Invisible pan: 見えない便器
ここには小便器が……無い。
壁。
Waterfall(滝)
2008年
焼結タイル、コンクリート
神宮外苑公衆便所蔵
デュシャンの<Fountain(泉)>は芸術家の創作的要素を一切含まないように見える「既製品の便器」をもってして「作品だ」と提出することによって、いわば「見立て」だけでもアート作品として成立しうるか、という問題提起だった、そういう解釈も可能であろう。
そこには明確に「<これ>が作品である」と提示された<もの(object)>が存在した。
しかし、<滝>とは何か。ここには作品として提示された<もの(object)>が無い。
もはや便器は無いのだ。
とはいえ、たしかに何かが提出されているのは間違いない。それは何か。いわば<状況(situation)>である。ここに作家の問題意識がある。作品は<創作物(production)>であることをやめて、<もの(object)>の「見立て」でも作品であると受容されたが、では<もの (object)>であることすらやめて、<状況(situation)>となることは受容されうるのか。ここに作家から鑑賞者への問題提起がなされているのである。挑戦状と言ってもいいだろう。
あなたはこれを作品として認めるだろうか。
・・・という作品は吾が妄想の産物(production)であるわけだが。

