Ponyo: 崖の上のポニョ(2)
この映画の表現は狂人的だ。正常な精神を持った大人の表現者が取れるような表現ではないと思う。なぜなら、こだわりが、なさすぎる。
宮崎監督の作品を振り返ってみよう。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」などにおける、環境破壊・文明批判の主張、対立・葛藤の構図。宮崎監督は現代的な苦悩を描いてきたともいえるが、有り体に言えば、説教臭かった。しかし、今回は「5歳の子供に見てほしい」「子供に希望を語りたかった」という。説教臭い要素が無い。宮崎監督は、まるくなった。メッセージという名の力みが無いようだ。とても素直に五歳の目を通して見える世界(と彼が信じるもの)を表現せしめている。
その世界は、大人がふつうに観ると不可解。意味不明。だが、説明しない。誤解を恐れない。批判を気にしない。宮崎監督は、自分の地位や名声に、さほどこだわらないのかもしれない。大人が、大人の目を、これほどまで気にせずに表現できるとは驚きである。それは無私や無心といった言葉で表現してもよいように思われる。
現世的こだわりの無さ。
ある種の道を極めた達人や、禅僧と同じ境地に達しつつあるかのような印象さえ受ける。禅僧の描く円相のような表現と、同等とは言えないまでも、しかし世の中にある数多の映画より、はるかにそれに近づいている。純度の高い表現。素直な表現。
この映画が「何かすごいものを観た」という印象を与えるならば、それは、無私・無欲・無心の境地に向かって進化し続ける一人の表現者の凄みであろう。あらゆる求道者に共通する凄み。そのような求道的な仕事に触れたら、まず凄みを感じ、次いで静かな感動も覚えるものだ。
人は人の精神的な高みに触れて感動できる生き物である。そのことが確認できるとき、その作品を素晴らしい芸術と呼んで間違いない。


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