Media Literacy: 懐疑

このエントリーを含むはてなブックマーク July 27th, 2008 | posted in media, literacy, book, culture, society |

メディア・リテラシー―世界の現場から (岩波新書) 菅谷 明子 (著)

 「ニュース番組は、結局は作っている側の主観がニュースとして報道されるだけです。だから僕はニュースは見ません」 pp.102

 女子生徒が力強くこう言った言葉が印象に残る。
 「どんな時でも、メディアを懐疑的に見ることが大事だと思います。自分がその出来事を直接見たり経験しない限り、メディアの情報は全てが二次的なものだから」 pp.107

メディア・リテラシー教育により、メディアを批判的に見る目を持つようになる。

 「メディア・リテラシーの多くが、メディア学の知識が不十分な国語教師によって教えられているため、メディアの幅広い要素が無視されて、メディアが良いか悪いかといった単純な図式で捉えられているのではないか。広告ひとつとってもマイナス面にばかり注目し、メディアとしての芸術性を無視し、消費文化に否定的な教師の価値観を押しつける可能性もあるかもしれない」 pp.111-112

 また、先生には絶対に言わないことを条件にインタビューに答えてくれたオンタリオ州のある生徒は、「先生は、自分の考えがベストだと思っています。私は必ずしも彼の考え方には同意しませんし、押しつけがましいと思うこともあります。でも、成績のことを考えると、その先生が喜ぶようなことを授業で言ったり、試験でもそう回答したりしてしまうのです」。この生徒が言っているのは、カナダでもよく知られた教師で、日ごろから子供の主体性を大切にした教授法が大切だと訴えている人物である。 pp.112

メディア・リテラシー教育そのものについて、教師による偏向がどこにあるかを見抜く。メディア・リテラシーが育った生徒は、そのような目を持つだろう。ならば上記の例は最高の反面教師だ。

そもそもメディア・リテラシーを教えることは可能なのだろうか。生徒をメディア・リテラシーの入り口まで連れて行くことはできる。その先へは本人が歩みだすしかない。メディア・リテラシー教育そのものへの懐疑を身につけることが「卒業試験」だ。

メディア教育を理解していて、しかも制作者の立場でもあるアッシュトンは、メディアを考えていく上で示唆に富む話をいしてくれた。
「生徒達は、メディア教育から、一般のテレビ番組を批判的に見ることを学んでも、メディアを批判した番組は、なぜか鵜呑みにしてしまいがち。批判番組も批判的に見る必要がある」 pp.59

似たような話。疑似科学、宗教、政治的イデオロギーに騙されやすい人がいる。権威を否定する言説に騙されて、その発言者を信じてしまう。結局、何らかの権威に頼って思考することしかできない。時の権威にほいほい移り気で乗り換える権威礼賛者。

進歩的文化人 - Wikipedia

保守勢力からは旧ソ連・中国・北朝鮮など社会主義国に対して礼賛的でありそれらの国々の垂れ流すプロパガンダを一方的に報道したのではないかという批判や、かつては右翼的な発言を繰り返してきながら、それへの反省もなしに時流に乗っている人々が少なからずいるといった批判がある。

analog | Argument: ダメな議論
analog | Research Literacy: 「社会調査」のウソ

「考える」とは、他人の頭が考えた結果を鵜呑みにして、それを自分の考えのごとく垂れ流すことではないよ。

自分の頭で考えること。

それは、自分以外の他人の意見ではなく、自分一人で世界と向き合い、考えることだよ。

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