Ponyo: 崖の上のポニョ(3)
宮崎監督には、そもそも「ドラマのつじつまを合わせる」ことへの興味が最初からないとしか思えません。
via: たけくまメモ : パンダとポニョ(2)
しかし今回宮崎監督は、「アニメーションの初源に戻って作る」と制作意図を表明しています。これは、さまざまな解釈が可能な発言だと思いますが、これを俺は
「もう、つじつまとか整合性とか、わしゃ知らんの! 今回は無意識のリミッター全面解除して作っちゃうんでよろしく! 母親が危険運転して事故ってペシャンコになったとしても、どうせこれはアニメなんだから死なないし口から空気入れで膨らませれば元に戻るの! アニメだから魚が半魚人になって人間になってもいいの! 作品がグチャグチャで、バカとか狂人とか思われてもいいの! 理由とかつじつまなんて面白くないの! アニメってそういうものなの! 面白ければわしゃなんでもいいの!」
という意思表示だと解釈しました。ここまで開き直っている人に対して、作品の整合性がムチャクチャじゃないかとか、人として許せないと言って非難するのは、まったくその通りなんですけど、おそらく言っても無駄なのではないかと思います。
via: たけくまメモ : パンダとポニョ(3)
作品がどんなにアバンギャルドで物語のつじつまが合って無くとも、売れる以上は、誰も、何の文句も言うことができないのです。結局俺は、なんで宮崎アニメがここまで売れているのか、その理由を解明することがついにできませんでした。とにかく売れていることは事実であり、この事実の前には、あらゆる批評の言葉は意味を失います。どんなに宮崎アニメの矛盾を指摘したところで、この資本主義社会においては、売れているものが絶対的に正しいわけですから。
もしかすると、若き日に社会主義者であった宮崎駿さんは、あえてわけもなく売れ続けることで、資本主義に対する嫌がらせをしているのかもしれません。
というわけで、「私はやっぱり資本主義がいい」というよい子の皆さんは、『ポニョ』はほどほどにして、『カンフー・パンダ』を見て安心しましょう。
via: たけくまメモ : パンダとポニョ(3)
その世界は、大人がふつうに観ると不可解。意味不明。だが、説明しない。誤解を恐れない。批判を気にしない。宮崎監督は、自分の地位や名声に、さほどこだわらないのかもしれない。大人が、大人の目を、これほどまで気にせずに表現できるとは驚きである。それは無私や無心といった言葉で表現してもよいように思われる。
現世的こだわりの無さ。

