Power: 岸信介
岸信介―権勢の政治家 (岩波新書 新赤版 (368)) 原 彬久 (著)
読み始めは退屈。我慢して読む。終盤、急に面白くなった。政権を獲ってから退任まで、駆けるように読んだ。
戦争を主導した官僚・閣僚として獄中で三年三ヶ月を過ごした「戦犯」が、その数年後に議員を経て首相となる。権力を用いて私腹も肥やしたらしい。いまでは考えられない激動の時代。たかだか60年ほど前の出来事とは。
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吉田と岸の歩みを知った上で、なるほど、この二人が二十世紀日本史において果たした役割は実に大きいことを理解した。吉田が敗戦処理(新憲法・日米安保)を、岸がその改革を(新安保)を、それぞれ担った。さらには保守合同の55年体制。今日まで続く日本の政治体制や、未解決の重要課題は、ここに端緒がある。
それにしても、なんという歴史だろうか。六十年安保騒動。アイゼンハワー大統領が訪日し、天皇陛下が迎えて、新安保調印となるはずだった。その直接的な中止原因となったのが、樺美智子事件である。
岸の総理大臣在任中の最大の事項は、日米安全保障条約・新条約の調印・批准と、それを巡る安保闘争である。1960年(昭和35年)1月に全権団を率いて訪米した岸は、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意した。
なお1960年6月には岸信介首相の招待を受けて日本を訪問しようと試みたが、安保闘争の最中の6月10日に、訪日の日程を協議するため来日したジェームズ・ハガチー大統領報道官が東京国際空港周辺に詰め掛けた訪日反対デモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救助されるという事件が発生し、さらに6月15日には、警官隊が国会議事堂正門前でデモ隊と衝突し、デモに参加していた大学生が圧死するという事件が発生したため、最終的には訪日をキャンセルした。
憲法改正(とくに第九条)の道半ばに退陣せざるを得なかったことが岸の悔恨。歴史上の評価はどうか。さらに五十年ほどの時間が必要だろう。当時、憲法改正がなされていたならば、まったく違う歴史になっていただろう。
さて、岸政権の命脈はいよいよ尽き果てようとしていた。前述の通り、岸にとって「アイク訪日中止」の決断がそのまま「内閣総辞職」の決断につながったからである。岸はこう回想する。「いよいよ首相を辞めようと決意したのは、『アイク訪日』を断ると決めたときだ。このとき私の胆は決まった』(岸インタビュー)。しかも「アイク訪日中止」を彼に決断させた直接のきっかけが樺事件であり、この樺事件をこともあろうに国会構内で引き起こした最大の理由は、少なくとも岸にとっては「警察力の脆弱さ」にあった。「脆弱な」警察力のなかで「アイク訪日」を強行すれば、大統領を羽田に迎える天皇の身に危険が及ぶかもしれない、というのが岸の最も危惧するところであった。 pp.222-223
かくて「アイク訪日」という名の重荷を棄てた岸は、密かに「退陣」の決意を胸にしながら、「殺されようが何されようが絶対必要な」(岸インタビュー)新条約の「自然承認」だけをひたすら待つことになる。六月一九日午前零時、岸は国会周辺を含めて三〇万群集が取り巻く首相官邸のなかでこの待望の「自然承認」を迎えるのである。このとき同官邸にこもっていた側近たちは、相変わらず打ち続くデモ隊の勢いを恐れるかのように、一人去りまた一人去り、ついには実弟佐藤栄作のみが、岸とともにあった。首相官邸の警備に自信がないという小倉謙警視総監の警告を無視して「死ぬなら首相官邸で」というのが岸の心境であった(同前)。 pp.223-224
「強力な指導体制」の確立を目指し、また反共でありながら統制経済を目指した岸。辞任の遠因は「警察力の脆弱さ」だったわけだが、さらに遡ると「警職法改正」の失敗が痛手だった。警察力の強化を狙った警職法改正は、共産党などによる大衆煽動を未然に防ぐための方策として必須であった。これは安保改定構想の要石として、あらかじめ一連の文脈のなかに位置づけられていたのだ。それが失敗した。失脚に至る道のりはここに始まったといってもよさそうだ。岸自身が「今振り返ってみても残念である。千載一遇の機会を失したと言ってよい」と述懐している。
独裁的傾向のある二人の政治家、吉田と岸。彼らの生きた時代は現代に生きる我々にとっても大きな意味を持っている。
さて、今後の読書方針。さらに日本史を遡りたい。興味は尽きない。明治維新、ペリー来航、徳川幕府成立まで。終いには記紀まで。
日本人に限らず人類史という観点では『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』や『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
』が興味深い。梅棹『文明の生態史観 (中公文庫)
』やトインビーもおさえておきたい。
『岸信介』読了2008年06月25日

