『キャズム』を久しぶりに読んだ。『キャズム』を好きな人は多いので、申し訳ないが、キャズム理論には理論体系としての欠陥がある。この記事ではそのことを指摘する。なお本記事の読者としては『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)
』および『イノベーションへの解 収益ある成長に向けて (Harvard business school press)
』を理解している人を対象とする。
■理論的裏付け
この理論体系の大前提は、マーケットのベルカーブだ。また、それを5つのセグメントに分けている。だが、個別の商品、市場(個人向けか法人向けかすら)を考慮せずに、このような分布を想定することの妥当性は? これは常に正しいのか? その根拠は?
そこが科学的に検証されないまま、理論が展開されている。(※もちろん、科学的厳密性よりもインサイトを重視した議論だというなら結構だが、そのインサイトというものは、極めて属人的であるゆえに、理論体系化はほぼ不可能であると考えるべき。分かる人には分かる、という議論。武道の奥義の書のようなもの)
■ハイリスク
仮にマーケットセグメントに関する仮説が正しいとしても、キャズム理論はハイリスクである。クレイトン・クリステンセン教授が『イノベーションへの解』で示す破壊的イノベーション理論のほうが成功確率は高いと思われる。
人々の行動様式に変化をもたらすこのような製品は、一般的には不連続なイノベーションと呼ばれている。 p.12
不連続だからこそ、キャズムが生じる可能性が高いのだろう。
ムーア氏は、この不連続性を「キャズムを超えるときに」解消せよと言う(ホールプロダクト化)。その技術に可能性があるかどうかの判断(エレベーター・テスト)は、初期市場で成功した後、キャズムを超えるときまで保留される。彼の言う「初期市場(イノベーター層、アーリー・アドプター層)」においては、不連続性を解消しなくても良い。
では、不連続性を解消しない方がよいのだろうか? 不連続性あればこそ、初期にハイテク・オタク(イノベーター層)を取り込むことができ、それを橋頭堡に成功できる?
ベンダーが、(一)斬新勝つ画期的なテクノロジーを持っており、(二)当面、大きな利益を得ることが目的でなければ、テクノロジー・マニアというのはビジネスしやすい相手なのだ。 p.49
つまり利益度外視でテクノロジー・マニアに売れと言っている。あたかも(次のアーリー・アドプター層へ進むための)「撒き餌」としてイノベーター層には安くバラ撒けとでも言っているようである。だが、安く売っては(後述のように)「需要の大きさを測る」役にも立たない。それに、最初から利益を出すほうが安全だ。クリステンセン教授は早期に利益を実現すべきと論じている。(※詳しくは『イノベーションへの解』における「良い金/悪い金」の議論を参照)
キャズム理論は、じつにハイリスクである。リスク好きなら勝手にしてくれ。私は成功確率の高いイノベーションに投資したい。つまり破壊的イノベーションのことである。(※破壊的性質を持つイノベーションの成功確率が本当に高いかどうかという議論は考えられる。ただ、そこにクリステンセン教授の理論を適用した上で比較しなければフェアではないだろう。つまり、「破壊的性質を持つイノベーションに、クリステンセン教授の理論を適用した上で、成功確率はどうなるか?」を対象と比較すべきだ)
本書では、最初に、これまでのハイテク・マーケティング・モデルが抱える問題点、すなわち、「初期市場で成功を収めた後、すぐにメインストリーム市場での成功が期待できる」という定説の欠陥を指摘した。 p.342
だが、そもそもキャズムにたどり着く以前に終わるアイデアのほうが多いではないか。あるいは、利益を後回しに、赤字を垂れ流して、キャズムまで延命しているだけでは無いか。きちんと売上があり、利益を出していて、キャズムにたどり着く。多くの事業はそこまでも行けないのだ。キャズムを超えるかどうかなど問題ではない。キャズムまでたどり着くことさえ困難なのだ。また、たどり着かずに消えたものは我々の目に触れないから、実感の何倍も消えたアイデアはあるはずだ。事業の成功確率を上げるには、むしろそちらにアプローチすべきだろう。(※クリステンセン教授はアイデアを破壊的イノベーションとして形成する方法を論じている)
「破壊的イノベーション≠不連続イノベーション」であることに注意せよ。破壊的性質として「既存の技術の組み合わせ、使いやすさ、携帯性、入手しやすさ」などの特徴があるように、筋の良い破壊的イノベーションは、まったく不連続ではないように形成することも可能だろう。そういうアイデアは成功確率が非常に高いだろう。私ならそういうアイデアに投資する。
