Hard to summerize
実に難しい。
分裂勘違い君劇場 - 子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明
さすが「分裂」というだけあって、じつに要約しにくい文章だ。「要約しにくい」=「結局何が言いたいのか分からない」。もちろん芸としてやっておられるでしょうし、楽しませて頂いてますから、批判ではない。これはこれで。むしろすごい文才だと思うが。
まあ、試しに要約してみよう。重要そうな箇所を抜粋してみる。
ぼくが日々実感している、「勉強することによる具体的で直接的で切実なメリット」は次の4つ。
(1)もっと楽しく遊べる
(2)もっと楽しく仕事ができる
(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる
(4)騙されてひどい目に合いにくくなる
しかし、現実には、先生の魅力次第なのよ。教える先生が、勉強のホントウの面白さがよく分かっている、人間的にもめっちゃ魅力ある子供以上に子供っぽい先生なら、その魅力は、いくらでも子供たちに伝えることができる。
というか、もっと深刻な問題は、そういう勉強のおもしろさに対する感受性のない子供、生まれつき菅原道真に忘れられちゃってるような子供がいて、そういう 子は、たぶん、別の人生を目指すべきで、無理に勉強すると、かえって不幸になるから、そういう子にまで「勉強しなければならない」とかいうのは、ほとんど 犯罪的だと思う。
勉強なんてできなくったって、すばらしい人生を送る方法はいくらでもあるんだから。勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない。
これをどう要約するか、というときに、一つに絞るのが難しい。
(a)質問への直接的な回答として(どのように子供に答えればよいか?)
→「(1)もっと楽しく遊べる、(2)もっと楽しく仕事ができる、(3)もっとすばらしい友達をたくさんつれる、(4)騙されてひどい目に合いにくくなる。こういう風に、よりよい人生を送ることができるようになるから、勉強はした方がよい」
(b)「勉強の楽しさ」をいかに伝えるかについて
→「子供から『どうして勉強しなきゃいけないの?』と聞かれたときに、どう答えるかが問題なのではなく、『どんな先生が答えるか』のほうが問題だ」
(c)むしろ「勉強すべき理由を納得させる」以前に、その子の勉強への適正について
→ 「生まれつき勉強に向いていないような子供に、無理矢理に勉強を強要すべきではない。勉強が出来なくても楽しく生きていける方法を教えるべきではないだろうか?」
(d)結局は勉強は「人生を楽しく生きるための手段の一つ」にすぎない
→「勉強することの最大のメリットは、勉強しなくても楽しく生きていけるということを知ることができる、ということかもしれない」
要約は機械的な作業ではない。編集という行為であり、そこに主観が入る。
だから、どれが正しい、ということはないと思う。
(国語の試験ならどれかを選べという問題になるだろう。断言するけど、どれを選んでも間違いではない。正解にすべきだ)
で、じつは、この回答へ、質問者から回答というコメントがついている。
ありがとうございます。とても読み応えがありました。
こんな回答をいただけるのがはてなの醍醐味だと思います。
アメリカ人の中年夫婦との会話の中で出てきたジョークやネタ、読んでるだけで楽しい雰囲気が伝わってきます。(そしてやっぱり理系のネタにはとことん弱い 私…わ、わからん…)こういうのをポンポン発して笑いに持っていくには互いにある程度の水準に達していないとダメなわけで、まぁ知らなくても生きていくこ とはできるんだけど、知ってればこういう楽しい経験もできるということがよくわかりました。
勉強に対する感受性のない子供、かどうかというのを見極めるのも大切なことですね。
とある。
質問者は「読み応えのある回答」 だと評している。
ここから、回答者(fromdusktildawn氏)の言外のメッセージを感じ取ることもできる。(回答者の意図とは異なるかもしれないが)
(e)「勉強してきて、人生を楽しんでいる人間」を体現してみせた
→(勉強すれば、ここに書いたような体験ができたり、こういう文章を書けるようになる)というメッセージ
内容云々ではなく、この文章の本質は、こういうメタなメッセージではないだろうかと思った。
これは上述の(a)そのものであった。
よって、この文章(回答文) を一行に要約するなら、(a)が適切だと思うが、どうだろうか?
実際には本人に聞いてみないとわからないし、さらにいえば、本人が自分の意図を必ずしも満足に文章で表現せしめたとは限らないわけなので、要するに真実はどこにもないというのが「文意を汲む」という行為の真実だ。
ただ、今回は文章のメタな意味とあわせて解釈した結果で、かなり深く読んだので、そう外れてはいないのではないか、とも思う。いや、それ以前に、本人の意図と一致しているかどうかは、関係ないんだ。読む人、要約する人の意図に沿っていればよいのだから。
(その点で、自分用の要約はどうであっても害はないが、たとえば書評など、『人に伝えるための要約』には、場合よって著者の意図を歪めうる可能性があるため、要約者は慎重になるのが誠実な態度というものだろう)
さてさて、最後に、この記事(私が書いた今回のブログエントリ)の核となるメッセージはなんでしょうか? あててみてください(笑

