The Sky Crawlers: スカイ・クロラ
何度も死にたいと思い、いまだその病理を抱えたまま生きている人が作ったかのような物語。
「崖の上のポニョ」が「宮崎駿の夢、妄想、垂れ流し映画」だとするならば、「スカイ・クロラ」は「実存への嘔吐感、この世界への呪詛、自殺願望、垂れ流し映画」だ。
「崖の上のポニョ」は「神経症と不安の時代に、宮崎駿がためらわずに描く、母と子の物語」と謳われているが、「スカイ・クロラ」は「神経症と不安を、押井守がためらわずに描く、愛と生と死の物語」だ。
もし、この映画が単館上映ならば、上出来な映画だったと素直に思う。観客は嫌と言うほど出口のない苦悩を味わう。劇場を出るときには気を病んでしまう人もいるだろう。そういう作品として良くできているからだ。あらゆる意味で救いがない世界。出口のない迷路。現代病。サルトル的苦悩。
地獄とは他人である<L’enfer, c’est les Autres.>。そのうえ、死においては、すでに賭けはなされたのであって、もはや切り札は残されていない。わたしを対自から永久に即自存在へと変じさせる死は、私の実存の永遠の他有化であり、回復不能の疎外であるといわれる。
例えば「ミナ」(1993年、フランス)は「鬱を完璧に描いている映画だ」と経験者は語っていた。死にたくなるときの気持ちがリアルに描かれていると。(※ちなみに、今回の批評はその人との議論にもとづく)
単館系というのは「観たい人が観る映画」だ。単館系なら、どんなに観客の精神を病む映画でも構わないだろう。うっかり観てしまう人など、ほぼゼロなのだから。その点で「スカイ・クロラ」がもし単館系なら、上出来な作品だと思う。
しかし、このような「自殺願望垂れ流し映画」が全国で大規模に上映されることには不安を感じる。「崖の上のポニョ」とは違う意味で、こんなものが全国の映画館で観られるというのは、とんでもないことだと思う。
人間はみんな「終わり無き日常」の迷路を彷徨っていて、迷路に気がついたところでそこから脱出するでもなく、何か事件があったように見えたとしても結局何も変わらない。
それってリアルだけど、はなはだ辛気くさい話で、押井守は鬱映画の巨匠だという思いを再確認しました。
via: たけくまメモ : スカイ・クロラ見てきた
押井守監督が「鬱映画の巨匠」として完璧な映画を作る日が来たら、、、恐ろしい。こういう映画を作るなら、アングラに潜ってもらいたい。数十万人にみせるものではないと思うのだ。そして、そのほうが監督の評価も保てると思う。いまのまま鬱映画を作り続けては、いずれ「客が呼べない監督」に成り下がってしまうのではないかと心配だ。
「愛と生と死の物語。若い人に、生きることの意味を伝えたい」と熱く語った。
むしろ「生きることの意味の無さ」が伝わってしまうような映画だ。べつに「これが生きる意味だ」と示してくれる必要はない。ただ、同じ考えさせるにしても、もっと前向きに考えさせようとは思わなかったのか。対象が「若い人」なら、もう少し親切でもいいだろう。あるいは「死に至る病」を観客と共有したいのだろうか。
作品自体はすごい。すごいから問題なのだが、ともかく作品はすごい。監督は作家としていい仕事をしたと思う。
問題は、コンテンツに対するコンテキスト。作品に対する、その届け方。
作品は社会的な存在だ。作品が社会に影響を与えることもあるし、社会が作品に意味を与えることもある。それゆえ、作品は危険性を認識した上で適切な展示をなされるべき。「スカイ・クロラ」は適切な展示をなされていない。あるいは、これが適切だというのならば、「死にたければ一人で死んでくれ」と言わざるをえない。自殺願望垂れ流し映画には、単館上映が相応しい。
いくら客が呼べる監督だからって、節操なく金儲けに走りすぎでは?
(※言うまでもなく、この批判は監督や作品自体へ向けたものではない)
※追記
本文中にて、
押井守監督が「鬱映画の巨匠」として完璧な映画を作る日が来たら、、、恐ろしい。こういう映画を作るなら、アングラに潜ってもらいたい。数十万人にみせるものではないと思うのだ。そして、そのほうが監督の評価も保てると思う。いまのまま鬱映画を作り続けては、いずれ「客が呼べない監督」に成り下がってしまうのではないかと心配だ。
と書いた。しかし、本人は気にしないらしい。というか「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」そうだ。やはり監督本人は間違っていない。間違っているのは周りの連中だ。
押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である。また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。
via: 押井守 - Wikipedia
※追記
ビジネスとしてのアニメ制作と、彼の表現が不釣り合いなのであれば、ひょっとしたら引退するしかないもかもしれないとか勝手に思ったりもする。
via: F’s Garage:スカイ・クロラ見た
同感。私としては引退までしなくても、アングラ系インディ作家として長くカルト的人気を保つことはできると思うし、小規模にやればきちんと黒字で回せると思う。


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