。その場で、どのような会話が交わされたのか、日米両国の政府は、未だに何も発表していない。しかし、マッカーサーは、回想記にこの日の模様を記している。
「タバコに火をつけて差し上げたとき、私は、天皇の手が震えているのに気がついた。天皇の語った言葉は、次のようなものだった」。
天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。
「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」。
35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていた。マッカーサーは、予定を変えて、自ら昭和天皇を玄関まで送った。マッカーサーにとって、最大の好意の表れだった。作成者所見:
1945年9月27日、マッカーサーと昭和天皇は2人だけで会見した。その会見内容は、当時も今も公式に発表されていない。マッカーサーの回想記によれば、昭和天皇は、政治、軍事の全責任は私にあり、私自身を連合国に委ねると申し出たと言う。 これに、マッカーサーは感激し、日本最上の紳士と評価して、その後、一層好意ある態度を示したようだ。昭和天皇とマッカーサーの人物像の一端を示す、意義ある話題だった。これが、今の象徴天皇の発端となった。
一方、マッカーサーは、会見写真の新聞公開を指示し、日本国民に敗戦を実感させる才覚も示した。
いずれにしても、終戦直後、占領軍と日本政府の間で、天皇自身の扱いとマッカーサー会見をめぐるかけひきが、真剣かつ必死の覚悟で行われていたことは、あまり知られていないだけに、歴史的にも興味深いものがある。