大きな違いは、どこからスタートするかだ。不連続イノベーションに何の工夫もせず、そのまま出せば、それはイノベーター層から先行事例を作りつつ進んでいくしか無かろう。それがキャズム理論の骨子。だが不連続なイノベーションでなければキャズムは発生しないか小さくなるだろうし、イノベーター層を相手にせずアーリー・アドプター層を初期顧客として開始することもできるだろう。無理に安い値段でイノベーター層に売る必要は無いのである。
なお、初期の売上と利益に関する考え方がムーア氏とクリステンセン教授では異なる。
初期市場では、テクノロジーやサービスや各種のアイデアが一体となって製品を形づくり、その製品に対する需要が現実に存在することを証明するのが第一の目標であった。このとき、売上はその需要の大きさを測るための手段としては有効だが、そこから得られる利益に大きな期待が寄せられているわけではない。要するに、初期市場においてベンダーが主目標とすべきは利益ではないのだ。 p.310-311
クリステンセン教授は、はっきりと「成長は気長に待つが、利益は気短に急かす」のが「良い金」だと論じている。その理由も私にとっては納得度が高いものだった。
■語義
なお、
- ジェフリー・ムーア『キャズム』での「イノベーション」とは「技術」。
- クレイトン・クリステンセン教授『イノベーションのジレンマ』での「イノベーション」とは「事業」。
このような語義の違いがあるように思われる。
■『キャズム』の読み方
『キャズム』が無価値だとは言わない。ハイテク業界に関心を持っているマーケティング入門者にとって、『通勤大学MBA〈2〉マーケティング』などの次に進む業界別対策本としては面白いだろう。
『キャズム』は理論体系ではなく、引き出しを増やすためのTIPS集として読めばよい。つまり、全体を通じて展開されている理論は無視して、個別の役立ちそうなアイデアだけ拝借するのだ。それが有意義な読み方だ。
理論体系としては使えない。使ってはならない。裏付けのない「理論体系」の代表例に「錬金術」がある。実践者たる我々に必要なのは科学的考察である。迷信やジンクスではない。
キャズム理論の通りにやって成功する人もいれば、失敗する人もいる。成功した人だけが目立つので、「こうすれば成功するんだ」と勘違いするのである。(生存バイアス)
クリステンセン教授は「絶対に成功する理論」などないと考えた上で、「いかにすれば成功確率が上がるか」ということを、統計学的慎重さで考えている。ムーア氏にその慎重さはないようだ。(※実践者としてのムーア氏は慎重かもしれないが、少なくとも彼の「理論体系」にその慎重さはない)
■検証のすすめ
あなたがこの記事に疑問を持ったならば、下記の本を読んだ上で、自ら検証すべき。自分の頭で考えて、結論を出すべき。その上で反論があれば聴きたい。
有効な理論はどのように構築されるか。それについてクリステンセン教授は『イノベーションへの解』の中で何十ページも使って論じている。それを読み、『ダメな議論』を読み、『なぜビジネス書は間違うのか』を読み、その上で『キャズム』を読んで判断すべき。
これでもあなたは『キャズム』の理論体系に納得できるだろうか?
私は手放しでクリステンセン教授の理論を受け入れているわけではない。批判的に考えて、少なくともキャズム理論よりは妥当性が高いと考えただけのことである。これはあくまで二つの理論の比較である。理論には、結論だけでなく論理(logic)という過程が必要である。それが完全になることは経営学においてあり得ないが、可能な限りの慎重さを持って論理を組み立てることは可能である。結論ではなく理論の作られ方を比較したのである。
■参考
キャズム理論自体への批判や、キャズムという言葉の誤用を批判する人は少ない。だが、誰かが指摘しなければ、無理解や誤用がはびこる。
あと、iPhone3Gはキャズムを超えられるかとかって、お前は馬鹿なのかな。言い換えるなら、貴方様は絶望的な知能の持ち主なのかしら? 考え方からしておかしいだろ。お前がキャズム落ちてろよ。頼むからさ。すでに携帯電話ビジネスっていう一定のパラダイムの中で徹底した差別化を行ってるだけの商材だろ。それともあれか、ノートパソコン市場でソニーVAIOが薄型ノートで出てきて市場を席巻しようとしたときキャズムを超えたとか馬鹿解説してたクチか。
こちらは息抜きに→またキャズム転落事故 都内高校生死亡 : bogusnews