The Halo Effect: なぜビジネス書は間違うのか

このエントリーを含むはてなブックマーク July 19th, 2008 | posted in book, management, marketing |

なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想
フィル・ローゼンツワイグ (著), 桃井 緑美子 (翻訳)

大ヒットビジネス書の多くは「妄想」に支配されている。

下記の書は、ことごとく妄想だという。わりと同意。

著者はスイスIMD(国債経営開発研究所)の教授である。彼が繰り返し目にしてきたのは「経営者や教授たちが単純な答えを求め、どこから見てもばかげているのに疑問ももたず、自分の頭で考えることもせずに、手軽な解決策をありがたがる姿」だったという。

つぎつぎと出版されるビジネス書には、その核心に共通の虚構があるのが見えてくる。すなわち、起業は偉大になることを自由に選択できる、わずかなステップで意図したとおりに偉大になれる、成功は外的要因に影響されることなくもっぱら自分の意のままに引き寄せることができる、ということだ。これでは大金持ちになる五つのステップとか、二週間で一〇キロ痩せる方法とか、みずからの内なるパワーに気づこうといったセルフヘルプの本と大差がない。しかも、仮にこれらのことを認めるなら、その逆のこともいえる。会社が偉大にならなかったら、経営者がどこかで舵とりをまちがえたことになるのだ。教えられたステップを無視したか、道を踏みはずしたにちがいない。みずからの意思と力だけで偉大になれるなら、なりそこねるのも自分の責任なのである。 pp.214-215

ビジョナリー・カンパニーはカルトのような社風を賞賛しているが、じつは、それ自体がカルトではないか。

安直な攻略法がほしくても、現実のマネジメントは私たちが思う以上に複雑で、心地よいストーリーがささやくよりもはるかに不確実なのである。智恵ある経営者は、ビジネスとは成功の確率を高める方法を見出すことだと認識している。成功が確かなものだとは決して思っていない。企業は適切な戦略を選択し、業務の効率化につとめ、なおかつ幸運に恵まれれば、少なくともしばらくはライバルに差をつけることができるだろう。だが、そうして手に入れたものも、やがては消えていく。現在の成功はつづく成功を保証してくれるわけではない。成功は新しい挑戦者を引き寄せ、そのなかには現在の成功者以上にリスクを厭わない者がいるからである。これでおわかりいただけただろう。ストーリーとして魅力があっても、成功の公式など存在しない。 pp.239-240

著者は「ビジネスについての私達の考え方が多くの妄想でかたちづくられているということ」を伝えたかったのだという。その詳細は本書を読んでいただこう。結びでは、それらの妄想を拭い去った者へのアドバイスとして、下記の点を上げている。

  • どんなによい戦略にもリスクがある。もし愚か者でも失敗しない確実な戦略を策定したと思う者がいたら、愚か者は本人かもしれない。
  • 実行にも不確実要素はつきものである。ある会社でうまくいあったことも、社員も何もかも違う別の会社では、結果も違ったものになるだろう。
  • ビジネスは私たちが考える以上に、そして成功した経営者が認める以上に、運に大きく左右される。
  • 原因と結果の関係は明確ではない。失敗しても経営者の判断ミスのせいとはかぎらず、成功も経営者の手腕のおかげとはかぎらない。
  • だが、いったん賽を投げたなら、すぐれた経営者は社運をツキにゆだねることなく、粘り強さと熱意こそがすべてであるかのように行動する。

さて、これで成功は間違いないだろうか。もちろん、そんなことはない。しかし、以上のことを心がけていれば、成功の確率を高めることができるだろう。それこそが本当に目指すべき目標である。そしてもう、成功の公式にしたがっているのになぜ貨物を積んだ飛行機はやってこないのかと、南の島の浜辺で茫然と立ちつくすこともないだろう。 pp.265-266

なお、科学とそうでないもの、レポートとストーリーの違いについても説明している。

リチャード・ファインマンは、科学を「こうしたらどうなるかというかたちに変換できる疑問に答えるための手段」と定義した。科学は、美や真実、正義、分別、倫理とは関係のない、きわめて実際的な学問である。 pp.34

