フィリップ・スタルク「デザインに嫌気」、2年以内の引退を表明 国際ニュース : AFPBB News
私がデザインしたもの全ては不必要だった。2年以内には確実にリタイアし、何か他のことをやりたい。まだそれが何かはわからないけど。自分を表現する別の手段を見つけたい。デザインとは、忌むべき表現形式だ
この人がこういう捨て台詞を言ってデザイナーやめてくれると嬉しい。
「デザイン」という言葉から「アート性」「作家性」といった意味を取り除くのにつながる。
「行為のデザイン」「形態は機能に従う」といったバウハウス的文脈の延長にあるモダン・デザインというのが、ほかの言葉で代替できにくい「デザイン」という意味ではないだろうか。
そして、それ以外の要素は「装飾(デコレーション)」「美しさ(エステティクス)」「外観(スタイリング)」といった言葉がすでにあるので、それを使えばいい。
数年ぶりに読んだ。やはり、いま必要な本だった。
事業が青年期にある経営者は、誰もが同じ状況にある。みんな働いてばかりで、いつも忙しい、忙しいと不平を漏らしている。せっかく給料を払って人を雇っているのに、すべての仕事を自分でやろうとしているのだから、それは当然のことである。さらに、あなたが働けば働くほど、従業員の仕事が無くなってしまい、従業員は働かなくなってしまう。こんな様子を観てあなたは、やはり自分が働かなければならないと思い、従業員の仕事に口を挟むようになる。こんな悪循環が起きているのである。(p.66)
これから起業しようという人は絶対に読んだ方がよい。
とても荒っぽい言い方かもしれないけど、本当のことなので許してほしい。結局のところ、きみが事業を立ち上げた目的が、これまでと同じ仕事をしながら、もっとお金を稼いで自由時間を増やしたい、ということなら、それは単にわがままで欲張りなだけじゃないのかな? そんな気持ちで起業しても、うまくいくはずがないよ(p.57)
あわせてオススメ
セコイア・キャピタルによる非常によいリスト。しかし、「大きな市場を狙え」には要注意。
大きな市場
急成長や変化が見込まれる既存の市場をターゲットにせよ。潜在的に$1B(10億ドル)の規模がある市場ならエラーをしても取り返せるし、成長の余地が大きい。
via: TechCrunch Japanese アーカイブ » Sequoia Capitalが説くスタートアップへの福音
シリコンバレーのハイテクベンチャーならば、それでいいと思う。
しかし、日本で起業するなら、市場は小さい方が良い。小さな池の中で、もっとも大きな鯉になるべき。
『小さな池の大きな鯉』モデルもあります。あえて、大企業が参入したくなるような大きな市場を狙わず、特殊な小さな分野に資源を集中して、高いシェアをとってしまう方法です。靴下だけで、圧倒的な品揃えをつくって成功した会社もあります。この方法で成功している部品メーカーさんや専門小売店は案外たくさんあります。
via: 大西 宏のマーケティング・エッセンス:小さな会社がつくる参入障壁 – livedoor Blog(ブログ)
なかなか良い本。ノン・プログラマのWeb業界人、つまりディレクターやデザイナーにはオススメ。見積例がリアルな数字とともに載っているのが素晴らしい。
読んだ。すげー難しい本だ。ヒントはあった。
p.156 第7章 束縛から逃れる
アウトサイダーの強み
「古い技術に思い入れのある人は、新しい技術を思いつきはしないものだ。技術を変えることに関心があるのはいつだって少し周辺部にいる人間、現状によって何も得をしない人間だ」
常識を疑えってことだ。
実をいうと、「エンプロイー(従業員)」という概念は近代になって生み出されたもので、時代を超越した社会慣行ではない。強い意思を持つ人間を従順な従業員に変えるために、二十世紀初頭にどれほど大規模な努力がなされ、それがどれほど成功したかを見ると、マルクス主義者でなくてもぞっとさせられる。近代工業化社会の職場が求めるものを満たすために、人間の習慣や価値観を徹底的につくり変える必要があった。
via: 「経営の未来」に従業員の未来を見る – アンカテ(Uncategorizable Blog)
この本の要点は、管理しないと働けない集団ではなく、自立的に働ける集団を作る方法を考えよう、というメッセージかな。
追記:2008年6月3日の記事→Progressive Management
僕等が自分達の性格に関する他人の表現が気に食わぬのは、自分を一番よく知っているのは自分だという自惚れに依るのでは恐らくないだろう、凡そ性格に関するはっきりした定義を恐れているのだ。
(略)
己の何物たるかをはっきりとは合点出来ない事が、僕らの生きるに必要な条件かもしれない。
昨日のことを後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れるような道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事は無い。別な道が屹度(きっと)あるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を〔宮元〕武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。
「私の人生観」昭和24年10月刊行より