Invisible pan: 見えない便器

このエントリーを含むはてなブックマーク June 29th, 2008 | posted in critique, art |

ここには小便器が……無い。

壁。

Waterfall(滝)

Waterfall(滝)
2008年
焼結タイル、コンクリート
神宮外苑公衆便所蔵

インスタレーション(地図)

デュシャンの<Fountain(泉)>は芸術家の創作的要素を一切含まないように見える「既製品の便器」をもってして「作品だ」と提出することによって、いわば「見立て」だけでもアート作品として成立しうるか、という問題提起だった、そういう解釈も可能であろう。

そこには明確に「<これ>が作品である」と提示された<もの(object)>が存在した。

しかし、<滝>とは何か。ここには作品として提示された<もの(object)>が無い。

もはや便器は無いのだ。

とはいえ、たしかに何かが提出されているのは間違いない。それは何か。いわば<状況(situation)>である。ここに作家の問題意識がある。作品は<創作物(production)>であることをやめて、<もの(object)>の「見立て」でも作品であると受容されたが、では<もの (object)>であることすらやめて、<状況(situation)>となることは受容されうるのか。ここに作家から鑑賞者への問題提起がなされているのである。挑戦状と言ってもいいだろう。

あなたはこれを作品として認めるだろうか。

・・・という作品は吾が妄想の産物(production)であるわけだが。

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