analog

6月 7, 2008

Over Achievement: 働きたがる脳

カテゴリー: philosophy, society — hidetox @ 2:33 pm

我々は、やりすぎてしまう。もっと、もっと。必要以上に。

労働は「オーバーアチーブ」を志向する。
飢えが満たされても満たされないのである。
もっと働きたいのである。

via: 労働について (内田樹の研究室)

人間ではない知的生物がそれを観察すれば、およそ合理的な生き物に見えないだろう。なぜリターンの必要以上にインベストする必要があるだろうか。必要なリターンを得れば十分なはずである。

どうやら我々は脳のどこかに「欠陥」を抱えているようだ。しかし、その「欠陥」を抱えた我々の祖先が、そうではない者達よりも繁栄したからこそ、我々の祖先であるのだろう。その「欠陥」を持たなかった者達は、今日に至るまで発展しなかったようである。その「欠陥」が生存競争においてどのような力学上の意味を持つのかは分からないが、どうやらそういうことであるらしい。

我々は「腹八分目」とか「足るを知る」とかの言葉を理解も納得も出来ない、そういう生き物なのかもしれない。そうであろうと、あるまいと、我々の幸せとは、我々の知覚の問題であるからして、好むと好まざるとに関わらず、その頭蓋の中に納まっているぶよぶよした脳みその傾向によって決まる。そんなものに決められたくない、主体的に自分で幸せの基準を決める、といっても詮無いことだ。そう考える自分を、考えさせているのが、そのぶよぶよなのだから。

そういう自己循環構造のなかで、人間の思考力は限界に苦しむ。悩みに悩みぬき、現実世界に対して理想世界や神といった絶対座標系を導入することによって、みずからを相対化し、安定した足場、心の拠り所を得て安心するという方法を発明した。西洋思想はそういったものであるようだ。ただ、デカルト、パスカル、カント、サルトルなど、みんな悩んだようだ。

一方、そのぶよぶよを、あるがままに、前提として受け入れ、自分の性質(nature)つまり自然現象に抗うことをやめてしまう。そうすれば悩みは、迷いは無くなるだろう。確固たる足場は無いが、ぶよぶよの上で、みずからも揺らいでいればいいではないか。沈むまいと必死に泳げば体力を消耗するが、寝そべっていれば沈まない。ただ流されるだけだ。ゴータマ・シッダッタという人が得た気付き、悟りとは、どうやらそういうものであるらしい。それが禅という思想になって今日まで伝わっている。

心こそ心迷わす心なれ 心に心 心許すな  最明寺入道時頼

via: 碌々(ろくろく)ブログ 心に心を許さない

ぶよぶよが労働を好きだというなら、仕方ない。そこから逃れるのは難しい。ぶよぶよには勝てない。頭は理性で、ぶよぶよは感情だ。頭でいくら考えたところで、ぶよぶよは従わない。

働けばよい。その単純な事実に気付く妨げになっているのが「なぜ働くのか」とか「天職とは何か」とかいった当世風の悩みであるようだ。働く理由など見つからなくても、働けばよい。天職など分からなくても、働けばよい。いや、働かざるを得ない。生きる糧を得るために。きっかけはそれで構わない。働こう。隠居するまで続いた仕事が天職だ。天職とは、探すものではなく、あとから気付くものだ。最近の若者はそういう素朴な考えとは程遠いようである。

悩むべきは「なぜ働くのか」とか「天職とは何か」とかいったことではない。「いかに生きるべきか」という問題だ。倫理とか哲学とか修身とか、いろんな言い方があるが、そういうことだ。労働ごときに悩むよりも、そちらのほうが余程重要ではないか。労働など生きることの一部にすぎない。労働に悩む暇があったら、とりあえず働いてみて、働きながら文学や哲学でも読んでいればよい。「いかに生きるべきか」を考えるなかで、あるいは自分に適した仕事といったものが見えてくるなら、それはとても幸せなことだ。

労働観なんて考えるものじゃない。人生観から自然と生まれるものだ。働こう。

とりあえずそこらへんの木の実を拾ったり、魚を釣ったり、小動物を狩ったりして飢えが満たされるのなら、誰が分業だの企業だの資本だのというめんどうな制度を作り出すであろう。
労働は「オーバーアチーブ」を志向する。
飢えが満たされても満たされないのである。
もっと働きたいのである。
そういう怪しげな趨向性を刻印された霊長類の一部が生産関係をエンドレスで巨大化複雑化するプロセスに身を投じたのである。
どうして「そんなこと」を始めたのか、私は知らない(たぶんマルクスも知らない)。
とにかく、そういうことになった。

via: 労働について (内田樹の研究室)

  • Homo sapience ホモ・サピエンス 考える存在
  • Homo socialis ホモ・ソシアリス 社会的存在
  • Homo loquens ホモ・ロケンス ことばを操る存在
  • Homo ridens ホモ・リデンス 笑う存在
  • Homo ludens ホモ・ルーデンス 遊び・芸
  • Homo faber ホモ・ファベル 働く存在
  • Homo amans ホモ・アーマンス 愛の存在
  • Homo religious ホモ・リリギオス 宗教心

via: 引用元PDF

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