Emperor Worship: 吉田茂

このエントリーを含むはてなブックマーク June 16th, 2008 | posted in history, book, society, Japan |

吉田茂―尊皇の政治家 (岩波新書 新赤版 (971))

敗戦から新憲法制定まで、その後の日本を決定づける期間に、GHQ、アメリカと「戦った」尊皇・保守の政治家。

彼が日本の国体を維持するために、どれほどの労力を払ったか。たしかに完璧な憲法ではない。国体は、かなり破壊された。日米安保条約も完璧ではない。しかし、相手あってのことだ。戦勝国アメリカの意向あってのことだ。敗戦国であり占領下にある国の「自主制定憲法」としては、最善を尽くしたものだといってよいと思う。なによりも天皇制を維持した点は最大の成果だ。(昭和天皇の人柄がダグラス・マッカーサーを感動させ、彼を天皇制維持論者へ変えさせたことも大きな要因だが)

安保の交渉においては、おそらく心労からか、最後まで戦いきることは出来なかったようだ。講和・安保両条約調印会議へ当初は欠席する意向だったとか。さらには、天皇認証形式の全権委任状について、その様式までもアメリカの了解を得ようとするありさま。独立回復への気概は失われている。しかし、一人の人間が背負い込める責任をはるかに超えていた。彼を責める事は出来ない。独立回復への道筋がついた時点で、彼の中の何かが切れてしまったのだろう。

その後、吉田は政権を失う。吉田にとって最大の誤算というか、政治家としての弱点は、政党政治に順応できなかったことだろう。成果と失脚。ともにワンマンならではのものだった。

彼をワンマンたらしめた理由は生い立ちにあるだろう。本書はそこに踏み込んでいるが、吉田茂という複雑な人物は、なかなか容易に理解できない。

彼は完璧ではなかった。苦悩し、疲れ、間違えた。だからこそ魅力がある。親近感がある。同じ人間なのだと感じる。その、同じ人間が、どのような深い苦悩と戦ったのか。私はもっと知りたい。

戦後60年、様々な史実が明らかになってきた。日本国憲法とは、法律学の素人がでっちあげた、日本人をふたたび欧米の脅威としないための、つまり換骨奪胎するための、米国から押し付けられた法律だったということは、もはや常識になりつつある。

日米安保条約は、憲法九条から生まれた必然だ。米国は間違いを犯したともいえる。日本が再び脅威とならないように「平和憲法」を押し付けた。その直後、共産主義の脅威から日本をアジアにおける反共闘争の拠点と位置づけ、米軍の重要な拠点とした。日本の戦後における混乱に乗じた「共産革命」を恐れ、あるいは北朝鮮やソ連の脅威から「自衛」をするために再軍備を迫った。ならば最初から「平和憲法」を押し付けたのは間違いだった。とはいえ、ドイツが第一次世界大戦から、わずかな期間で再び世界大戦の口火を切ったことを考えると、当時の感情として、日本に再軍備を許すのは無理だったのだろう。それが合理的判断ではなかったとしても。

この「平和憲法」と「安保条約」について、日本は、そろそろ舵を切るべきではないだろうか。

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  2. Jul 24, 2008: analog | Power: 岸信介

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