趣味に惜しみなく投資するタイプなのですが、夫も「自分が働いたお金だったら自由にしたら」と理解してくれています(笑)
趣味は消費ではなく、まして浪費などではない。趣味は「投資」だ。インテリジェンス社はそう主張する。なるほど、すばらしい見解だ。社名に偽りなし。
趣味に惜しみなく投資するタイプなのですが、夫も「自分が働いたお金だったら自由にしたら」と理解してくれています(笑)
趣味は消費ではなく、まして浪費などではない。趣味は「投資」だ。インテリジェンス社はそう主張する。なるほど、すばらしい見解だ。社名に偽りなし。
これから生命保険の見直しを。
松岡正剛著の本。とても博学な著者だが、それゆえ伝えたい本質よりも「読み疲れ」のような感覚だけが残ってしまった。編集術というものを人間頭脳の情報処理一般にまで拡張しているようなのだが、具体例としては、ほとんど文字の編集しか扱っていないかのような印象を受けた。いわゆる一般的な意味での「編集者」の仕事、という枠を大幅には出ていないように思えた。もっと、グラフィカルなデザイン、数式、図解、といったものについて言及されていてもよかったと思う。その分、枝葉に当たる博学の疲労を削って。
こんなことを書くと結論めくが、編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。
このようにモノやコトを見ることを、編集工学では「関係の発見」とか「新たな対角線の発見」とよんでいる。私はこのような方法こそが、これからの人間の認知や意識のしくみにとっても、産業界や教育界にとっても、また自分の創発的な能力を開拓するためにも、かけがえのないものになりうるとおもっている。つまり私は本書を語っていくなかで、「方法が世界の内実そのものだ」ということを伝えてみたいのである。
(第1章 編集は誰にでもできる)
見るとは、二度以上見ることである
マルセル・デュシャン
はずれの少ないビジネス書の選び方。
評価の定まった本。第2版が出たもの。
できれば20年以上経っているものが良い。
新刊を人より早く読んでも得することは無い。
5年後に読んでも、よい本はよい本。
人より先に読んでも、駄目な本は駄目な本。
NDAなんてどこの会社でも同じように締結してるんだから、もはや「NDA法」を制定してしまえば日本国内の契約締結コスト&時間が削減できていいんじゃないか?
「許可無く消費者の情報を第3者に開示してはならない」っていう個人情報保護法の、企業版。
Suicaのおかげで切符買わなくてよくなりましたよね。「使いやすい券売機」なんて要らないわけです。
ドーリッシュはインタラクションという言葉を注意深く使うようにしようと提案する。インターフェイス研究と同じ領域をあつかうのであるが、インターフェイスではコンピュータ画面と人間とのインタラクションに議論が限定されてしまう。インタラクションと呼び変えることで、我々が日常生活のなかで行っている様々な活動とその活動とインタラクションするために工夫されるコンピュータ環境に興味を向けることができる。
xtel Theory: Design Theory of Ubiquitous Content: 第2講 インタラクションデザインの歴史 その1
いま倫理について語るとき「高潔な」といったことばがついてまわる。
この時点でダメだろう。
倫理を「高潔な一部の人」の問題にしている時点でダメだ。
だれもがもっているべきものなのに。
実際に動くものをつくる能力とは何か。
もっとおどろいたことに、工学や物理の知識のない学生がいとも簡単に完全に機能するシステムを設計して、実際に動かして見せた。形を考え、造形し、機能を考え、実装し、マイクロチップの回路を設計し、プログラムする。20世紀のメーカーであれば、「製品の考案者、設計担当、製造担当からなるチームのメンバーが仕事を分担する」(ガシェンフェルド、16ページ)。すべての仕事をひとりでこなせるメンバーはいない。ところが、「(ほぼ)あらゆる物を作る方法」の授業をうけた学生は、すべてをマスターしていった。
via: xtel Theory: Design Theory of Ubiquitous Content: 第2講 インタラクションデザインの歴史 その1
18歳の高専生のほうが21歳の大学生より良いロボットや電子回路をつくることなどザラだろう。
平均的な高専生は、平均的な工学部大学生よりも「ものづくり」の能力が高いよ。
ここでいう「ものづくり」とは「実際にうごくシステム全体をひとりで設計して作り上げる」ことだ。
「実際にうごく」「システム全体」「ひとりで設計」というポイントで考えたときに、実力差は歴然。
これ当たり前っていうか、高専っていう教育システムは教科書、理論重視の「専門バカ」ではなく、現実主義・懐疑主義(理論が現実に即さなければ理論を捨て現実に対処する)の「現場エンジニア」をつくるための教育システムだからな。
もともと戦後に大量の技術者を必要とする産業界の要請、国策で都道府県に1つずつ設置されたという経緯のある学校だ。
参考:高等専門学校 創設までの経緯(Wikipedia)
大学では「産業界で実際にもとめられる技術者の輩出」という機能をはたすかわりに、教授のコピー(院にすすんで将来は研究者)をつくるような教育。理論偏重だよ。
「手を動かす」ことをバカにするような連中はダメだね。MITを見習って、エリートが工作機械を使って油まみれになれるか。むしろエリートこそ国策により教育されている(その金はどこから出るか?税金だ)という責任感を持って学び、それを教える教育者も国家への貢献という観点を忘れないでもらいたい。
といいつつ、ふざけた財務省がいるわけですが。
試案は、授業料を私立大並みに引き上げることで約2700億円、大学設置基準を超える教員費を削ることで約2500億円の財源を確保できるとしている。「義務教育ではないので、一般的な教育自体のコストを(税金で)補填(ほてん)することには慎重であるべきだ」とし、「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」とした。
アホかと。
via
日本終了のお知らせ、か。まあ、日本は国際人権A規約の高等教育無償化条項の批准を留保していたからこうなるのは目に見えていたのだが、しかしここで「自己責任」「受益者負担」的な考え方を持ち出すとは予想外だった。
すでに利用率が十分に高くなってきており、
(高齢者以外は)それほどユーザー数はあまり伸びないだろう。
回線ももう十分に速いため、平均視聴PVももう少ししか増えない。
(モバイルはまだ端末速度やパケホーダイ率、コンテンツ量が上がる
可能性があり、成長するだろう)一方、
サイトの数はどんどん増えていくだろう。その結果、
(マルサスの人口論ではないが)
1サイトあたりのPVは今後どんどん減少していく。その前提でマーケティングを考えていく必要がある。
ネットレイティングスの発表によると
PVが減り、滞在時間が伸びる傾向にあります。
日本のインターネット、総PVは減る傾向 利用時間は2割増テレビ広告は、視聴率×時間で評価されます。
インターネット広告が、ユーザーの興味(キーワード)×時間で評価される日は近いはず。
via: ザッピング ブログパーツ配布開始 クリック・ページビューからネット視聴時間へ (銀座・新橋らへんの社長ブログ)
96年に発売された6thアルバム「Load」の正真正銘販促物だそうです。
via メタリカ学習帳 | DIGITAL DJ
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