Agreeing With Agreements: 評価と採用

このエントリーを含むはてなブックマーク June 5th, 2008 | posted in management |

人が人を評価するのは難しい。まず正解が無い。誰もが満足する評価も難しい。あるいは全員一律の評価基準を適用せずに、一人ひとりを臨機応変に評価するというのも一つの見解かもしれない。

ただ、ひとたび全員を同一の基準で評価すること、評価の仕組み化を考えるならば、大事なことは、その評価基準と採用基準の整合性である。

誰もが満足する仕組みは無いが、その会社の全員が「納得」する仕組みならば作れるだろう。これは間違いない。その会社の仕組みに納得する人だけを雇えばよいからである。しかるに評価と採用は両輪であって、どちらか一方だけを考えるとか、変更するとかには危険をともなう。

満足と納得の違いは何か。満足とは評価の結果に対するものである。自己評価よりも上司の、会社の評価のほうが高ければ満足であろう。納得とは評価の過程も含む。満足する評価であっても、自分のどこが評価されたのか分からないような評価では納得しがたいだろう。納得するためには、どこを、どのように評価したのかという説明が必要だろう。

満足と納得の違いは評価の要点かもしれないが、仕組みではない。では仕組みとは何かというと、そういった評価の要点を、誰が評価しても同じように実行できるということである。

それと同時に、こうも言える。ある会社が評価の仕組みを持っていて、それを求職者へ明確に示すとする。求職者がその会社に入社するかどうか考える上では、その仕組みについて慎重に検討するはずだろう。ならば入社する人は、その仕組みに合意したうえで入社するに違いない。

このように評価と採用を表裏一体と考えて事にあたるのがよいのではないだろうか。

ところが評価制度というと社会保険労務士という人たちが出てくる。彼らは法律との適合性や、労働訴訟を回避するための仕組みづくりにおいてはプロフェッショナルといえるのだろう。しかし最大の問題は、彼らが人材採用を埒外としていることだ。採用を知らずになぜ評価ができるのだろう。どうにも困難を伴うように思われる。

あるいは彼らが作った評価の仕組みにあわせて、どのような人を採用するか考えれば良いのだろうか。これはうまくいきそうに思われる。その社会保険労務士が、企業の理念にもとづいて、望ましい人材像と、その評価基準を適切につくれるならば、だ。そのようなことができる社会保険労務士は非常に少ないと聞いているが。

評価と採用はどちらが先か。これは評価に決まっている。どのような評価基準かということは、どのような社員が理想的かを定義することにほかならない。そして採用活動とはなるべく理想に近い人材を採用することが目的なのであるから、まず人材評価の仕組みが先であって、その延長に人材採用があるのである。これを逆にしてはならない。

このような会社では、まず「わが社はこういう会社です。こういう評価をします」という合意のもとに雇用契約が発生し、「あなたの評価はこうです。詳しくはこういう具合です」といった評価が行われる。そこで「あなたはもともとこの評価の仕組みを知ったうえで入社したのです」ということになるから、これは満足できなくても納得せざるを得ない。満足できないとしたら、本来評価されるべき仕事が評価されないという評価制度運用上の問題か、あるいは評価されることを成し遂げなかった社員の問題か、どちらか一方であろう。前者ならば実際にそうであるかどうかを話し合うことになるであろうし、後者ならばより評価される仕事ぶりを身につけるよりない。

会社にとって評価とは何か。どのような人材が評価されるのかという理想的人材像を示し、それに向かって努力させることが評価の第一義的な目的である。つまり評価される言動とはどういうものかを示すのが評価の目的なのであって、報酬の査定をするとか、出来なかったことを探して減点法で点数をつけるといったことは評価本来の目的には遠い。この会社においてどのように努力し、何を身につけ、どう言動すれば評価されるのか、その指針が評価基準である。報酬はその結果に過ぎないが、高い評価と高い報酬は連動するのが当然である。

評価制度があることによって、どういう風に働けばいいのかが明確になる。これが評価の第一義的な目的なのである。

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  2. Jun 6, 2008: analog | Process over Result: 過程主義

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