レポートとは、何よりも事実を伝えることであり、作意や解釈が紛れこんでいてはならない。(略)他方、ストーリーは人々が自分の生活や経験の意味を理解するための手段だ。よいストーリーの条件は、事実に忠実であることではない。それよりも、ものごとが納得いくように説明されていることが重要なのである。

ストーリーがいけないのではない。ストーリーだとわかって読むならかまわない。ところが油断ならないことに、科学の仮面を被ったストーリーが知らぬ間にはびこっている。いかにも科学です、という顔をしているが、そこには真の科学の厳密さも論理もない。エセ科学なのだ。ファインマンはもっと印象的な言葉を用いて、これをカーゴカルト・サイエンス(積み荷信仰の科学)と呼ぶ。

南太平洋に独特の信仰をもつ人々がいます。彼らは戦争中に飛行機がたくさんの物資を運んでくるのを見て、同じことがまた起こってほしいと願っているのです。滑走路のようなものをつくり、その両わきに松明を並べ、木の小屋を建てて男を一人置いている。男はアンテナのように竹の棒が突き出したヘッドホンそっくりの木片を両耳につけ—彼は管制官なのです—そうして、みんなで飛行機が到着するのを待っている。手抜かりはありません。見たところ準備は完璧です。けれども、効き目がない。飛行機はこないのです。私はこれをカーゴカルト・サイエンスと呼んでいます。手順も形式も表面上は科学ですが、肝心なものがない。飛行機が着陸しないからです。 pp.38-39

『なぜビジネス書は間違うのか』は劇薬だ。感情的な反発をするだろう。この言葉を覚えておいてほしい。

ひとたび自分の心の中で「Xは正しいんだなぁ」と納得したものを否定されるのは、誰にとっても不愉快な経験です。

analog | Argument: ダメな議論

誤解の無いように、ストーリーはレポートより価値が低いわけではない。

『ビジョナリーカンパニー』は、読者に勇気をくれる素晴らしい本だ。ストーリーとしては極上。ただ、科学やレポートや「ビジネスの物理法則」などと思って読まなければ良い。栄養剤や気付け薬のように、偉大な企業の成功物語を読むことで、前向きに働くエネルギーを得るのだ。それが害のない読み方だ。

ストーリーは「人が生きるために必要なもの」と言える。ストーリーのない人生というのが想像できない。というか無理矢理想像すれば、それは「将来への希望を何も持たない人生」だろうか。やっぱり想像したくもない。

ただ、どうしても言っておきたいのは、ストーリーはあくまでストーリーでしかなく、現実そのものではない、ということだ。

「一生懸命やれば報われる」と信じて生きることと、実際に「一生懸命やれば報われる」(それが絶対の法則である)かどうかは、別問題だということだ。感情と理性のバランスとでもいうのか。それを一緒にしたがる人が多いのだが。

「成功するまで止めなければ失敗はない」などと言う人がいる。ストーリーとしては素晴らしい。奮い立たせる。しかし、まったく事実ではない。成功するまで何年かかるかは確率による。生きているあいだに成功しなかった人も「確率的には成功」しているのだろうけれど、そのような考え方に何の意味があるのだろうかと思う。

世界が「こうあってほしい」という願いは尊い。しかし、「こうあってほしい」というバイアスで世界を見てはいけない。人間が(あるいは「あなたが」と読んでください)「こうあってほしい」と思うようには、世界は成り立っていない。子供がやるように、目を瞑って百数えたところで、いやな現実から逃げられるわけでもない。

現実の世界そのものを見つめること。それが妄想の支配から逃れる第一歩だと思う。

平和は祈るものでも、怒りの対象にするものでもない。
固い信念と行動で作り出して行く物だと自覚して欲しい。

naotakegymnasium::mt: 被爆三世としてひとこと言っておくか

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  2. Jul 19, 2008: analog | Tale of Galapagos: 「国民機」PC9801と「黒船」DOS/V

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