Ugly Crawler

このエントリーを含むはてなブックマーク May 4th, 2008 | posted in philosophy, venture |

共感した。感動した。

それが生活と呼ばれるものなのかもしれないなと思う。ちょっと泣き言めくけれど、ここ数日、いろいろきつかった。ああ、わかりやすい関係の絶対性やなあ、なんて思った。そんな状態のときに、時間を見つけて、連休明けのプレのために企画作業。そんなもんね、善なるものの呪縛がなけりゃ、やる気にならんて。広告は人の生活を幸せにするためにあると思わないと、やってられんて。偽善なのかもしれない、とは思うけど、まあ、うるさいアホ、偽善で悪いか、という感じでがんばろうかな、と。そんな感じ。

ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 偽善なのだろうか

私は起業したけど、同じく「そう思わんとやってられん」ので。

金儲けなんて動機では続けられない。どう考えても割りにあわない。なんでこんな大変なんだ。

キレイなもんじゃない。みにくくても、かっこわるくても、なりふり構わず、前へ進むしかない。

なんのためにやってんのか。バカらしくなる。大義名分がなきゃ、やってられん。

自分のやってることが、どこか「きれいごと」であってほしい。そう信じることが足を前へ運ばせる。

結局は「人」に褒めてもらうため。「彼は世のため人のために生きた人でした」という弔辞を読んでもらいたい。自分の人生を、人から肯定してもらいたい。

しかし、それだけの成果を出す前に死ぬかもしれない。その恐れを忘れて生きている毎日。いかん。思い出せ。明日は人生最後の日かもしれない。あと何年生きられるかなんて期待するな。

そんなことを思い出させてくれた名文。

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