Western Philosophy

このエントリーを含むはてなブックマーク May 6th, 2008 | posted in philosophy, book |

『西洋哲学の背骨』 荻原真著

プラトンの二元論では「理想的な人間像」(よって西洋人の倫理観、人間観の基礎)とは、知性、愛情、礼儀、節度などを兼ね備えた人間、といったものだった。

サルトルは「人間は、はじめ何ものでもない」「自分で自由に自分を造る。誰かが決めた規範に従う必要なんて無い」「しかし自由には責任をともなう」と考えた。理想的な人間なんてものはないと。

だが、それは結局「自由に振舞い」「しかし責任は取る」「明晰な」人間を「理想的な人間」と定義しなおしたに過ぎない。

これは「理想的な人間」の定義が変わっただけだ。

西洋人はプラトン主義の「理想的人間像」の規範から2000年以上も逃れられないでいる(らしい?)

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爺 こういうふうに、18世紀の人間観はいまだにプラトン主義的だったわけだ。そして、サルトルは、これと縁を切ろうとした(つもりだった)。そして、次にあるような(新しい)人間観を示したな。図にすると、こんな感じだ。

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 サルトルの場合、「理想的な人間」など、はじめから決まっているわけではない、規定されているわけではない。人間は、はじめ、何ものでもない。先立つのは、現実に存在する人間、つまり「実存」だ。
(略)
爺 それで、今度は、矢印が下から上に向いているだろう。
愛 そうね。
爺 ということは、サルトルはこの図式をひっくり返したわけだ。プラトンの図式を。
(略)
爺 長い間ヨーロッパ人を呪縛してきた図式が、ついに崩壊したように見えるな?
愛 「見えるな」って、どういうこと?
(略)
爺 ピエール・ナヴィル(1904~93)という人がおってな。サルトルに、面と向かっていったな。批判したな。「あなたの考えは人間の本性の置き換えだ」とな。
智 「人間の本性の置き換え?」
爺 ナヴィルにいわせると、サルトルは、人間の本質、つまり「人間性」の置き換えをしているだけなのだ。昔と、基本的には、変わっとらんというな。
(略)
爺 ・・・というわけだ。だから、サルトルの図式は、このように書き換えたほうが良いかも知れんな。

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 どうかな? 書き換えてみると、やっぱりイデア論の図式と同じようには見えないか?
愛 見える。たしかに。
智 結局同じなのか・・・。矢印は、ひっくり返っていなかったんだ・・・。
 おそるべし、プラトン主義・・・。
愛 おそるべし、プラトン主義。
 2000年以上も、ヨーロッパ人の頭の中を支配し続けてきたんだね。これは、もぉー、すごい・・・。

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